江戸の長者番付
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大阪に淀屋橋という地名がありますが、地名の由来は大阪の豪商淀屋が、この橋をかけたからだと言われています。
この淀屋は日本史上最大の億万長者としてしられています。
記録によれば、その資産は、金12万両、銀12万5000貫、諸大名への貸付金だけで銀1億貫(もっとも大半は未返済利息=不良債権だったようですが)、その他不動産や書画骨董など総額で小判に換算して20億両であったそうです。
四代目の淀屋重當が建てた北浜屋敷は敷地1万坪、内装はオール金張り、天井はガラス張りの水槽で、さながら水族館のように金魚を鑑賞して涼をとっていたとか。
淀屋の年間交際費はおよそ100万両で、そのばら撒かれた金で発展した歓楽街が、現在の北新地です。
因みにこの資産額の数字を信じるなら、淀屋の資産は100兆円をはるかに超え、日本どころか世界史上最大の億万長者ということになります。
まあ、実際には流石に誇張がすぎるとは言われていますが、江戸時代が思ったよりはるかに経済的に盛んだった時代であったこと、そして特に大阪と大阪商人が、江戸時代にいかに繁栄していたかをよく示すエピソードだと思いますね。江戸時代には、法人格が無かったので、個人が部下を養う体制であった事が、収入の割に楽な生活で無かった理由だろう。この親分が部下を養う体制からの精神的変革がまた完了していないではと思う。親分が身銭を切って部下の生活の面倒を見る体制では、忠誠心も部下愛も強くなるが、法人格の内部で同じ立場にある上司部下との関係性に同じ思いを寄せるのは危険だろう。
これちょっとひどすぎないですか?
吉宗の年収とか前田家の年収っていうけど、それって年収じゃなくて企業で言えば年商であり、国で言えば歳入費のことでしょう?
確かに四文=100円の時代もあったけど、だからって250年ずっと物価が変わらなかったわけじゃない。一両の価値も12万円~20万円の間を行き来していたわけだし。