【迫俊亮×朝倉祐介×濱松誠】80年代生まれの僕たちの生き方について考えよう

2018/1/25
今、現場の中心となって働く1980年代生まれのビジネスパーソンは、忙しい日々の中、仕事について、人生について、悩むことも多い世代だ。
80年代生まれとはどんな世代で、今何をすべきなのかを浮き彫りにするため、80年代生まれの朝倉祐介氏、迫俊亮氏、濱松誠氏の3人を招き、「NewsPicks×EL BORDE」のトークイベントを開催した。三者三様の多彩な経験をもとに語られる「80年代論」を、ユーザーアンケートの結果とともに見ていこう。
※文中のアンケートはNewsPicksにて2017年12月6日〜11日に実施。有効回答数:20〜30代の男女242人。

朝倉「リスクヘッジさえしていれば怖いものはない」

──迫さん、朝倉さんは大胆なキャリアチェンジをされていますが、将来を見据えての決断だったのでしょうか。キャリアチェンジのタイミングやキャリアの積み方について、どのように考えていますか。
迫:僕は2回キャリアチェンジしているんですが、両方ともまったく将来のことは見据えていないですね。
まず、三菱商事を半年で辞めています。その後、マザーハウスというバングラデシュで鞄を作っている会社の立ち上げの時期に入社するのですが、そこの仕事がすごくやりたくて。
そもそも、三菱商事に入る前の半年間、マザーハウスでインターンとして働いていたんです。今を逃すとこのチャンスは巡ってこないかもしれない、この人たちと一緒に働きたい、今行くしかないからボーナスもいらん、と。「若気の至り」的な感じで退職しました。
マザーハウスには約5年勤務して、「世界に通用するブランドをつくる」という事業にコミットしました。最後の2年間は台湾で事業立ち上げをしていたのですが、このスピードだと10カ国で展開するのに非常に時間がかかってしまう、もっといいやり方があるのではないか、と鬱々(うつうつ)としていました。
そんなとき、ユニゾン・キャピタルというファンドで働いている友人が「そういう目的だったら、プロ経営者をやればいいじゃん」とアドバイスしてくれたんです。なるほどと面接を受け、その後ミスターミニットの仕事に就くことになります。
朝倉:好きな言葉は「出会いとは人生の宝探し」。私も、行き当たりばったりですね。
中学を卒業して、まずはオーストラリアの競馬の騎手養成学校に行きました。本当なら35歳になった今頃は、フランスの凱旋門賞を勝っている予定でした。
でも、競馬の騎手は厳しい世界です。デビュー時は体重を48キロくらいに抑えなければならないのに、身長が175センチになってしまい、減量した結果、体脂肪率は3%。これは死ぬなと。帰国して、3年かけて大学受験資格を取得して大学に入りました。
こういう経歴だと、怖いもの知らずだと思われるかもしれませんが、「転ばぬ先の杖」があるからこそ、思い切った挑戦ができたんですよ。騎手がダメだったら大学に行けばいいだけの話です。
大学卒業後はマッキンゼーに入りました。3年くらい経つとビジネススクールに留学しろと言われるんですが、ちょうどそのタイミングで、学生時代に仲間と立ち上げた会社が「資金調達をするから帰って来い」と。
ビジネススクールで私が勉強したかったのは、アントレプレナーシップです。それならスタートアップをやってしまったほうが早いし、失敗したらその失敗経験をエッセイに書いて、ビジネススクールにまた出願すればいい。そう思って、マッキンゼーを辞めてスタートアップの世界に戻りました。
結果としてそのスタートアップはミクシィに買収され、私もミクシィに入社。今はシニフィアンという会社の共同代表なんかをしています。自分が関わってきたスタートアップの世界をより活性化し、日本の産業に貢献する、というのが今のキャリアのテーマです。
──濱松さんは、パナソニックに新卒から勤務し、大きなキャリアチェンジはされていませんが、大企業・団体に所属する20〜30代の有志の会「One JAPAN」を束ねる中心人物として活躍されていますね。
濱松:私が「One JAPAN」でやろうとしているのは、人材を活性化させることです。大企業を辞めて、コンサルティングのような形でそういうことをしている方はたくさんいますが、大企業にいながら行うという選択肢があってもいいな、と。
でも、一社だけの経験で良いとは思ってなくて、社員の副業・兼業のような話にもOne JAPANとして取り組んでいます。
大企業の中は、モノカルチャー・自前主義の文化が強いため、なかなか外部の人材を取り入れたりすることが難しいんです。でも、最近はパナソニックでも、日本マイクロソフトから出戻りしてきた専務の樋口のように、幹部が人材・組織改革を進めるなど、新しい流れが生まれています。

