【藤原和博・後編】グーグルがあれば学校や教師は不要か

2017/3/25
「スーパー・スマート・スクール構想」を掲げて2016年4月奈良市立一条高校の校長として赴任した藤原和博氏。教育改革の実践者としての藤原氏に、2020年を見据えて日本の教育はどうあるべきかを聞いた。
──奈良市立一条高校では「スーパー・スマート・スクール(SSS)」として、さまざまな改革に着手。その理念から教えてください。
藤原:スーパー・スマート・スクール、つまり「SSS構想」は、21世紀型の学力を養うことを目指すもの。これからの成熟社会に必要な3つの力、<情報処理力><情報編集力><基礎的人間力>のうち、多様な情報を編集し「納得解」を導き出す<情報編集力>を、ICTを活用しながら育成していく学校です。
生徒がスマホを活用した「個別最適化学習(アダプティブ・ラーニング)」に取り組むことや、「よのなか科」を通じて大学入試改革に対応した「思考力・判断力・表現力」を向上させることを目指してスタートしました。
──一条高校ではICT教育の要としてスマホを導入されました。タブレットではなく、スマホに着目した理由はどこにあるのでしょうか?
スマホは高校生にとって最も使い慣れたデバイス。ICT教育というとタブレットを導入する学校が多いですが、タブレットは動画や写真、ウェブを見るのには適しているが、キーボード操作には慣れていないから、高校生が自分の意見を打ち込むには不向きでしょう。結局、教師が見せたい資料を見せるだけという、百科事典的な一方通行の使い方をしているケースがほとんどです。
その点、今どきの高校生は毎日、話すようにスマホでコミュニケーションしているからキーボードよりも使い勝手がいい。両手フリックで自在に文字を入力する彼らから、自分の考えを引き出しやすいんです。
──実際にスマホを使ったICT教育を実施されて、どんな成果が出ていますか。
スマホを中心にしたICT教育は、おそらく、世界で初めての試みでしょう。そのため、インフラ面での課題が浮き彫りになりました。
一条高校では個人所有の異なるスマホを学校のWi-FiにつなげてICT授業を進めていますが、この「個人所有の異なる端末」というのが大きなチャレンジでした。統一化されていない個別のOS、異なる契約形態を持つデバイスが、これほどつながりにくいというのは予想外でした。最後はどうしてもつながらないデバイスを手作業で個別に設定変更することで、インフラが整備できました。
スマホを活用したアクティブ・ラーニング
──ICT化において、いかにインフラ整備が重要かということがうかがえるエピソードです。スマホの導入で感じた手応えもあるのではないでしょうか?
ICT教育の最も優れた点は、教師から生徒へ一方通行の授業から、生徒の情報や意見、あるいは質問を教師に逆流できることにあります。
スマホを使ったICT授業では、一斉授業で積極的に手を挙げる一部の子どもだけでなく、これまで授業に参加していなかった子どもたちも主体的に意見を発信するようになる。そうした意見を教師が受け取り、さらに議論を深めていけるのです。これこそ、まさにアクティブ・ラーニングの実践です。
生徒たちのトップ画面には「スタディサプリ」「C-ラーニング」「グーグル」の3つのアイコンが設定されています。この中でも、アクティブ・ラーニングの観点で特に可能性を感じたのは、C-ラーニングによる「アンケート機能」でした。
これはアンケート形式の設問に回答すると、一瞬で答えを集約して教師の手元や全体に表示できるシステムです。
スマホで意見交換するという利点が最大限発揮されます。手を挙げて自分の意見をいうのはハードルが高いが、スマホでアンケートに記入するなら参加しやすい。実際、ほぼすべての生徒が回答したことには、私も驚きました。
つまり、全員が、教師から当てられて個別に意見を言っているのと同じことなんです。今までなら手を挙げず、教室では目立っていなかった生徒からもユニークな回答を引き出せ、その生徒にスポットライトを当てることもできる。意見交換が活発になり、考えをシャッフルするブレスト効果も高くなりました。このスマホのアンケート機能は匿名性を確保して、授業評価などにも活用していけると思います。
「みんな一緒」から「個人に引きはがす」
──藤原さんが行う「よのなか科」の授業はアクティブ・ラーニングのお手本になっています。
よのなか科では、社会における正解のない課題に対して、自分で仮説を立てて試行錯誤する。例えば「かき氷を片手で食べられるようにするには」や「ハンバーガー店をどこに出店するか」「世界から飢餓をなくすには」のブレストから、「英語を公用語化すべきか」「安楽死の是非」「宗教とは何か?」といったテーマでのディベートまで。
簡単に答えが出ない問題に対して、複眼的な思考を重ねていくことで答えを導き出す授業です。自分なりの「納得解」あるいは「仮説」をみつけることが大事になってきます。具体的には「一条LABO」の動画をご覧ください。
