【岩政大樹】「自分たちのサッカー」を貫くだけでは勝てない

2017/10/31
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【岩政大樹】なぜ日本人選手は“考える”ことが苦手なのか

「相手に合わせる」と「受け身」

――岩政さんが本書を通じて言いたいことは、『PITCH LEVEL』というタイトルによく込められているように感じました。
岩政 日本の場合はまだ、自分でサッカーをする経験のない人が見ていることが多いじゃないですか。話していても、もしくはいろんな記事を見ていても、ピッチの中と外ではズレがどうしてもあると思います。
ピッチの中で何が行われていて、実際にプレーヤーが何を考えているのかを知ることで、見る人がもっと想像しやすくなって、選手とのギャップがより小さくなって、見ている人と選手が同じように語れるようになれば、たぶん日本サッカーの発展につながるのではという思いもありました。
岩政大樹(いわまさ・だいき)
 1982年山口県生まれ。東京学芸大学を経て2004年鹿島アントラーズに入団。2007年にはJリーグのベストイレブンに選ばれた。翌年日本代表に初招集。2014年タイのBECテロサーサナに移籍。2015年からファジアーノ岡山で2年間プレーし、2017年東京ユナイテッドに選手兼コーチとして加入
――特に興味深かったのが「自分たちのサッカー」という話です。メディアやファンがサッカーを語る上で、対戦相手をリアルなイメージとして選手ほど感じられていないから「自分たちの……」という言い方になってしまうのでしょうか。
「自分たちのサッカー」というのは、日本人の特性というか、いろんな戦いの場で起こっていることだと思っています。
どんな競技でも、何かの戦いでもそうなんですけど、自分の得意なことを突き詰めて、まずは力で押し切ろうというのが第1段階にあります。
それである程度のレベルまでは行けるけれど、レベルが高くなってくると、相手に合わせて自分のやり方を変化させて戦わないといけなくなる。僕自身は、プロになってそう考えるようになりました。
でも、プロの手前までのレベルしか知らない人は、力で押し切ることが相手を倒すことだと思ってしまいます。
逆に僕は今、社会人クラブ(東京ユナイテッド)でプレーしているので、力で押し切れることが多い。そのレベルのサッカーと、プロでは紙一重のところで少し違うんです。そういう意味では、トップレベルを経験しないと想像しづらいところがあるのかなという気がします。
小さい頃からサッカーを始めて、うまくなっていく段階では自分のできることを増やしていったり、相手をねじ伏せられたりする力をつけていくのが第1段階です。そこから世界や日本のトップレベルと戦うときは、逆にそれを突き詰めることが全部になってしまうとズレてくるという感覚ですね。
「自分たちのサッカー」という方向に振り切れちゃうと、最初は勝つためにやっていたものが、すごく勝つことに淡泊になるというか、勝てなくてもしょうがないという言い方になってしまうことがすごくある。
僕もここに陥りがちになって、「あっ、ダメだ、ダメだ」と戻したり、そのバランスの中で行ったり来たりするんです。この作業はシーズンの中でも、試合中でも、たぶん選手がみんなやっている話です。だから、そういうことを知ってほしいなという気持ちはありましたね。
――自分のベースがないと戦いにいけない一方、相手の特徴を見極めて自分のプレーを選択し分ける必要があるということですよね?
そうです。選択し分けることなんですよ。どっちかではない。
日本人はどっちかになりたがる国民性ではあるかもしれないですね。どっちかと言った方が、みんな納得しやすい国民性ではあって、「どっちでもないですよ」と言うと、「えっ、どうしたらいいの?」とたぶんみんな思っちゃう。「中途半端になるのと、バランスを取るのは違う話だよ」というところに、この本ではほとんどの話がなっています。
日本で「相手を見てやりましょう」と言うと、まさに相手に合わせるという話になりがちです。合わせるは合わせるなんですけど、それは別に受け身ではない。
でも、これを履き違える人が多くて。そうなると「自分たちのスタイルがないのか」という言い方になるんですけど、自分のスタイルもある上で、自分と相手とのバランスを、試合の中、流れの中、タイミングの中で、一番適切なところを選択していくという感覚です。どっちもあるんですよね。
――そうした選手の感覚が伝わり切っていないから、自分で書こうと思ったわけですか。
そうかもしれないですね。人がやらないことをやろうというのは、どこかにずっとあるので。

