AI革命で日本に勝機がある理由

2017/4/7

「金の匂いのするデータ」は希少

実際にビジネスの現場でデータに触っていると、ビッグデータというバズワードがかなりブーム的に過大評価されている感がぬぐえない。いくらデータをたくさん集めたからといっても、何でもかんでも一緒くたにしているようでは、そこから経済的な付加価値が生まれるケースはあまりない。
今から20年以上前、私は携帯電話会社で契約者のチャーン(解約)対策の責任者をやっていた。
携帯電話会社は言わばビッグデータの宝庫で、契約者のプロフィールから、通話状況、料金支払い状況まで、膨大なデータを持っている。そうしたデータを分析して、解約の兆候となる因子を傾向値として見つけ出し、事前の解約防止策に結びつける。今どき色々なところで言われているビッグデータ活用とほぼ同じ話だ。
当時はこれをデータマイニング、データの鉱山から価値ある情報を掘り出すという意味で、マイニングという言葉を使っていた。要は、今言われている話のほとんどは取り立てて新しい話ではないのである。
状況が何か変わったとすれば、携帯電話会社のような特殊な条件を持つ企業でなくても、膨大な量のデータをインターネットというオープンな世界から集めることが可能になったこと。それからコンピュータの能力が飛躍的に伸び、使い勝手の良いソフトが開発されたため、高度な解析技術、高性能の解析インフラが多くの人々にとって活用可能になったことだ。
その一方で、ビジネスに活用するということは、鉱山資源開発と同じで、資源を掘り出すコスト及び製錬(データ分析の世界ではこれを「データクレンジング」という)するコストと、それが生み出す収益が釣り合わないと成り立たない。
いくらデータが集まっても、「稼ぐ」ために有用な情報の含有度の低いデータではペイしないのである。おまけにデータの多くは生ものなので、掘り出すのが遅れると使い物にならなくなる。
現状では、資源探査能力(データ解析能力)は上がり、質はともかくアクセスできる鉱山の量も増えてきた。
しかし、真の課題はそこから先、資源含有率、すなわち質の問題である。
これはデータそのものの態様(フォーマットや取られ方)と、活用先の商売上の使い道との組み合わせで決まるのだが、この観点から、よく言われているビッグデータの潜在力の話の中で、ビジネスの次元で金の匂いのする話はあまり多くない。
ここでの質問はシンプルだ。「あなたはビッグデータから掘り出された何かいい事にお金を払いますか?」ということである。
色々と夢のようなことが語られているが、その中で、私たちに本気でそれなりの金を払う気にさせるものがあるのか、一度、冷静に考えてみたらいい。
先ほどの解約防止の話は、これがもろに携帯電話事業者の収益に響く、使い道において、めちゃくちゃ金の匂いのするビッグデータであること、そして携帯電話の利用状況というデータの質としてめちゃくちゃ金になる情報の含有率が高いから、必死になってデータマイニングをする価値があったのだ。

進化するAIが「Sの世界」を変える

さらに言えば、今起きているAI革命の核心的な技術的ブレイクスルーであるディープラーニングにおいては、データは量よりも質が圧倒的に重要になる。
下手に既存のネット上の雑音だらけ、ゴミだらけのデータを使うより、開発目的に合わせて整った環境で、整ったデータを取り直した方が、よほど効果的な成果が生まれる場合が多いのだ。
日本においては、政府や公的機関が管理しているビッグデータが十分に活用されていないために、社会的に大きなロスが生まれていることは事実であり、その対応は急がれるべきだ。
また、データをビジネス活用するときに、インターネット上であれ、企業レベルであれ、フォーマットが整った状態で蓄積され、かつビジネス利用するときの環境(個人情報の問題、交換時の市場ルールなど)が制度的に整備されることは望ましい。
しかし、個別企業経営の次元におけるビジネスイノベーションの領域では、ビッグデータ解析それ自体が金になる、真の競争障壁になることはそうそう多くない。
あくまでもリアルなビジネス展開、戦略展開の意思を持ち、そこでリアルな手段としてデータ分析を生かすスタンスがなければ金の匂いはしてこないのだ。
AI、IoT、ビッグデータという三大バズワードの関係性を整理すると、IoTで色々なデータが集まりやすくなり、そのデータを食べてAIが成長・進化する。進化したAIが実装されたIoTネットワークや機器が進化・普及することでさらに有用なデータが集められるようになり、これがAIの進化を促すという循環構造だ。
いわゆるインターネットの世界だけでは経済的な価値創造が難しくなっていること、ビッグデータもそれだけではあまり金の匂いがしないことは既に述べた。
結局、これからの勝負は、デジタル革命の主戦場になってくるリアルでシリアスな産業領域、「Sの世界」でこのような循環を起こせるかにかかっている。
そしてリアルな世界で、私たちにリアルに金を払う気にさせてくれるコア・エンジンは、AIによる「自動化」技術の大進化、すなわち今までの人類史のなかで私たちを苦役から解放してきた数々の道具と同じ役割を果たしてくれるAIなのである。