議論を深め、思考を巡らせるために、ブレーンストーミングやディベート、ロールプレー、シミュレーションなどの手法を取り入れ、最後は必ずプレゼンをさせます。それが、思考力、判断力、表現力を鍛えるのです。そして、スマホを使ったICT教育を掛け合わせることで、生徒の主体性が増し、より強力な学びの実践となります。
Photo by Mitsufumi Ikeda
──ICTを取り入れた「よのなか科」の授業は、高校生たちの人生観や職業観にどのような影響を与えるのでしょうか。
今の高校生はAIと共存する社会を人生90年という時間軸で生きていかなくてはなりません。それを踏まえたうえでの高校教育は、義務教育で培われた「みんな一緒がいい」から、それぞれをひとりひとりに引きはがし、個人として生きる準備をするためのもの。そこには当然痛みが伴います。
どこまでみんな一緒がいいのか、どこから自分を突出させていけばいいのか? 「よのなか科」での学びは、そういう痛みと戦うための目に見えない武器になる。その武器を子どもたちにしっかりと手渡し、エールを送ることこそ、高校教育の真の役目だと考えています。
よのなか科ではアンケートを非常に重視していて、そこから議論を深めていきます。生徒だけでなく、地域の人や保護者なども参加しますが、当初は大人と生徒の意見には明らかなレベルの差がありました。
それが、大人と遜色ないほど生徒たちの意見を述べる力量がアップしました。よのなか科とC-ラーニングの掛け合わせには、大きな可能性を感じています。
──アダプティブ・ラーニングという意味では、スマホ活用はどこまで効果があったのでしょうか?
生徒個人のレベルに最適化して学ぶアダプティブ・ラーニングの実現のために「スタディサプリ」を導入。自分のペースで予習や復習を好きな時間に、しかも一流の講師陣によるわかりやすい授業で受けられる仕組みを作りました。
これに関しては、自分のペースで学ぶ仕組みゆえに、本人の性格や目的次第で使いこなし方が違う、というのが今のところの実感です。なかには、わざわざ私のところまで「スタディサプリのおかげで数学の成績がアップしました」と報告に来た生徒もいました。
学校、教師が生き残る道
──今後、日本の教育、学校のあり方がどう変わっていくのか、という点についてお伺いします。
前編でも語ったように、今後教師の絶対数も質も下がっていくことは避けられない。だから、これまでのように学校での手厚い教育というのは期待できないかもしれません。これは誰が悪いということではなく構造的な問題。結果として学校の「教育力・支配力」が下がっていくことになるでしょう。教育界は今、そこに戦慄を覚えている。
──教育の中心であった学校の支配力が下がったときに、新たな学びをどう模索していけばいいのでしょうか?
例えば2020年以降、小学校では5年生から英語が教科化され、文法を学ぶようになります。教育力の低下した学校には当然対応しきれないので、外部の機関と連携することになる。望む、望まないにかかわらず、そういう選択をせざるをえないでしょう。
一条高校で導入したスマホも、学校が「外の世界とつながる」象徴的な存在です。スマホとつながると、そこからカルチャーは変化していくでしょうね。「グーグル博士」や「ユーチューバー先生」だって教育現場にどんどん入ってくるはずです。その点については、生徒の感覚のほうが進んでいますから。
──学校が外の世界とつながっていくことで、教師と生徒の関係性も全く変わってしまいそうです。
教師の指導力は、年齢構成からいって構造的に低下していくでしょう。逆にネットで知識や情報を得やすくなっている分、生徒のほうが特定分野で専門性を持つこともありうるでしょう。
そうなってくると、先生と生徒は「チーム学校」として、ともに学ぶ存在になっていく。学校という場は、生徒の専門性も生かしながらさまざまなものにアクセスしていくことで、先生や生徒、地域社会が「ともに学ぶ場」として生き残っていくんだと思います。
すべての知識がグーグルの向こう側にあったら、教師はいらなくなるでしょうか。私はそうは思いません。グーグルでどんなに知識が簡単に得られるとしても、グーグル自体が子どもたちに学びの喜びを教えることはできないでしょう。
教師が一緒になって学ぶ姿を見せることで、学び方や学ぶ楽しさが子どもたちに伝染していく。教育というのは伝染、感染なんです。見方を変えれば、学びの喜びが伝えられることが教師の必要条件であり、学校が生き残る道だと思うのです。
ともに学ぶという点では、親も同じ。子どもに教えるのではなく、子どもを巻き込みながら、新たな時代をともに生き、学んでいく。そういう姿勢がこれからは必要になっていくでしょう。
(聞き手:久川桃子 構成:工藤千秋 ポートレート撮影:稲垣純也)