東京電力:再編、国が「仲介」 円卓会議、大手電力に要請
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「競争がないが形だけ民間」という会社に国がどこまで関与すべきか、というのは難しい問題ですね
最近の話題でも、通信キャリア、農協などそれぞれ事情も違うし論点も違うが、「これは関与すべき/これはすべきでない」というのが結構「感情/世論」で決まるもんなんだな、というのが実感
自分としても明確な「軸」は持てていないな、と思うところで、このへんは日本に限らず各国での共通課題だろうから学問的な整理もありそうなので、少し勉強してみたいところです経産省側には、電力9社を3,4社くらいに統合したいというビジョンがあり(境界線は諸説ある)、その思惑の延長線の上にある話の一つだろう。一方で「自由化」「分散化」「再エネ」などと言いながら、そうしたコントロールしにくいものは基本的に官僚は目指さない上に、現実としても広域統合運用の必要性もあり、既存電力会社を機能分社化・ホールディングス化した上で、官製で広域からガチガチに縛る。これが、「電力自由化」ではなく「電力システム改革」と呼ぶ所以ではないか。
一方で、国民感情として、原発賠償・廃炉のコストの負担をどうするかの問題がある。国民の多くは解決策がないことは知っているが、"きっといい思いをしている"であろう、東京電力関係者がズタボロになった上でそれでも足りないなら周囲が支援するしかないと感じている。菅政権が賠償機構を設立した判断で"東電ズタボロ"演出は困難になり、機構を通じた税金注入によるゾンビ化東電を盾にして、政権は批判をかわして来た(それ以外の道はないとする意見もある)。
今回の記事の見出しが「電力再編」ではなく「東電再編」となっているのはそうした国民感情を考慮した官僚側の味付けだろう。結果的にエネルギー企業はぐちゃぐちゃにされ、当時の主体としての記号は見えなくなることで、"オールジャパン"で原発コストを負担していくシナリオになっている。それが国民の感じる違和感の正体だろう。
私のこの分析には裏付けとなる確固たる証拠はなにもない。一部関係者から漏れ聞いた本音や、各主体の行動原理から、私の中で腑に落ちる(矛盾のない)説明を加えただけで、どんな批判にも耐えられない。
安倍政権はかなりうまくやっていると思うが、民主党から茂木大臣(当時)が引き継いでしまったエネルギー政策の負の遺産を処理し切れているとは言えない。無謬性原理の官僚主導では不平等と不満は大きくなるばかりだ。はやくなんとかしなければ。