迫「意識が自分に向いていたから、人がついてこなかった」

──さまざまな経験をされているみなさんは、自己研鑽には意識して時間やお金を投資しているのでしょうか。
朝倉:私の場合、必要に迫られないと身につかないですね。
たとえば私がスタートアップにいた当時は、普通株に比べて権利内容が優先する「優先株」を使った投資が出はじめた頃でした。契約書の内容に書いてあることがさっぱりわからなかったので、危機感を持って法律やファイナンス、会計など、業務に必要な知識を学びました。
ビジネス書を読むことはありますが、自己研鑽というよりは趣味ですね。
迫:私も朝倉さんと似ていて、たとえばファイナンスだったらその道のプロを採用したほうが早いですよね。もちろんコミュニケーションのために最低限の知識は必要ですが、自分の役割を考えて必要性があればやる、というスタンスです。
「英語しかしゃべれない恋人ができたら英語を頑張る」というように、必要に駆られて勉強したほうがよりリアルなことを得られるし、効率が良いと思うんです。
濱松:私は35歳ですが、20代の頃は自己研鑽として本を読んだりしていました。
迫:「一切やったことがないぜ」みたいな話をしたばかりですが、そういえば私も20代のときは濱松さんと同じでした(苦笑)。
でも、自己研鑽って意識は自分に向いていることが多いと思うんです。自分が「部下」の立場なら、そういう人にあまりついていきたくないですよね。
20代の僕に誰もついてこなかったのは、意識が自分に向いていたから。社長になって、会社や仕事に意識が向くようになったから、みんなが認めてくれるようになった。そういう学びがあって、自己研鑽に対する考え方が変わりました。

