【前編】なぜトヨタの名経営者は、歴史から“消された”のか

2017/2/18
トヨタ自動車のお膝元である愛知県で、この本を読んでいないビジネスマンはいないーー。昨年10月に発売された経済小説「トヨトミの野望 小説・巨大自動車企業」(講談社、梶山三郎著)は、世界最大の自動車メーカーであるトヨタをモデルに、その「創業家支配」というタブーに切り込んだ問題作だ。NewsPicks編集部は、トヨタを騒然とさせている覆面作家への120分にわたるロングインタビューに成功。その驚きの内容を、全3回に分けてお届けする。

トヨタ史から消えた男

──この作品はあくまで小説ですが、トヨタ自動車のタブーである「創業家支配」とその内側に迫った、ノンフィクションのような読後感があります。
企業経営というのは、美談だけでは済みません。そこには権力闘争やドロドロした人間関係がある上で、経営をやっているのです。
この本を書こうと思った理由は、トヨタ自動車をグローバル企業に成長させた功労者である奥田碩相談役(社長在任期間:1995年〜1999年)が、トヨタの歴史から“抹殺”されようとしているからです。
小説の中で、奥田さんをモチーフにした「武田剛平」という名前の主人公が、巨大自動車メーカーの「トヨトミ自動車」の社長として登場します。
NewsPicks編集部の取材に答える覆面作家の梶山三郎氏(写真=NewsPicks撮影)
奥田さんが社長に就任をした際、トヨタの年間売上高というのは8兆円(1994年度)でした。それを会長職から退任するまでの約10年間で、24兆円(2006年度)近くにまで押し上げたのです。
つまり、グローバル化の大きな波に乗ることに成功した訳です。
1990年代の日本経済を振り返ってみると、景気が後退する「デフレ・スパイラル」にはまりこみ、山一證券など名門企業の倒産も起きていました。そんな時代に、大きな成長を遂げたのです。
豊田家から経営者のバトンを引き継いだ奥田さんには、そうした意味で、グローバライゼーションに対する先見の明があったのです。
──しかし小説内では「創業家支配」というタブーに踏み込んだために、創業家会長の逆鱗に触れて、あえなく社長の座を追われます。
世界のTOYOTAにおいて、創業家である豊田家の持株比率というのは、わずか2%ほどに過ぎません。しかし、実際には豊田家の「本家」がいまでも厳然たる力を持っています。
奥田さんは、そんな豊田家の「あり方」についても言及した、めずらしい経営者でした。
そうした経緯もあって、実はトヨタが制作している『トヨタ自動車75年社史』(2013年刊行)からも、奥田さんという経営者の存在はほとんど消されているのです。
また豊田章一郎名誉会長(豊田章男現社長の父親)の半生について、日経新聞の紙面上に掲載された連載『私の履歴書』(2014年掲載)でも、奥田さんについてはほとんど言及されませんでした。
トヨタをモデルにしたテレビドラマ「LEADERS リーダーズ」(同年)に至っては、豊田喜一郎、豊田章一郎、豊田章男というトヨタ創業家の3代にわたる活躍が露骨にクローズアップされました。
ある意味で豊田家は、トヨタの歴史を作り変えようとしているのではないでしょうか。
トヨタの取材を担当している主要メディアの記者たちも、こうした状況を内心では「おかしいな」と思っているはずです。

小説だから問える「本質」

──型破りな主人公が過去フィリピンに左遷されていた経歴なども、奥田氏の歩んだキャリアと重なりますね。
主人公は歯に衣着せない物言いが災いして、「トヨトミ自動車」の経営幹部の経費支出などを指摘したために疎まれ、フィリピンに左遷されてしまいます。
地元の有力者から、長らく支払われていなかった売掛金を回収するという困難なミッションを、異国で課せられた訳ですね。そして当時フィリピンの独裁者として知られる、大統領にまでコネクションを広げていきました。
実際の奥田さんも、過去にフィリピンの首都マニラに赴任していました。
(Bloomberg via Getty Images)
そこに偶然、豊田章一郎さんが訪ねたことがあるのです。長女の夫が大蔵省(現財務省)の高級官僚で、アジア開発銀行に出向してフィリピンで勤務していたからです。
思いもかけず、後に後継者として抜擢する奥田さんと出会うことになるのです。
小説内では、フィリピンで採取できる蝶について聞かれた主人公が、「夜の蝶ならいくらでも紹介できますが」と切り替えして、一気に二人は打ち解けます。
「夜の蝶」の話は、取材で集めた話を組み合わせたフィクションです。
しかし、こうした経営者たちの来歴を描いたエピソードの多くは、一般にも知られている事実を下地にしています。
──何故、わざわざ小説に仕立てたのでしょうか。
小説というのは、本当のことを伝えることができる、ひとつのソリューションです。
例えば、ベストセラー小説『ホテル』(1965年)や『自動車』(1971年)の作者で、社会派作品を世の中に送り続けた作家のアーサー・ヘイリーも、かつて「本当のことを伝えたかったら、小説を書くしかない」と言いました。
また小説のほうが、より多くの人に楽しみながら、読んでもらえるチャンスがあります。
仮に50年前の歴史を描くのであれば、当事者はおらず、筆者としては書きやすいでしょう。しかし奥田さんを始めとして、この本のモチーフになっている人々は、みんなまだ生きています。
この20年間、トヨタの内部ではどのようなことが起きたのか。その本質をざっくりと伝えるためにも、エンターテイメント小説として提示したかったのです。
物語を描くための素材は、ジャーナリストを始めとして、さまざまな方々から集めた情報を基にしています。それを組み立てて、完成させました。