無意識を意識的に

――「試合中は考えないようにしている」と書いていましたが、考えてしまうと考える分、時間のロスになるからですか。
そうです。厳密に言うと、試合中というよりプレーの瞬間ですね。
いろんなところで証明されているんですけど、サッカーにおいて考えてやったプレーは遅いんですよ。そこの判断は無意識レベルで行われないといけなくて、それが起こったときにいいプレーってできるんです。
よくスポーツの世界でゾーンと言われることが多いですけど、そこに至るまでには考えることがなければいけないし、突き詰めてプレーすることがないとそこに行き着けない。
だから、そのためにその瞬間まで考えるし、いろんな情報を自分の中に入れておくんですけど、最後の瞬間には感覚でプレーする。瞬間の自分のフィーリング、パッと思いつくものを大事にする。これは途中から行き着くんですけどね。
最初からこれをやろうとすると、“ただ考えない”になるんです。そこに至るまでは考えすぎないといけないんです。
この作業がまずないと、同じ“考えない”でプレーするのでも、違うことになったりする。言葉は難しいんですけど、考え抜く部分と、できるだけ無意識でやろうという部分。無意識を意識的にやるのは、途中からできるようになりました。
――いつくらいにできるようになりましたか。
30歳前くらいから少しずつできるようになってきて、最終的には31歳、鹿島の最後の方に、自分の中でいろんなバランスが整ったなという感覚でプレーできるようになってきて、自分の中では鹿島の退団を考え始めました。
――思考レベルが1段階上に行ったから、違うキャリアを考え始めたんですか。
思考もそうですし、体もそうですね。僕はすべてがつながると思っていて。
体を突き詰めて研究して、トレーニングしていけばいくほど、“強く当たるために力を抜く”というところにたどり着いたんです。これはどの競技の人もたどり着くんですけど、天然でやれている人はたぶん天才と言われている人たちだと思います。
天才ってどんな人かと言うと、フィジカル的に僕たちが人工的にトレーニングで作り出さなければいけないものを、生まれながらに持っている人。その人たちは練習すればするほどうまくなるんですよ、勝手に。だから天才なんだと思います。
逆に言うと僕らは、トレーニングしながら「人工的に作り出せるんだ」と自分で感じていく。それもすべてバランスなんですよ。
「力を抜く」と言っても全部を抜くわけではなく、それを突き詰めていくと体のいろんな部分で最良化できていって、力を入れる部分と抜く部分を自分で操れるようになってくる。そのバランスが自分で見つかるようになってきて、という部分もすべて考え抜く。
考えすぎないところと、力を入れる、入れないというところは全部同じことです。最初はおぼろげですけど、いろんなことを勉強していって、突き詰めれば突き詰めるほど最終的に行き着くところがつながってきました。
これは僕の感覚的な部分ですけど、プレーしながら「すべてバランスが整ったな」という感覚に、鹿島の最後の年、2013年にたどり着きました。たどり着いたという感覚になった瞬間に、たどり着いたらあとは終わりを迎えるしかないじゃないですか。
そういう、ちょっとカッコいい、自分のロマンみたいなものがあって。そういうものなのかなと思ったら、(監督のトニーニョ・)セレーゾに干されましたね。
――どこかに行けと、サッカーの神様に言われたわけですね。
そういうものなんでしょうね。

日本のトップになるために

――体の力を抜くことを考え始めたのは、鹿島の3年目に大岩剛さん(現・鹿島監督)に「カチカチだな」と言われたという頃からですか。
プロに入ったときから、特に大岩さんと奥野(僚右)さんにずっと言われていました。
とはいえ、プロに入るまでやってきたことでまずは勝負しないといけない段階ですし、何かを変えるというよりも今までやってきたものを100%プロで出せるかが大事ですから、どっちかと言うと聞かないようにしていたんです。別にシカトするわけじゃないですけど、「あっ、そうですか」と言いながら、いまは俺がやるべきことではないなという感覚でいました。
2年目に鹿島で1年間試合に出ることができて、鹿島もこれから僕を後ろの中心にしていくと考えてくれていたので、そのなかで自分を客観的に捉えたとき、鹿島でずっと試合に出ることができるようになれば、今度は他のチームの選手たちと日本代表を争わなければいけないと考えました。
日本のトップレベルにならなければいけないと考えたときに、自分のどこに伸びしろがあるんだろうと思って、怖かったんですよね。これはないな、と。
このまま行っても、何を自身に上乗せしていくのか見えませんでした。
そうしたら、新しいものを入れるしかない。
自分がやってきたものを100出せるようになってきたので、今100しかないものを120、130にしていこうと。それでしか、日本のトップに挑んでいけないだろうと考えて、そこからはとにかく新しいことを学んで、新しいことをやっていく。自分が今までやってないことをしていくという方に持っていきました。
そうすると、勉強すればするほど自分の今までの体の使い方は、理想とは真逆の方向にあって。逆に言うと、それをやればどんどん自分のプレーが変わっていくんだろうと思うようになって。
そうなってくると、「よくこの体の使い方でここまできたな」という感覚でしたね。
簡単に言えば、それまでは体の使い方があまりにも悪いと自分でもわかっていたので、それをサッカーの戦術的な部分でごまかしていたんです。他の選手を使ったり、自分のポジショニングを変えたりすることで、試合中にアラが出ないようにプレーしていました。
でも、それだと日本代表にはなれないですよね。他のヤツらの方が完全に優れている部分があるので。
自分の足りないと思っている“個で対応する部分”をもっと増やしていかなければいけないし、個で単純にフィジカル的に対応できるように持っていかなければ日本のトップになれないだろうと考えて、シフトチェンジしていったという感じです。

