意見の違う相手と議論をするとき、けんか腰になってしまいます
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ごめんなさいごめんなさい!けんか腰のつもりはなくても、けんか腰と捉えられることがある…相違点があれば、そこを明確にして根拠掘り下げをやるのが一番早いと思ってるからなのだが。ちなみにエンジニアの方は、こういった意見の相違を「殴り合い」と社内では読んでるらしく、先日ある人に「Katoさんは殴り合いを互いに好む人とはピッタリハマるよね。エンジニアは殴り合いが基本だし、だからかね」と言われた。
自己の正当化は大いに含むのは自覚した上で、同意することは同意すべきだが、同意できない点をちゃんとぶつけることも、とても重要。人格否定になるような言葉を使わない、「相手が自分の意見を否定する≠自分の人格否定」で議論をできることは、議論の技術論として必須。
〈追記〉自戒も込めて、意見が異なる時に、人格否定の言葉を使わない・感情的にならない、が一番の基礎技術かつ大事なこと。
意見の相違があっても、双方とも意見が異なることを感情的な議論にならないように努力・敬意を払うこと。〈追記終〉交渉は「コミュニケーション」であり、議論とは別物。ケンカ腰はまずいです。交渉の肝は、
⑴はじめに強気の球を投げる(アンカリング)
⑵第2の選択肢を持ち、自分に逃げ道を用意してから交渉に臨む
⑶自分には比較的どうでも良いが相手にとって重要なことを譲る
⑷沈黙に耐える
⑸相手の譲歩できるレベル感を探ることが交渉術の要
このあたりに詳しいのは、
「武器としての交渉思考」瀧本哲史著(星海社新書)けんか腰になるタイプ、意外に嫌いじゃないです。そこには何かしら譲りたくないものがあって、ただの頑固なのか、それとも想いがあってのものなのか。頷いてみたり、時にはこちらもけんか腰になってみたりして着地点を見出します。
議論は何かしらの行動につなげるものだと思うので、方向性が多少違っても、強いベクトルを持っている人は力になってくれる人が多い。
一番苦手なのは、会議の場で何も言わず、後でぐちぐち言っている人。それと比べるとけんか腰、ありがたいくらいです。