ダルビッシュも経験。トミー・ジョン手術に必要な正しい理解

2016/9/23
私は現役時代、肩やひじの手術を5回経験しています。当時は「投げろ、投げろ」という時代だったから、ある意味、それも当然といえるかもしれません。
最後の5回目の手術が、いわゆるトミー・ジョン手術でした。側副靭帯(そくふくじんたい)再建術といわれるもので、ひじの靭帯断裂を再建するための手術です。
トミー・ジョン手術は日本でも2、3年前に話題になりましたが、現在はあまり聞かなくなりました。
日本ではさまざまなことがブームで終わる傾向にありますが、それでは問題が解決されません。特に肩やひじの問題は、メディアなどでもっと徹底的に議論していかなければならないと思います。
なぜなら、つねに被害者になるのは選手だからです。
今季はテキサス・レンジャーズのダルビッシュ有投手がトミー・ジョン手術から復帰し、実戦で投げていますが、彼を見ていると心配な点があります。

ダルビッシュの肩・ひじに警鐘

トミー・ジョン手術を受けると、復帰までのリハビリ期間中(1年半)にたくさん時間があります。そこで私はトレーニングをやりすぎた結果、1998年に中日に入った後、ケガをしました。ものすごい反省点です。
ダルビッシュ投手は、私と同じことをしているように思います。だから彼の肩やひじがずっと心配で、「いつかケガする」と警鐘を鳴らしてきました。
ダルビッシュ投手は今季、ピッチングフォームのマイナーチェンジをしたといっていましたが、どういう意図でどこを変えたかはわからないので、そこに関して私が無責任なことをいえません。
今季途中トミー・ジョン手術から復帰したダルビッシュは、9月21日時点で5勝5敗、防御率3.81
しかし、体づくりに関しては失敗しています。
日本で体を大きくした後、メジャーリーグに行きました。渡米後、対外的には明らかにしていませんが、1度スリムにしています。その後にケガをして、それからまた大きくしたという報道が出ました。
これは、まずいと思います。
たとえば、最初にケガをするまでの期間が5年だとします。次にケガをするまでが3年になり、今度は2年で、1年、半年……と、一般的に、次にケガをするまでの期間はどんどん短くなります。つまり、ケガの頻度が増えていくわけです。
それで結局、現役をやめることになります。
私の感覚からいえば、ダルビッシュ投手はそのサイクルに入っているように見えます。自分自身が現役時代、「こういうトレーニングをしてはいけなかった」と感じたからこそ、ダルビッシュ投手についてそう思うのです。

現役続行へ、最後の賭け

私がトミー・ジョン手術を受けた1990年代、日本のトレーナーはリハビリの仕方を知りませんでした。なぜなら、前例がないからです。
そうした状況で私は、「手術しなければ、痛くて投げられない=現役生活が終わる」という状況でした。
しかも(読売)ジャイアンツをクビになった後なので、当然手術は自費です。
経済的にもギリギリでしたが、最後の賭けに出ます。ロサンゼルスに行き、ドクター・ジョーブ(故ジョーブ博士)に見てもらうと、こういわれました。
「手術すれば、治る。手術しない場合、リハビリして、炎症をとって、トレーニングして、ある程度は回復できるだろうが、また痛くなる。その繰り返しだ。どうする?」
そう聞かれた私は、日本に帰る飛行機の上で答えを決めていました。そして1カ月後、再渡米して手術を受けます。
術後、ドクター・ジョーブから「ひじの可動域を確保しなさい」といわれました。術前は痛くて伸びなかったのが、手術すればある程度伸びるようになるから、と。そうすれば投げることに関して有利になる、という見解でした。

恐怖心がなかなかとれない

自分で体験してわかったのは、リハビリは気持ちの問題だということです。外科的には治療が済んでいるのに、気持ちが怖い。恐怖心がとれるのに、時間がかかるんです。
リハビリ期間の最初は日本にいたので、やるべきことをやっていませんでした。ひじのリハビリだけに集中して、他の部位のトレーニングをしていなかった。走るだけとか、古典的なトレーニングでした。
いまでこそ「トミー・ジョン手術を受けたら、復帰するころにはパワーアップしている」といわれるくらい、選手たちは十分なトレーニングを積んでから実戦に戻りますが、当時はそんなことも知りませんでした。
私は復帰するまでに少ししかステップアップしていなかったので、後に再度ケガをすることになります。

