【第8回】歴史は繰り返す。後藤新平と震災復興

2017/7/23
地域再生には、「よそ者、若者、ばか者」が必要とよく言われるがそれは本当なのだろうか。修羅場のリーダーシップとはどのようなものなのだろうか。35歳で縁もゆかりもない陸前高田市の副市長を務め、現在、立命館大学公共政策大学院で教鞭をとる久保田崇教授が、陸前高田でのリアルな体験を振り返りながら、「よそ者のリーダーシップ」の神髄について考える。
今回は、在任中に「理不尽だ」と感じた話を取り上げます。内容は、土地の所有権と区画整理をめぐる件で、やや専門的なところもありますが、今後の災害を見据えた時に大事な部分だと考えています。

「かさ上げ工事」と2,000人の地権者の同意

陸前高田市では、津波で被災した高田町と気仙町に海面高11m前後の地盤のかさ上げ工事を行い、今後の津波対策を強化した人工的な高台にコンパクトなまちづくりを行うことを計画しました。
しかし、このかさ上げ工事着手のためには、2,000人以上に及ぶという地権者全員の同意を得る必要があったのです。なぜなら、津波により建造物が消滅していても、現行法制度上、土地所有権は消滅しないからです。
このエリアの地権者には、「土地区画整理事業」により元の土地との交換で、新たな場所に土地が得られることになります(換地)。
そして、「換地」の一つ前の手続き「仮換地」まで進めば、地権者の同意がなくとも工事が可能となります。
しかし、仮換地のためには法令上、多くの手続きが必要となるため、仮換地の手続きと同時並行で、(土地区画整理法に定められたものではありませんが)起工承諾の「同意」を地権者から得て、かさ上げ工事を実施することになりました。
被災地外でも、駅前の再開発などで土地区画整理事業が行われていますが、これに伴い自治体が行う土地の形状変更等の工事の場合には、工事の間の土地の使用収益権が停止されることから、地権者の同意を得てから行うのが通常です。
しかしながら、今回のような津波被災地は、上物すべてが流され(消滅し)ているので、地権者はそもそも使用収益ができない状態なのですが、かさ上げによる土地形状変更となるため同意が必要でした。
もちろん、この計画は住民説明会や議会の議論を経て決定されたもので、計画自体に反対は少ないので、2,000人の地権者の多数からは、すぐに同意をいただけます。
2011年秋に市内各地で開催された、復興計画の住民説明会。この計画に基づき、復興が進められている。
しかし、ごく少数の方からは、(地主が死亡したため相続手続きがあることや、県外の地主も存在するため)同意を得るのに時間がかかったり、(別の事情で)同意を得られない場合があります。
そして、かさ上げ予定エリアの1人でも同意が得られなかったら、このような面的な大規模かさ上げ工事はできないのです。
上部の高台2から7は山を削って造成した宅地。これら高台の土を使用してかさ上げを行う(中央部)。2017年4月に撮影された航空写真。出典:陸前高田市ホームページ

特措法制定求めるも、実現せず

そこで、1日でも早い商業地の再建と住宅再建を進めたい市当局としては、まともに2,000人の同意手続きをとっていては、工事着手に時間がかかると判断し、事業用地に自治体の借地権設定などの制度創設(特措法の制定)を求めました。
具体的には、復興庁や国土交通省、また国会に対し、こうした要望を提出しました。私自身も上京して復興大臣に訴えたこともありました。
しかし、結論的には、「財産権の保障という憲法の規定に抵触する恐れがある」との回答で、特措法は実現しなかったのです。
この問題は、所在不明や(地権者が震災で犠牲となった場合にこうなるケースは少なくない)工事の同意が得られない場合には、仮換地のための仮換地(仮仮換地)を行える課長通知を国土交通省が2014年1月に出したため一定の前進は得られましたが、「震災復興と私権」を整理する抜本的な解決とはなっていません。
「工事のための仮換地指定による早期工事着手」
出典: 「被災市街地復興土地区画整理事業の工夫と適用事例」 国土交通省都市局市街地整備課, 2014年3月
なお、このようなアクションを取っている間にも、同意手続きを進めた結果、かさ上げ予定地の地主全員の同意が得られたので、なんとか工事を開始でき、制度創設の必要はなくなりました。
陸前高田市のかさ上げ工事。山田壮史陸前高田市都市整備局長(2014-2016、右)とUR都市機構職員。 出典:UR PRESS, 2013 vol.35
この件では、親身になって動いてくれた政党や国会議員はおられましたが、憲法で保障された財産権の壁は崩すことはできませんでした。
しかしこの問題は、次の災害でも必ず障壁になると思います。そして、うがった見方かもしれませんが、東北の災害だったから、そして震災から数年が経過し風化が進んだからこそ、こうした特例が認められなかったと思うのです。
財産権は確かに憲法で保障された大切な権利ですが、憲法にも「公共の福祉に適合するように」とあるように、災害のような非常時には、公共の利益のために一定の制約を課すべきではないかと考えます。