90分間をデザインする

――「劣等感」しか抱いていないという岩政さんがどうやって日本代表まで上り詰めたかという話を聞けば聞くほど、アスリートにとって“考える”ことの重要性を感じます。一方、実際の日本サッカー界には“考える”ことができる選手が少ないということですが、これを変えていくのは本当に難しいだろうと想像します。
たぶん、選手たちもそういうことを伝えられていないんですよ。彼らが悪いわけではなくて、そういうふうにサッカーをするっていうことを知らずに育っている。「もっと考えてサッカーをやれ」とか、「もっと相手を見てサッカーをやれ」と言われたところで、そういうふうに育っていないので難しい。
サッカー先進国はそんなことは当たり前としてサッカーをやってきて、サッカーをするということ、もしくは90分間どういうふうにサッカーをするかということの捉え方が、たぶん日本人とは違うんですよ。ここの感覚をもっと日本サッカーで統一すべきだという気がしますね。
「日本人らしいサッカー」という言い方をよくしますけど、僕はショートパスとかハイプレス、ハイラインとか、やり方を統一する必要はないと思っていて。そんなものはいろんなチームがありますから、いろんな監督がいろんな戦術を作ればいい話で。多様性がないとレベルなんて上がっていかないので、そこを日本サッカーで統一する意味はないと思います。
それよりも、日本のサッカーって90分間どういうサッカーをするかというところが、もっと統一されるべきだと思います。そのためには、指導者側ももっと考えないといけない。それが統一されていないのが、今の代表の大きな問題です。
この点は、昔の選手たちの方があったように見えるんですよね。これがなぜなのか、もっと検証されるべき問題だという気がします。
――育成レベルからやらないといけないことですよね。
もちろん。今年、いろんな年代と接する機会があったんですけど、育成年代では気づきだけ与えていればいいと思います。「試合中にいろんなことが起こるから、それに対して対応をどんどん変えていかないといけないよ」という話をしても、そもそもそういう概念を持っていない子ばかりでした。
チームとしての正解、サッカーとしての正解、ということばかり教えられて、それを90分間やるのがサッカーだと。愚直にやっておけと。そうやって教え込まれている子ばかりなんですよ。
でも、僕はそうではないと思っていて。試合の中でいろんなことを見ないといけないし、いろんなことを感じないといけないし。90分が終わったときに1点でも多くゴールを取るために、何をその時間帯にするのかを、そのとき、そのときで、それぞれが考えないといけないし、そうやって90分をデザインしないといけない。
それを中高で形にするのは難しいけれど、まずは考えておくべきだと思っています。そういう子がプロに入って周りの選手たちと同じ壁にぶち当たったとき、何か気づきさえあれば、「やり方を変えてみよう」とか、「違う幅を自分に持たせてみよう」と行き着くと思います。
でも、まさに行き当たりばったりで、当たって砕けろみたいな精神が善、という育ち方が多いんですよね。これこそ、日本サッカー全体で統一すべきところだという気がします。
僕自身は、そういうのがあったんですよ。中学校のときに、「この試合でこの相手でこの流れだったら、この時間帯に勝負をかけよう」とか、「この時間帯になったら戦い方がガラッと変わる」とか。それまでは、「早くから戦い方を変えちゃうと、逆にその後に流れを変えられてやられるな」とか、考えてやっていたんです。
今から考えればとても雑というか、本当に小さなレベルの話ですけど、その概念だけでも持っておくのは大事だと思っていて。それって指導者に言われることではなくて、自分で自分たちなりの戦いを作っていくということだと思います。
「それを試合中にやることがサッカーだよ」と理解しながら育つ選手が増えれば、自然に日本代表もそうなるだろうという方向に、持っていくべきだと僕は思いますね。
(撮影:是枝右恭)