ロビー費用が減った理由

──自動車大国である米国との関係についても、ページを割いていますね。
奥田さんが経営者をしていた時代、トヨタはアメリカの政治権力にかなり近づいていました。
当時のジョージ・ブッシュ大統領のお膝元であるテキサス州に、巨大な工場建設のため1000億円を投資する一方で、民主党の政治家への配慮も欠かしませんでした。
ある意味では、政治家に鼻薬をかがせるような、ロビイングも上手にやっていたのです。
しかし現在のトヨタは、そうした活動を「ダーティ(汚れている)」と見なしている感じがしてなりません。とりわけ現社長の豊田章男氏は、こうした仕事の重要性をあまり認めず、実際にトヨタのロビー費は2000年代より減少しています。
しかし、米国を始めとしたグローバル市場での競争というのは、そう生ぬるいものではありません。
(写真:Bloomberg via Getty Images)
主人公は作品内で「ビジネスは戦争だ」というセリフを、何度も繰り返します。そこにはアメリカという国の怖さについても、にじませたつもりです。
──野武士のような主人公に対して、大事に育て上げられた創業家の御曹司は、まるで対象的なキャラクターとして描かれています。
奥田さんという経営者を、敢えて歴史上の人物に例えるのであれば、江戸時代中期に実権をふるった田沼意次のような存在ではないでしょうか。
外国との貿易に注力し、重商主義政策を推し進めて、経済を活性化しました。
しかし田沼意次が失脚した後の、松平定信の時代になると、そうした田沼時代のやり方を全否定するようになりました。そして「寛政の改革」で、潔癖なやり方を掲げた訳です。
そうした方向転換は、豊田章男社長が率いる現在のトヨタのようです。
過去に腕をふるった経営者の存在が、完全否定されようとしているのです。そしてトヨタを取材するメディアも、そういった状況を書きません。
しかし結果として、松平定信の時代に、経済は良くなりませんでしたよね。

社長も、創業家の「使用人」

──巨大企業のトップである主人公が、一方では自らを創業家に奉仕する「使用人」のようだと、自嘲するシーンも印象に残ります。
この小説は巨大企業の「創業家」と、その「使用人」であるサラリーマン社長の物語でもあります。
主人公が社長に抜擢された後、役員らとテーブルを囲む食事会のシーンがあります。そこで創業家に財閥から嫁入りした会長夫人が、上品にふるまわないサラリーマン社長である主人公に敵意をこめて、いきなりお腹を掴んでこう発言します。
「ダイエットしなさい。伊豆の断食道場を紹介するから」
お腹を掴んだところはフィクションですが、こうした発言などは、実際にあったエピソードを基にしています。
またトヨタの創業家は、親の代から尽くしてきた二世の幹部社員たちを重用してきました。
一方で叩き上げの主人公が目論むのが、グローバル企業としてさらに成長する上で、創業家は「君臨すれども統治せず」という仕組みに変えてゆくことでした。
創業家は巨大自動車グループを束ねる象徴である。しかし激しい競争にさらされる事業においては、能力に応じた人材登用をやってゆく。
それをベストソリューションだと思っていた訳です。
──グローバル企業にも、創業支配が強く残っている企業はトヨタの他にもあります。例えば、韓国最大の財閥であるサムスングループもそうです。
いい意味では、創業家というのは、組織を束ねる力があります。
しかし、ややもすると創業家の力ばかりに社員たちの目が向いてしまうリスクもはらんでいます。
グローバルな事業を展開する時には、あらゆる価値観と常に対峙しなくてはいけません。イスラム教の国でも、欧州でも米国でも、色々な地域で情報のアンテナを立てなくてはいけない訳ですね。
しかし創業家の力が強すぎると、ちょっと会社経営の方向が狂ってしまうと、大きな組織でもすぐ「内向き」になってしまうのです。
加えて言えば、日本のメディアにとって、トヨタの創業家という題材はタブーでした。
トヨタといえば、世界に知られた「カンバン方式」を磨いてきた日本のものづくり企業です。またそれを築いてきた、故・大野耐一さんのような伝説的な技術者もいます。
しかし、果たして「美談」だけでいいのでしょうか。
グローバル競争でどんなタフなことが起きているのか。そして社内の激しい権力闘争や、人間関係の好き嫌いとか、ドロドロとした部分もふくめて、トヨタは経営をしている訳です。
格好のいい経営コンサルタントたちが書く本では、そういった企業の側面は見えてこない訳です。だから私は「覆面作家」として、この本を出しました。
実名では、とても書けないのです。
*中編に続く
(バナーイラスト作製、イラストレーター平沢下戸)