ニコン、富士重が創業100年=全国で1118社-17年
コメント
注目のコメント
100周年は多くの会社が厳しい。
日立もそうだった。日本無線も。ニコンは今、苦しいが、過去の100年から考えれば、危機を奇禍として再成長するだろう。
ニコンは、光学機器の国産メーカー育成を期待され、三菱財閥によって、東京計器の光学計器部門と岩城硝子製作所の探照燈反射鏡部門が統合されて誕生。
(東京計器は、航海計器の和田計器製作所が起源であり、後にトキメックに名称変更、また、東京計器。岩城硝子製作所は、戦後、旭硝子が資本参加、コーニングとも関係があったが88年に二部上場、2005年に旭硝子の完全子会社となり現在は、AGCテクノグラス)
また、直後、当時、望遠鏡や双眼鏡の国内メーカーでトップのレンズ製作技術を持つ藤井レンズ製作所が参画。
ゆえに、ニコンは、実質、この2社2部門と1社が源流。戦前は、BtoCのカメラは無く、BtoBあるいはBtoGの測距儀や望遠鏡等が主力。
戦後は、マッカーサー元帥の「日本は東洋のスイスたれ」という談話もあり、小国だが永世中立、時計など精密機器で世界に存在感を示すスイスを手本に、ハイテクを平和利用し復興に役立てようという政策の下、カメラ、時計産業が強化。多くの工場が焼け野原となり、公職追放などもある中で、ニコンの戦後も大いに困難を極めた。戦前、2.5万人いた社員や派遣臨時工は2000人を切るほどにリストラ。(この頃、やめた技術者が、キヤノンの設立に大きく寄与)
戦後、ニコンが光学技術を民需で生かす道を模索する中でカメラというのは一見、素直な流れだし、航空用カメラ等の経験はあった。しかし、最高のハイテク、コスト度外視の性能重視で受注生産の測距儀などのBtoGからいきなり、コストは重要でマーケティングやブランドも鍵のBtoCへのいきなりのシフトは、大きなチャレンジ。しかも、当時は国内市場では国民はカメラ等買う余裕もなく、国際的にはライカを始めとしたブランドが優位。1946年にカメラとしてのNikonブランドが登録されたが、第一号は1948年と苦戦のあとがみえる。その後は、プロカメラマンからの評価により、主力製品となり1950年代にはカメラメーカーとしての地位を築いた。宣伝話みたいですが、毎日新聞は2月に創刊145年を迎えます。毎日新聞と同じ明治5年の創業にはJR東日本と資生堂があります。太政官令が出た年、太陰暦から太陽暦に代わったこの年に、情報と交通と生活のインフラ企業が誕生しました。今は情報インフラの大革新期。新聞が21世紀に生き続けられるかどうかはこの5年、創刊150年までが勝負だと考えています。変わり続けるものだけが生き残れる。その言葉を噛みしめて。
日本は世界に類を見ない長寿企業国家。下記のサイトによると、200年以上の歴史を持つ老舗企業は世界41か国で5586社。そのうち日本は3146社(全体の56%)とダントツの世界一。世界最古の企業は、578年創業の大阪の建設会社、金剛組。世界2位の企業は山梨県の旅館・慶雲館、との事。100年以上だと2万6000社!
http://globis.jp/article/1416
https://nikkan-spa.jp/1024198