一橋大学・米倉誠一郎の人生、山あり谷ありイノベーション

2017/10/7

ベンチャーおじさん

2017年4月に、一橋大学イノベーション研究センターの教授を退官しました。学生の時から通算すると44年間、一橋大学にいたことになります。
「ベンチャーおじさん」と言われるほどベンチャー企業の振興とイノベーションのあり方について論じてきましたが、いざ退官というときに、言われたセリフがあります。
「44年も同じところにいたやつに、ベンチャーとか言われたくねー」とね(笑)。
今は、東京・六本木のアカデミーヒルズの中で開催されている「日本元気塾」で塾長、法政大学大学院で教授、一橋大学イノベーション研究センター特任教授として教えるという生活になりました──。

一橋大学に行った理由

最初は東大志望でした。
でも成績は同学年150人中149番で、実質的には一人が病欠でしたから、まあビリですね。結局、浪人して東大を目指すことになりました。
僕は一橋大学のことを全く知らなかったので、「どういう学校?」と聞きました。
そうしたら、「国立で、社会学部というのがあって、石原慎太郎や山本コウタローなんかもいたんだぜ」と──。

野中郁次郎先生とセットで採用

今井賢一さんや伊丹敬之さんら著名な経営学者が、『組織と市場』や『失敗の本質』という素晴らしい本を書いて活躍されていた野中郁次郎先生を一橋大学に招聘しようとしていました。当時、野中さんは防衛大学校教授でした。
この動きに対して、社会学部からのすごい反対が予想されました。防衛大学校から戦争研究者が来る、というわけです。
ここですごい神風が吹いた。
「じゃあ、米倉とセットにして採れば、社会学部の中で右と左で中和するから、ちょうどいいじゃないか」──。

「お荷物になるよ」

「どこに行くんだ」と聞かれたので、アメリカの大学の名前を1つしか知らなかった僕は、「ハーバードでしょ」と返事しました。
面接は日本語だと思い込んでいたのですが、英語でした。
相手が何を言っているのか分からない。
最後に、“You'll be pain in neck ”って、「お荷物になるよ」と言われたんですが、その意味すら分からなくて、“Thank you very much” と返事していました──。

ハーバードで得た成果

ハーバード大学では、アルフレッド・D・チャンドラーJr教授という素晴らしい先生に学びました。
「組織は戦略に従う」という言葉が有名で、経営史の分野で活躍され、世界的に著名な業績を残した先生です。
先生に出会い、師事できただけでも、アメリカに留学した価値があったと思っています。
ハーバード大に留学した最大の成果は「根性英語」と「根拠なき自信」です。
チャンドラー先生のゼミで分厚い本を何冊も渡されました。
3~4カ月かけてこの量をやるのかと思ったら、「はい、来週までに全部読んで論文をまとめてくること」と言われて仰天しました──。

シリコンバレーに衝撃

初めてアメリカのシリコンバレーに行って、腰が抜けました。
えー、全く違うゲームが始まっているじゃないかと。
時間になって現れたのは、僕らの前でコーラを飲んでいた短パン・Tシャツのお兄ちゃん。なんだ、彼かよというのが最初の衝撃。
話を聞いて中身のすごさに驚いたのが次の衝撃。
「失敗したらいったいどうするのか」という質問の答えを聞いたときが3度目の衝撃でした──。

「胃のションベン」って何?

「野中先生、我々の産業経営研究施設って名前、ダサくないですか」
「そうだなー。なんでもやるけど利益率が悪い日立製作所みたいだな。どんな名前がいいかな」
「やっぱりイノベーション研究センターでしょう」
当時はイノベーションなんて言葉、ほとんど知られていませんでした。うちの事務官が「『胃のションベン』って何ですか」と聞いてきたぐらいです──。

セクハラで訴えられる

アメリカで体験してすごいと思ったものが、ミシガン大学でやっていた「グローバル・リーダーシップ・プログラム」です。
参加者はダッフルバッグ1つに必要最低限の荷物を持たされて小さなボートで孤島に向かい、そこでサバイバルゲームを通じた徹底的なチーム・ビルディングをさせられる。
日本でも学部生のうちにやったほうがよいと考え、「アクション・クリエイティブ・トレーニング」をスタートさせました。
いろいろいい成果が出てきた時に、大失敗をしてしまいました。
調子に乗っていた僕は、このプログラムの打ち上げの席で「王様ゲーム」をやってしまい、結果、参加していた女子学生からセクハラで訴えられたのです──。

「日本元気塾」の塾長に

東京・六本木の六本木ヒルズの49階にアカデミーヒルズという場があって、そこで「日本元気塾」を塾長として率いています。
森ビルを創業した森泰吉郎さんは一橋大学の出身で、経営史を横浜市立大学で教えていた学究の徒でした。
それが学部長選挙に担ぎ出されたとき、新橋の駅前に小さなビルを持っていることを誹謗する怪文書がまかれたそうです。
泰吉郎さんは頑固な人だったようで、「じゃあ、辞めてやる。そんなに言うんだったら、俺はビジネスで生きる」と言って、都市開発の仕事を始めたのでした。
泰吉郎さん54歳のときです──。

ムハマド・ユヌス博士との出会い

元気塾・アカデミーヒルズの活動の中で人生を変える衝撃がありました。
2009年にグラミン銀行総裁のムハマド・ユヌス博士と出会ったことです。
対談している最中から体中が熱くなって、「これは何かしなきゃいけない」と体が震え出した──。

海外にある大チャンス

ガザやバングラデシュ、ケニア、それにフィリピンのミンダナオ島など、いわゆる危険な地帯に行く機会が増えました。ミンダナオ島は相当危険な地域ということで戦争保険に加入させられました。
しかし、こうした現場に行くことは実は重要な意味があるのです──。
これは大チャンスだと思いました。
パナソニックなどの日本企業あるいは大企業退職者によるベンチャー企業が助っ人に行けば、ウィンウィン・ゲームを構築することだってできるじゃないですか──。
(予告編構成:上田真緒、本編聞き手・構成:織田 篤、撮影:遠藤素子、バナーデザイン:今村 徹)