後藤新平も「地主」には勝てなかった

陸前高田市が直面したこの「地主と復興事業」の問題は、実は古くからある問題でした。私はこのことを、(岩手県の偉人である)後藤新平の伝記を読んでいて知りました。
後藤新平は医師ですが、台湾総督府民政長官、満鉄総裁、複数の大臣や東京市長も務め、一時は総理待望論まで出た、異色の技術官僚です。
本稿の後藤新平に関する記述は、主にこの書籍を参考にした。『小説 後藤新平―行革と都市政策の先駆者 (人物文庫)』(学陽書房、郷仙太郎)
後藤は関東大震災が起こると、山本権兵衛内閣の震災対応の中枢とも言うべき、「内務大臣(兼帝都復興院総裁)」に任ぜられますが、就任してすぐ、復興の基本方針ともなる以下の四項目を書き記しました。
後藤はこうした方針のもと、関東大震災からの復興にあたり、大規模な区画整理と公園・幹線道路の整備を計画しました。その計画の規模の大きさから後藤は「大風呂敷」とあだ名されたほどでした。
後藤は私案の半分に削ったものの、それでも国家予算の約1年分にあたるという巨額の予算を要する計画だったため、財界等からの猛反対に遭い、結局議会が承認した予算は半分以下に過ぎず、当初の計画を縮小せざるを得なくなりました。

昭和天皇も残念がった後藤の計画

現在の東京の主要道路や公園はこの復興計画によるものが多く残っています。
例えば道路で言えば南北軸としての昭和通り、東西軸としての靖国通り、環状線の基本となる明治通りのほか、公園では夏の花火大会などで有名な墨田公園などがあります。
そして、こうした復興計画の実施にあたっては、必要な土地を地権者から大胆に収用する手法をとろうと後藤は考えましたが、地主・地権者の激しい抵抗を受けることとなり、計画縮小に追い込まれたのです。
昭和天皇は後に(昭和58年記者会見)「それ(後藤の復興計画)が実行されていたら・・・東京あたりは戦災は非常に軽かったんじゃないかと思って、今さら後藤新平のあの時のあの計画が実行されないことを非常に残念に思っています」と述懐されました。
後藤が計画したような広い道路は延焼を食い止める機能、また随所の公園は非常時の避難場所になるなど、防災効果があるからです。
先見性のある後藤はこうしたことを見越してか、先に述べた復興の基本方針の四番目に「新都市計画実施の為めには、地主に対し断乎たる態度を取らざるべからず。」と定めたところですが、地主や政治家の猛反対にあって頓挫しました。

土地制度の整備を

今回陸前高田市側が主張した特措法の内容は法律論の観点からは「筋悪だ」という批判があるかもしれません。
しかし、求めていたのは「早期の復興事業を実施するための法制度上の障害の除去」であり、「財産権の保障」や「法改正には時間がかかるから既存制度の活用を」といった理由で抜本的な改正がなされなかったのは残念なことでした。
前回の連載で示したように、派遣職員も交えて構成される限られたマンパワーですから、起工承諾の同意を得るため忙殺された職員は、本来は別の仕事に振り分けたかったのです。
かさ上げ地に開店した商業施設「アバッセたかた」(右側)と、併設の形で2017年7月20日にオープンした図書館(左側)。陸前高田市提供。
今後の災害を見据えての土地制度上の課題としては、(1)不在地主の土地管理と、(2)財産権と「公共の福祉」に資する復興事業の整理の問題等が考えられます。
復興はスピードが命です。平時にこうした制度を整備しておかなければ、首都直下など次の災害が起こった時にも「地権者の反対により、歴史は三度繰り返す」のではないかと強く危惧します。「法改正の時間がないから」と被災者がまたも泣き寝入りすることはあってはなりません。
時代は変わって90年後の現代に、後藤の生まれ故郷の岩手でもこうした問題が生じたことを、後藤も苦笑いして見ているかもしれません。
*本連載は毎週日曜日に掲載予定です。
(文中写真:著者提供、バナーデザイン:砂田優花)