心を自由にする4つのステップ。まず「親の業」を理解する
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①心の漏れ──目の前の相手に腹を立てたり、ついムダな妄想をしたりという一時的反応。
②執着──いったん生まれた反応が「持続」するに至った状態。消えない怒りや過去の記憶など。
③業(ごう)──日頃の自分の反応を、心の根底から支配している力。心のクセ。
たとえば、記憶をよみがえらせて、その記憶に新しく反応して、かつての怒りを「再生産」するといったことです。
こうして持続するに至った精神状態を、「執着」upādāna: clinging と呼びます。
こうした「得体のしれないストレス」に悩んでいる人は、大勢います。今回の相談者も、そのお一人なのかもしれません。
これは、一体なぜなのでしょうか?
その原因として考えうるのが、業、つまり定着してしまった心のクセ・反応のパターンです。
①期待過剰の業――この業の持ち主は、過剰な期待や要求を相手に向けて、応えてくれないとがっかりしたり、腹を立てたりします
こういう子どもが大人になると、周囲の期待に応えようとやたら頑張る半面、自分がやりたいこととは違う気がして、「このままでいいのか」「報われなくて、むなしい」といった気持ちを抱くことがあります。
こうした悩みを抱えた人は、親との関係で作られた、「期待に応えなければ」という心のクセに気づくことが、第一歩になります。「応えなくていい。自分の人生は自分で決める」と、思い直す
②怒りの業――この業の持ち主は、潜在的な怒りを抱えています。自らの親への怒りや、不本意な自分の人生への不満などが、背景にある。
こうした怒りの業を抱えた親の下で育った子どもは、最初は怯えを、やがては反発・嫌悪を募らせていきます。これらの感情は、怒りです。
③支配・傲慢の業――相手を思い通りに動かしたい、人は自分に従って当たり前、自分は絶対に正しいと考えたがる心のクセ
ひとつの対策は、「あらかじめ、心のクセをパターン化して覚えておく」ことです。
①業を客観的に理解する。
②親との関係が苦痛なら、距離を置く。
③その上で、自分の業と向き合う。心のクセが出てくるたびに自覚して、同じ反応が出てこないように努力していく。
④食べる・体を動かすなど、「感覚を使う」時間を増やして、心をもう一度「育て直す」。
失うことを恐れて、百年生きるより、失うことを恐れない完全に自由な境地で一日生きるほうが、価値がある。
ダンマパダ
注目のコメント
期待過剰の業――この業の持ち主は、過剰な期待や要求を相手に向けて、応えてくれないとがっかりしたり、腹を立てたりします
人に期待しないと気が楽なのです。基本は自己責任で、自分のことは自分でやる。そう決めると気が楽です。
支配・傲慢の業――これは、相手を思い通りに動かしたい、人は自分に従って当たり前、自分は絶対に正しいと考えたがる心のクセです。
これも厄介です。人に期待しないことは大事で、人は人だと思いましょう。
好きなことをやって、周りを気にせず、楽しく生きる。これに尽きますね。【仏教式メンタルヘルス】草薙僧侶のドキリとする教え。「親だと思ってきたその人を、ただの人間として見てください。親というより『そういうひと』として、客観的に見るように」。その真意は?
信念は創造のサイクルにより体験となり、創造のサイクルは信念→思考→言葉→行動→感情→体験→信念という循環を繰り返すことで強固となります。そのため感情をコントロールするにはその上流にある思考・言葉・行動などをコントロールすれば良いですしその中でも思考をコントロールするのが省エネになります。ただし何かに没頭しているときや二度寝の瞬間や瞑想中やランニング中などに生まれる創造によらない感情もありますがあくまで例外的です。
そのため心の平和を保つには意識的に思考や言葉や行動を行うことで創造をコントロールするか、または創造しないのが近道となります。ただし思考や言葉や行動をコントロールしようとするとそれらの上流にある信念が邪魔をしてきます。最終的に信念が変われば邪魔されなくなるのですがそれまでは古い信念が生む思考・言葉・行動を止めて、なりたい自分になることを通して新しい思考・言葉・行動を繰り返すことで創造のサイクルを上書きし信念を修正していく必要があります。