【現地レポート】香港が変わった日

2016/9/7

もはや「経済都市」ではない

香港が変わった。
一言でいえば、香港はもはや「経済都市」ではなく、「政治都市」になった。
香港の代名詞は世界の金融センター、世界有数の貿易港など、いずれも経済を象徴するものだった。そこで生きている香港人は良くも悪くも拝金主義の生き物で、経済にしか興味がない。
そんなステレオタイプの香港観は、もう捨て去るべき時が来ている。
9月4日から5日にかけて投開票が行われた香港議会「立法会」の選挙を現地でウォッチしていて最も深く感じたことは、そのことだった。
筆者が香港に留学していたのは1990年のことだ。
「ニューテリトリー」を意味する「新界」という地区の小高い山にある香港中文大学で中国語を学んでいたのだが、同室には香港人の学生が3人いた。
当時の彼らは普通語(標準中国語)がうまくしゃべれなくて、私の下手な広東語でなんとか会話をしていたに過ぎないが、中国や香港の政治問題について議論しようとしたら、ほとんど相手にしてもらえなかった。
その後、香港は1997年の返還を経て、チャイナマネーで空前の繁栄を遂げた。
しばらく香港人は政治のことはどうでもいい、という気持ちでいたように思う。民主派は立法会で頑張っているが、ほとんどの人は中国の経済発展から利益を得ることに熱中して、政治には全体に「冷感(興味が薄い)」だった。

今後の主役は「本土派」か

しかし、今回の取材で出会った香港の人々は全然違った。
「香港で行われた今回の立法会選挙で躍進した、雨傘運動を経験した『本土派』の候補者たち」
「選挙どう?」と昔からの友人たちに聞くと「独立なんてあり得ないよ」「中国はひどすぎる」「民主派は古くさい」「あの候補はいい」などなど、人によって考え方はいろいろあっても、みんななんとなく心に火が灯っているのである。
香港の選挙は70議席のうち、35議席は職能団体別の間接投票で選び、残りの35議席は直接選挙で選ぶ。
職能別の方は親中派政党に有利に設計されており、7〜8割の議席は親中派が占めることになる。実際に香港の民意を図るには直接選挙で選ばれる残りの35議席を見ることになる。
今回の選挙の結果、35議席のうち、19議席を過半数の非親中派が取った。この中には、伝統的に「民主派」と呼ばれてきた民主党、公民党のほか、6議席は雨傘運動の参加者たちが立ち上げた「本土派(または自決派)」と呼ばれる新政党が含まれていた。
全体の70議席のなかでも、重要法案を否決できる3分の1を非親中派が確保し、香港議会のバランスは守られる形になった。
筆者の見方では、香港の政治は、今後、時間をかけながら、親中派と反中派に二極化していくと思える。
これまで香港では反中派の役割は「民主派」が担っていたが、これからの主役は次第により強硬な対中姿勢や独立意識を持っている「本土派」に移っていくはずだ。
もちろん、香港には中国との安定的な関係があってこそ、繁栄と秩序が保てると考える人もたくさんいる。彼らは今回、危機感をもっていつもよりも団結していた。中国からの締め付けもあったと聞く。香港人は「親中」か「反中」かの選択肢を突きつけられているのである。

投票所には長蛇の列

ただ、今回の選挙はあくまでも過渡期的なものだったと思える。
細かい議席数の結果よりもむしろ注目すべきは、定数70人に対して史上最多の289人が立候補し、投票率も過去最高の58%だったということではないだろうか。
人々が政党を作って選挙に挑みたいという政治の熱気があった。そして、小政党や独立系の候補者から実際に多くの当選者を出した。
投票率も、2008年の45%、2012年の53%と次第に増えている。香港で政治への人々の関心は次第に高くなっていることが伺える。
それは、特に2010年ごろから、中国が香港の自由や民主を制約しようとする動きを強めている流れと合致する。中国への反感が強まるほど、香港人の政治意識が目覚める構図になっているのは間違いない。
その最大の噴出点が2014年の雨傘運動であり、今回もその流れは断ち切られていなかったと言えるだろう。
「この選挙ではっきりしたのは、雨傘運動はまだ終わってはいなかった、ということ」と、香港政治に詳しい倉田徹・立教大准教授が述べている通りである。
候補者は長蛇の列をつくって投票所に並んだ。香港は投票終了まで選挙運動の規制がない。投票所の近くで、一生懸命チラシを配っている当落寸前の候補者に何人も出会った。こういう姿は、見ているこちらも元気にさせられる。
候補者の行列は夜10時半の投票締め切りまで続いた。並んでいる人たちが、投票できずに締め切られてしまった投票所もあったという。

日本人は傍観してはいけない

香港がこのような「政治都市」に変わったのはなぜか。
それは中国が香港問題のマネージメントで失策を繰り返しているからだ。
香港の高度な自治を保障する「一国二制度」を骨抜きにするような法律や制度が導入されようとしている。
たとえば、香港のトップである行政長官を直接選挙で民主的に選ぶ道を閉ざしてしまったし、雨傘運動にも「ゼロ回答」だった。
このままでは座して死を待つのみではないかという危機感を抱いた若者たちを突き動かしたのは、未来への「絶望」である。
中国が香港の自由や民主を制限すればするほど、香港人がどんどん中国から心が離れ、独立を考えるようになることは、中学生レベルでも分かりそうなことである。
「神聖な国家統一」や「中華民族の復興」といったスローガンは、中国の内部で唱えたいだけ唱えていればいいが、香港のような西側にも触れている「外部」に持ち出した途端に、理想ではなく、幻想に見えてしまう。
香港人に未来への希望を持たせる方法はいくらでもある。それができないのは、中国自身に問題があるからだ。
その意味では、いま起きている問題は、香港問題であると同時に、中国問題なのである。そして、それは台湾でも、日本でも、南シナ海でも、同じ根っこを持つ問題として我々を悩ますものである。
香港を日本人は傍観していいわけではない。少なくとも、香港人が直面する「中国という悩み」に対して、我々はもっと共感できるはずだ。
香港社会は「政治化」しつつある。議会に入った本土派の行動は、制度によって保障されており、いくら過激化した言動があったとしてもおいそれと追放はできない。
香港は「雨傘後」と呼べる新たな時代に入った。