タブーの少ない日本に勝機あり

AIの産業応用というと、欧米では必ず失業問題や移民問題とリンクしてしまう。AIの現実的アプリケーションは、それぞれの分野において、本質的に自動化、省力化を促すことになってしまうからだ。AI革命は、「大自動化革命」とも言い換えられるのだ。
この話はブレグジット(英国のEU離脱)やトランプ現象ともつながっているのだが、欧米では日本と違って、(サービス産業や工場労働者といった)ローカルな産業はもともと人手不足に陥っているわけではない。そこに移民がなだれ込んできているので、ローカルな仕事の奪い合いになって、失業率が高止まりしている状況だ。
そのため、AIによって人の仕事が奪われることに対する警戒心が日本よりも強い。だから、技術レベルでの開発は進んでも、社会実装段階のハードル、特に大規模な商用化段階での政治的、社会的なハードルは極めて高くなってしまうのだ。
ここに来て、移民問題や格差問題が日本よりも桁違いに深刻化している欧米においては、このハードルはますます高くなっていくだろう。

人手不足が有利に働く

では、なぜ日本の政治が安定しているかと言えば、ローカルな世界で生きている人がそこまでストレスを感じていないからだ。
ストレスを感じない理由の一つは、グローバルで活躍している人の数がそこまで多くないことが挙げられる。
日本経済が、残念ながらグローバル化の負け組になっており、成功者の数も程度もたいしたことはないからである。
東京にいても、グローバルな勝ち組がそこらじゅうにいるわけではない。数が少ないから、あの人だったら何千万円、何億円もらっても許せるのである。
どうやら外資系コンサルティングファームでは寝る間も惜しんで働いているらしい、ということになると、逆に同情したりして、あまりうらやましいとは感じないのだ。
もう一つ大きいのは、少子高齢化という問題と、日本が結果的に移民政策に消極的なことが重なり、ローカル経済圏(サービス産業を中心とする労働集約的な地域密着型産業群)が人手不足に陥っているからだ。
日本の雇用の8割を占めるローカル経済圏は、本当に深刻な人手不足の状況にある。日米独をはじめ、グローバル化の進展は先進国の雇用をよりローカル経済圏依存型にする。
ローカル経済圏を構成する産業の多くは対面型で、サービスを提供する人間がリアルかつリアルタイムでそこにいなくてはならない同時同場型のビジネスなので、グローバル化が進んでも空洞化しにくいからである。
ユーロ安、低い法人税率、労働市場改革で製造業絶好調に見えるドイツでさえ、ほぼ日本と同じで、約8割の労働者はローカルな産業で働いている。
このように今や「主要」経済圏となっているローカル経済圏において、少子高齢化の進展は、医療、介護、交通・運輸などの地域密着型産業の主要顧客である高齢者の比率を高める一方で、そこで働くべき生産労働人口の先行的な減少を加速する。
これは構造的で、日本全体の人口が減っても少子高齢化が継続する限り解消しない。要は、いきなり膨大な数の外国人労働者を入れない限り、単純計算で出生率が2を超える状態が何十年も続かないと、幸か不幸かこの構造的人手不足からは脱却できないのだ。
仕事を奪い合うどころか、どこも人手不足で苦労しているので、こうした領域では、進化したAIを搭載したロボットによって自動化してもらったほうがありがたいのである。それも一過性ではなく、この国では、これから先もずっとそういう状況が続く。