濱松「エネルギーにあふれたリーダーが理想」

──迫さん、朝倉さんは組織のトップ、濱松さんも団体を率いる立場ですが、理想のリーダー像はありますか。
迫:個人的に目指しているのは、今あるものを作り変えられる人。日本は、数で見るとほとんどが中小企業ですよね。まだまだ優れた可能性があるのに、生かされていない今の状況はすごくもったいない。
ミスターミニットも、私の入社当時は経営がうまくいっていなくて、20年間の暗黒時代の最中でした。でも、それをトップが交通整理するだけで業績も伸びるし、お客さんにとってもっと良いサービスが提供できる。
ミスターミニットをもっともっと作り変えて、中小企業でもグローバルのエクセレントカンパニーになれるんだというモデルケースにしていきたいと思っています。
そんな私のメンターは、ファミリーマートの澤田貴司社長です。初対面のとき、勢い込んでマッキンゼーばりのプレゼンをしたところ、「お前はウザい」と(苦笑)。
外から若いヤツが入ってきて、頭の良い正論を並べても言うことを聞いてくれない。「順番が違うんじゃないの」と言われたんです。まずは社員からの信頼獲得に努め、正しいことを言ったときに実行してもらえるような環境を作るべきだ。現場に行け、と。
たしかに自分はウザかったなとハッとさせられて、店舗の御用聞きを半年ぐらい続けました。それによって徐々にみんなから信頼され、仕事もうまく回るようになりました。澤田さんには今も、毎月アドバイスをいただいています。
朝倉:僕の考えるリーダーの定義は、「誰からも頼まれていないのに、自分がやらなければならないと思うことを実現するために、率先して動く人」です。
上司からの指示や損得ではなく、「自分がやらなきゃいけない」という思い込みを持って邁進(まいしん)する人でなければ、大事は成功させられないと思います。
ビジネススクールを蹴って戻った、自分が起ち上げた会社は、復帰前に聞いていたのとはまったく違う状況で、資金繰り表を作るところからはじまり、しかも数カ月後にキャッシュアウトすることが判明。自分が立て直さないとどうしようもない状態でした。
ミクシィも似たような状況で、誰からも頼まれていないのに、勝手に会社の再建プランの資料を作って回っていましたね。
濱松:さすが朝倉さん。
リーダーシップの条件として、元GE会長のジャック・ウェルチさんは、エネルギーにあふれている「Energy」、周囲を元気づける「Energize」、競争心が強く、困難な決断を下すことができる「Edge」、実行力がある「Execute」の「4E」を挙げていますよね。
強い意志を持って人を鼓舞し、難しい判断をしっかりして、実行していく、エネルギーにあふれたリーダーが理想です。自分もそうできたらいいなと思ってはいるんですが、まだまだかけ離れています。
迫:従業員と接するとき、「エネルギー」は大事ですよね。僕、以前は店舗に行ったときに「ここが汚い」とかよく注意してたんですよ。でも、年に数回しか店に来ない社長に言われると、テンションが下がる。
だから、今はそういうことはエリアマネージャーに任せて、一切言わないことにしています。褒めたり、会社のビジョンを熱く伝えたりすることのみに集中するよう、コミュニケーションの仕方を変えました。
朝倉:それはいいね。クライアントとしてコンサルタントとも働いていましたが、どんな分厚いレポートよりも役に立ったのは「いつも平気な顔をしていろ」というアドバイス。リーダーがへこんだところで物事は良くなりませんからね。

朝倉「いらだちがすべての原動力」

──ずばり、みなさんの精力的な活動の原動力は何ですか。
迫:大変なことはもちろんありますが、会社経営って楽しくて飽きないんですよ。そのモチベーションが一番大きいですね。
朝倉:きれいごと抜きで言うと「いらだち」でしょうか。「何やっているんだ!」と怒り度MAXになると、いても立ってもいられなくなる。「出会いとは人生の宝探し」なので、今後も何かムカつくことを探したいと思います。
濱松:きれいごとに聞こえるかもしれませんが、「使命感」ですかね。組織の中には、大企業病も含めてたくさんの課題があると思います。偉そうに言うつもりはありませんが、使命感を持って、仲間と一緒に問題を解決していきたいですね。
みんなで一緒にやればいい世界が築けると思っています。

濱松「批判されてもいい、その失敗も成長につながる」

──最後に、80年代生まれのビジネスパーソンに向けて、メッセージをお願いします。
迫:80年代生まれの僕たちは、「勝ちパターン」がなく、王道もない、「定義できない世代」。だからこそ、気楽なスタンスで興味の赴くままにいろいろ試してみたらいいんじゃないかと思います。
朝倉:私自身は、肩書、所属、組織に関係なく、世の中をちょっと良くしていくアクションを個々人が起こしていくことが大事だと思っています。80年代生まれって、もう「いい年」なので、上の世代からチャンスを与えられるのを待つんじゃなく、自分たちがリードしていきたいですね。
濱松:お二人のおっしゃる通り、20代なら迷っていても許されることも、30代なら実行するとか、周りを巻き込むとか、次のステップが求められますよね。
目の前に課題があったら、迷うのはやめて実行する。それで批判されてもいい、その失敗こそが成長につながる。自分自身、そう信じて進みたいし、そんな仲間がたくさん生まれればいいなと思っています。
(編集:大高志帆 構成:阿部祐子 撮影:加藤ゆき)