アメリカのリハビリは論理的

リハビリの途中で運がいいことに、レンジャーズでスカウトをしている恩師が同球団に働きかけてくれて、マイナー契約してくれました。
当然契約金もありませんでしたが、「アメリカに来てリハビリをしろ」と。それで手術から7カ月後の9月、向こうでリハビリを始めます。
片言の言葉でのやり取りですが、アメリカのリハビリはすごくシステマチックで、論理的でした。日本で手術をしていただけに、両者の差をものすごく感じました。
アメリカの場合、「これ以上やるな」というラインが明確に決まっています。たとえば、「1日15分だけボールを握っていい」とか、「ランニングメニューはこれだけ。腹筋や背筋はこれ以上やってはいけない」。
そのラインを超えてやると、いわゆるオーバーワークになって、炎症が起きて、またケガにつながります。荒木大輔さんはオーバーワークで、トミー・ジョン手術を2回受けています。
でも、そうなる気持ちもわかります。こっちはもっとリハビリしたいので、「まだ11時なのに、今日のトレーニングは終わりなの?」と思います。
ところがトレーナーは、「もう終わり。帰って、釣りにでも行ってこい」という感じなんです。
それでもトレーナーをかたくなに信じてやってみようと思ったのは、こういわれたからでした。
「これから12カ月のリハビリプログラムの中で、次の3月には投げられるようになっているから、焦ることだけはしないでくれ。遅れても、来年中に投げられればいい」
そうやってトレーナーが親身になってくれ、さらに常夏のフロリダには素晴らしい環境がありました。日本の野球から離れて、ほとんどプレッシャーなくリハビリをすることができました。
それまでのプロ野球人生ではずっとケガを繰り返していたので、今回のリハビリ期間の1年間をかけて、ケガをしない体をつくろうとトレーナーと話をしました。

「ケガは自分との戦い」を実感

そうしてアメリカでトレーニングを行うと、日本とは方法が全然違いました。たとえばメディシンボールを持って、スクワットみたいなことを、正しいかたちで15回、2セット行います。
その日は、それだけで終わりです。トレーナーによると、休憩が必要だというのです。そのときに初めて、1日休んで、また次の日にトレーニングをやることによって、前日にやったトレーニングの効果が上がることを知りました。
栄養、トレーニング、休養のトライアングルの関係について、自分自身の体と頭で「そういうことね」と理解しました。それがはっきりわかるのは、そのまま自分の体に跳ね返ってきたからです。だから、体がどんどん強くなっていく。
ひじ以外は元気だから、「どんな球でも投げられそう」と思います。その一方、「ボールを投げてはダメだぞ」といわれます。
「ケガは自分との戦い」とは、こういうことかと感じました。
当時の心理状態を表現すると、自分の意識のなかに自分が投影されず、手術をした一人の人間がいて、「ああ、リハビリをやっているわ」くらいの感覚です。自分のなかに感情を置くと、どうしてもできなくなるからです。
なぜなら人間には、弱さがあるじゃないですか。普段の生活ではひじがずっと痛くて、さらに投げたいという気持ちもあります。それらをコントロールするには、客観的になる必要があったんです。
逆にいうと、そうしたケガを乗り越えることができて、自信がつきました。その過程で体づくりの方法やメカニック、さらに病気やリハビリについて学び、「野球ではこういうふうにすれば、こうなる」と、いくつかの方程式が自分のなかにできたんです。
復帰後は、アメリカで野球をやらせてもらえました。トミー・ジョン手術を受けてからの数年間でさまざまな経験をでき、いろいろなことを考えたことが、後にものすごくスカウトとして役立っていきました。
(構成:中島大輔、写真:Matt Brown/Angels Baseball LP/Getty Images)
*トミー・ジョン手術の話は、9月30日(金)掲載予定の次回に続きます。