日本人が知らない、ハイテク都市「中国のシリコンバレー」

2016/11/21
2016年8月、東京・品川駅のコンコースを、ある挑発的な人材募集広告が埋め尽くした。
「夢を見るか、それとも現実にとどまるか」
広告には、1人の宇宙飛行士が、美しい地球に向けて手を上げている「夢」と、無機質な表情をしながら、スーツ姿で会社に向かう企業戦士たちの「現実」を象徴する、対象的な2枚の写真がデザインされていた。
広告主は、世界最大のドローン(無人航空機)製造企業である中国のDJIだ。
DJIが日本人エンジニアに向けて作った人材募集の広告(同社公式サイトより)。
ドローン産業によって新たに生まれる市場価値は、現時点で14兆円に上る(英コンサルティング大手・PwC推計)とされている。その先端をゆくDJIが、わざわざ品川駅という場所を選んで、広告を打ったのには理由がある。
狙いは、この品川駅のコンコースを通って通勤をしている、日本を代表するカメラメーカーであるソニー、ニコン、そしてキヤノンマーケティングで働くエンジニアたち。つまらない「現実」を続けるのではなく、成長するDJIで一緒に「夢」を見ようと、呼びかけたのだった。
「2015年末にわずか3人でスタートした日本の技術開発部署は、すでに50人以上のエンジニアが働いています。主にドローンに搭載するカメラ関連の技術をカバーしています」(DJI広報担当者)
日本ではソニーやキヤノンほど知名度はないが、DJIは今や全世界に約6000人の社員を抱えており、時価総額にして1兆円(2015年時点)を上回ると言われるほどの巨大ベンチャーに成長している。映像産業ではもはや、知らない人はいないほどの有名ブランドだ。
その勢いはめざましく、その有り余るパワーで、閉塞感に包まれている日本の家電メーカーを横目にビジネスを急拡大させている。
中国の深圳にある、DJI直営のフラッグシップショップ。 Photo by Naoyoshi Goto
では10年前に、このDJIが産声を上げたのはどこだったか。
それこそ、近年になって米国シリコンバレーの中国版である「紅いシリコンバレー」と呼ばれるようになった、深圳(シンセン、広東省)という巨大なハイテク都市だ。そしてDJIは、そこで生まれてきた、無数にある新興企業の一つにすぎないのだ。

「未来都市」の原点は製造業

人口にして約1100万人を抱える深圳は、中国の首都である北京や、ビジネスの中心地である上海をはるかに凌駕する成長を遂げてきた。
1980年から2015年の35年間を振り返れば、深圳の実質GDPは年間平均で23.0%と、異様なスピードで成長しつづけてきことが分かる。もちろん、それは北京(10.1%)や上海(9.9%)をはるかに上回っている。
中国の広東省にある深圳市は、中国でも最も豊かな大都市に発展している。
アジアの金融センターである香港に陸地で接している好立地と、中国の初期の経済特区(1980年指定)として自由なビジネスが認められるという追い風に乗った。それまで人口わずか3万人ほどだった小さな漁村は、みるみるとその姿を変えて行き、いまや摩天楼が立ち並ぶ「未来都市」のような風貌になった。
その中心地には、中国を代表する巨大なIT企業たちが、本社を構えている。
まずは、世界最大の通信機器メーカーとなった、華為技術(ファーウェイ)。携帯電話のネットワークなどを支えるインフラ機器から、多種多様なスマートフォンまで製造販売をしており、国際特許の取得件数では世界1位を誇っている。
モバイル時代を象徴する、中国の国民的メッセージアプリの「微信(WeChat)」を運営する騰訊控股(テンセント)も、この深圳で生まれた企業だ。そのサービス領域はコミュニケーションを超えて、決済からタクシー配車、コンテンツ配信まで、14億人の生活に必要不可欠なインフラとなっている。
台湾資本ではあるが、世界中のアップル製品の製造組み立てをしていることで知られている、鴻海精密工業(フォックスコン)が、パソコン用の電子部品などを製造するため、中国本土に初めて工場を建設したのも深圳だった。
かのアップルのiPhoneも当初は、フォックスコンがこの深圳の龍華地区に建設した工場にて、巨大な生産ラインと人海戦術によって作られたものだった。
アップルがデザイン設計したiPhoneは、最後は深圳で組み立てられた。 Getty Images
上記の他にも、リチウムイオン電池メーカーから電気自動車、電気バスまで作るようになった比亜迪(BYD)や、遺伝子研究分野で中国トップのBGI(北京から本社移転)など、新興企業が次々と生まれてきた。
こうした大企業が「ゆりかご」のような存在になって、ハイテク機器をつくるために必要な電子部品メーカや工場などが巨大なサプライチェーンへと育ち、世界有数の「製造業の都」はできあがった。
言い換えれば、それだけではシリコンバレーのような革新的なサービスや技術を生み出せるような場所にはなれない。IT機器の生産を担う「製造業の都」は、一方で、大量の模倣品を作り出す「コピー商品の都」でもあったのだ。
そんな状況を近年変えつつあるのが、IoT(モノのインターネット)によるハードウェアの進化と、若くて、アイディアに溢れる起業家たちによるエコシステムの登場だ。

シリコンバレーの「4倍速」で進む

今日、思いついたものが、明日から形になる──。
深圳には今、中国からだけではなく、欧米からもたくさんの起業家たちが集まるコミュニティができあがりつつある。
とりわけ新しいモバイル端末やロボットなどを作ろうというベンチャーにとって、半径数キロメートルのエリアに無数の電子部品メーカーや工場がある深圳は、シリコンバレーをよりもはるかに素早くものづくりができる「聖地」だ。
「シリコンバレーの1ヶ月間は、深圳の1週間です」(現地IT企業社員)
欧米からも、ハードウェア関連のベンチャーが集まる深圳。 iStock by Getty Images
2011年に設立された、ハードウェア分野のベンチャー企業に特化して、資金や経営をサポートしてる「HAXLR8R(ハクセラレーター)」は、すでに100社以上に投資をしている、コミュニティのハブ的存在の一つだ。
投資先は、海のものとも、山のものともわからないハイテク機器を続々と生み出している。
生体認証技術をつかった、自転車の防犯ロック。女性が簡単に妊娠や体のサイクルを確認できるスマートフォンアプリと、それに最適化された温度計。インターネットにつながる、不思議な調理器具の数々──。
そんな未来のハードウェアを磨き上げていく中で、冒頭に紹介したような、世界最大のドローン企業であるDJIのような存在が再び生まれるはずだ。
それだからだろう。かつてはこの地を製造現場とみなしていたアップルも、ティム・クックCEOが2016年10月、この深圳に新しい研究所を設立すると発表した。
中国で最も勢いのあるハイテク都市となった深圳。 iStock by Getty Images
いまテクノロジーの世界では、インターネット空間の中にあった無数のソフトウェアやサービスが、いよいよリアルな世界のハードウェアと結びつくようになってきている。ロボット、ドローン、IoTといった言葉も、そうした文脈の上に並んでいる。
「製造業の都」から、「イノベーションの都」へ──。
中国の「未来都市」になることを目指しているは深圳では、今日も、見たこともないような商品やサービスが生まれようとしているのだ。
4倍速で進化するIT都市・深圳
紅いシリコンバレー