ブレない、群れない、政治家・石破茂の人生

2018/3/3

鳥取県知事の長男

建設省事務次官から鳥取県知事に当選した父は、家にほとんどいませんでした。
自分の父親というよりは「鳥取県知事という人」。
当時住んでいたのは20LDKの知事公邸です。
すごい豪邸を想像するかもしれませんが、昭和28年の鳥取の大火事で焼け残った廃材を使って建てたという、ひどくぼろな家でした。

常に1番であれ

私に求められたのは「知事の子供として常に1番であること」です。

戦艦大和欲しさに猛勉強

「1番で入れたら、欲しがっていた戦艦大和のプラモデルを買ってあげます」と、母が中学受験に向けて、ご褒美を用意してきました。
「欲しい、どうしても欲しい。何が何でも1番で入ろう」と私は決意。必死に勉強しました。

慶應高校に入学したけれど

慶應高校に合格、進学します。東京で始まった高校生活は実に痛快でした。
何しろ「石破(いしば)」という姓を級友が誰も読めない。「せきばくん」「いしやぶれくん」とか呼ばれるのです。鳥取ではありえない。
ただ、そんな気分に浸っていたのはほんの数日でした。やはりそこは15歳の少年のことですから、ホームシックにかかってしまいました。

妻との出会い

土曜の夕方、三田の図書館から本を小脇に抱えた女性が階段を降りてきました。
「こんな綺麗な女性が世の中にいるんだ。この人をお嫁さんにできる人は幸せだな」
それがD組の彼女でした。

国鉄と全日空への就職を断念

「国鉄に入りたいです。朝から晩まで電車や汽車と一緒にいられるだけで幸せです」
当時、父は運輸委員会の国鉄問題に関する小委員会の委員をしていました。
「あれはな、そのうち潰れることになっておる。潰れる会社には行かない方がいいと思うぞ」
飛行機も好きだった私は「では、全日空へ」と答えます。
「お前な、田中先生にご迷惑を掛けた会社に入るというのか? 駄目に決まっておるだろう」
田中先生とは田中角栄元首相です。

父と田中角栄先生

電話に出ると、母はこんなことを言うのです。
「お父さんがね、『田中角栄が見舞いに来てくれた夢を見た。嬉しかった。あれは夢だったのか』と言うの。
死ぬ前に一度、田中先生に会わせてあげたいの。お前、何とか田中先生に頼んでおくれよ」
私は「そんなこと無理に決まっている」と思いながら、目白の田中邸に電話を掛けました。

「選挙に出ろ!」

田中先生は机をバーンと叩きつけ、こう言いました。
「いいか、よく聞け。日本で起こることの全てはこの目白で決まるんだ。分かったか!」
「は、ははぁー」。私は平伏します。
「再来年の衆議院選挙に出ろ!」

ぞうきん掛けからスタート

下積みのことを「ぞうきん掛け」と言いますが、木曜クラブでの最初の仕事は本当にぞうきん掛けでした。

勇気と真心をもって真実を語れ

「勇気と真心をもって真実を語れ」
私はこの言葉にひどく感動しました。
渡辺美智雄さんの秘書をしていた渡辺喜美さんにこの講演の録音テープをもらい、しばらく車の中で何度も聞き返したものです。
この言葉は今日に至るまで私の政治信条の1つです。

「悪い雑草は早めに摘まないと」

「悪い雑草(私のこと)は早めに摘まなきゃ駄目だわな」と言っていた、という話も耳に入ってきました。
「なるほど。すげえこと言うな」と思ったものです。
私なんぞが出馬するのが許せなかったのでしょう。平林陣営とのライバル関係は、徐々に先鋭化していきます。

選挙は何でお金が掛かるんだ?

29歳。初当選を果たした私は日本で一番若い衆議院議員になりました。
選挙に出てみて「何でこんなに金が掛かるんだ、ちょっとおかしいんじゃないか」という思いを抱きます。
この思いが後に政治改革、とりわけ小選挙区制の議論につながっていくことになります。

夢の寝台列車で地元を往復

1期目の最後の方になると、なんとA寝台券が出るようになりました。個室です。
夢かと思いましたよ。
当時は東京でもつらかったし、地元で過ごす時間もつらかった。
でも、寝台列車に乗っている間は、電話も掛かってこないし、誰も訪ねてこない。12時間は完全に自分のものです。

宮沢内閣不信任

不信任の白票を投じる時には足が震えましたことを覚えています。
あの時、自民党の国会議員の行動は3つに分かれました。

「小沢vs小沢以外」の派閥争い

「新進党」の実態は「小沢vs羽田」いや、もっと言えば「小沢vs小沢以外」でした。
来る日も来る日も、「小沢vs小沢以外」という野党内の派閥争いが続きました。
「こんなことをやるために国会議員になったわけじゃない。俺は何をしているんだろう」と議員宿舎に帰る度に気分が重くなりました。
今、「希望の党」や「立憲民主党」にいる人たちの気持ちは嫌というほど分かります。

自民党に復党

私は挫折感の塊のようになって自民党に復党します。
いざ戻った古巣の雰囲気は本当に冷たいものでした。
「格好良いこと言って辞めやがったくせに、結局帰ってきたんじゃないか」
本当にいたたまれませんでした。
私は国会図書館にこもって、安全保障や農政について勉強ばかりしていました。

小泉総理から防衛庁長官に任命

小泉純一郎総理の部屋に呼ばれます。告げられた役職は「防衛庁長官」でした。
「有事法制を仕上げてください」
あのときほど驚いたことはありません。

防衛省の改革

防衛省の改革は一筋縄ではいきません。
自衛隊には陸、海、空それぞれの文化があり、さらに背広組と制服組の文化もあります。そして全国に陸、海、空それぞれの多くの部隊がある。

総裁選出馬

福田康夫総理は突然、内閣総辞職を発表します。
誰もが当選を疑わなかった麻生太郎先生は真っ先に手を挙げられました。
私には全くその気はありませんでしたが、私もこの時の総裁選に出馬することになります。

安倍総理との違い

安倍晋三総理は臨時閣議で集団的自衛権を使えるようにするための憲法解釈の変更を決定し、関連法案を閣議決定します。
戦後の安全保障政策は大きな転換点を迎えました。
安倍総理からは安全保障法制担当相への就任を要請されました。
安倍総理も私も憲法改正を目指しています。しかし、細かい中身が少し違うのです。

100年先も日本があるために

50年先、100年先も日本があるために必要なこと、できることをやりたいのです。
もし、自分と全く思いを同じくする人がいて、その人が総理大臣などのしかるべき立場について、私の思いを実現してくれるならそれでもいい。
今は安倍1強でブツブツ石破が1人で言っているという状況です。
それでは困るのです──。
(予告編構成:上田真緒、本編聞き手・構成:南部健司、撮影:遠藤素子、バナーデザイン:今村 徹)