勝ち組に見下され、移民と仕事を奪い合う

米国や英国では逆に、グローバリゼーションの流れに乗って大金持ちになった人たちがゴロゴロしている。
サンフランシスコやニューヨークに行くと、そういう勝ち組の人たちが、人種や出身地で差別するなんて頭の悪い人がやることだ、ダイバーシティ(多様性)が何よりも大事だ、ともっともらしいことを言う。
それが、田舎の白人労働者には許せない。そういう建前を語る人たちの多くが、いわゆるWASP(白人・アングロサクソン・プロテスタント)ではないことも、彼らの怒りに拍車をかけている。
さらに、移民労働者が続々とローカル経済圏に入ってきていることが、彼らのストレスを高めている。
たとえば、仮にGMの工場をクビになっても、その次の仕事が安泰であれば、そこまでストレスは感じないが、ホテルの従業員や清掃員などの仕事に就こうとすると、ヒスパニックとぶつかってしまう。自分たちの仕事が奪われたという思いが強いから、二重にストレスを感じているのだ。
そういうストレスがもともとあるところで、AIでガンガン自動化を進めますなどと気軽に口にすれば、猛反発が起きる可能性がある。それは社会的、政治的コストが高すぎるので、国としては、そんなにお気楽に自動化を推進できないはずだ。

「L(ローカル)の風」は追い風

日本はそれとはまったく逆の状況で、ローカル経済圏からの反発はあまりないから、少子高齢化と人手不足から来るさまざまな社会的課題に対応するために、AIによる自動化やシェアリングエコノミー化をどんどん推進していけばいい。
ところが、政治的にイライラさせられるのは、もう恐れる必要がないものを恐れる人がたくさんいて、規制改革にブレーキをかけようとすることだ。
そういう人は、規制緩和して自動運転技術やライドシェアのウーバー(Uber)を入れると、タクシー業界で失業者が出て大変なことになると言うのだが、たぶん何も起きない。
むしろ、高齢者に運転させ続けるほうが不安(じつはタクシー業界でも運転手の高齢化がどんどん進んでいる)だし、介護が必要な高齢者の移動手段は、現状でも明らかに足りていない。
実際、最近のタクシー事業者の廃業理由で急増しているのは、運転手を確保できない、あるいは昨今の賃金急上昇に耐えられないことによる「人手不足倒産」である。
あるいは、最低賃金を上げ、同一労働・同一賃金を実現すると、中小企業が潰れて大変なことになると言うのだが、仮に潰れたとしても問題ない。
全体として人手が足りなくて困っているわけだから、より生産性の高い企業によって、おそらくはより良い雇用条件ですぐに雇用は吸収されるはずだ。実際、私たちが東北地方で取り組んでいる地方バス会社の再生・経営においては、まさにこういう現象が起きている。
日本は過去20年ほど雇用が足りないことで苦しんできたから、政治家や経営者、社会のリーダー層の人たちにそういう意識が刷り込まれていて、「(自動化によって)生産性を上げる」ということを、大手を振って口に出せるようになったのは、じつはつい最近のことである。
それまでは、「生産性を上げる=リストラ(人を切る)」を意味したので、禁句だったのだ。
「人手不足を解消するためには生産性を上げるしかない」と政治家が口にしても選挙に悪影響が出なくなったのは、おそらく、G(グローバリゼーション)とL(ローカリゼーション)の経済成長戦略について述べ、大きな反響を呼んだ拙著『なぜローカル経済から日本は甦るのか』(2014年)が出版されたあたりからではないか。いずれにしても、ここ数年の話である。
それもあって、日本では誰に遠慮することもなく、AIやIoTやロボティクスのテクノロジーをガンガン入れて、ガンガン生産性を上げていける土壌ができつつある。
ローカル経済圏から政治的な突き上げを食らっている欧米先進国では考えられない状況で、ほとんど唯一の存在ではないか。
発展途上国では人を使ったほうが安いし、新興国でもまだ自動化に対するニーズはそこまで高くない。世界で唯一、日本だけが国の総意としてAIやIoTに積極的にチャレンジできる。だから、チャンスなのだ。
デジタル革命第三期の金になる展開領域であるリアルでシリアスな産業群では、より早く実用展開し、そこからさまざまなフィードバックを受けることで、AI自身が強化学習的に進化する。
なんせリアルな世界は、事実は小説よりも奇なりで、とにかく関係因子がやたら多く、かつ可変的だからだ。
そして、さらにはその先でソフト・ハード統合的なソリューションの質が高まっていくことによって、他社では真似の難しい競争障壁が構築されるパターンが成立する。
これはビジネスという意味でも、将来的にグローバルに展開できる大きな可能性を意味している。
世界で吹き荒れているG(グローバリズム)からL(ローカリズム)への風向きの変化は、今の日本と日本企業にとっては強烈な追い風になりうるのだ。