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プロピッカーが選ぶ今週の3冊

【池内恵】中東の現在を読み解くための歴史書

2016/6/1
時代を切り取る新刊本をさまざまな角度から紹介する「Book Picks」。水曜は「Pro Picker’s Choice」と題して、プロピッカーがピックアップした書籍を紹介する。今回は、東京大学先端科学技術研究センター准教授の池内恵氏が、中東をテーマに3冊を取り上げる。

ここのところ『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』(新潮選書、5月25日刊行)をものすごい勢いで書き下ろしていた。そのため、中東の過去100年を振り返り、今後の100年を展望するような本を包括的に物色していた。その中から、一般読者がまず手に取るとよさそうな本を、いくつか選んで紹介してみたい。

サイクス=ピコ協定は、1916年5月16日に英仏の間で結ばれた秘密協定である。中東を支配していたオスマン帝国が崩壊していく中で、その支配領域をどうするか、当時の超大国であったイギリスとフランスが談合して、オスマン帝国の支配領域の分割を約束した。歴史上もっとも悪名高い外交文書といってもいいものである。

それからちょうど今年の5月で100年になる。英語圏では「サイクス=ピコ協定から100年」をめぐって非常に多くの記事が、新聞や雑誌に掲載され、テレビでも番組が放送されていた。

「100年」という数字や、「サイクス=ピコ協定」という一つの外交文書そのものには、それほど大きな意味はないかもしれない。しかし、100年前に形作られた中東の国家や国際関係の秩序が、今揺らいでいるところが重要である。

つまり、現在われわれは中東でいろいろなものが「壊れる」のを目の当たりにしているのだが、それが何なのかを知らなければ、現状を認識することもできないし、次に何が来るのかを予測することもできない。そのために、100年前に関心が高まっている。そして100年前に中東の秩序を形作ったときに、大きな影響力を持った英・仏の間で結ばれたサイクス=ピコ協定を理解することが重要になってくるのである。

サイクス=ピコ協定を中心とした、英・仏の中東への介入について書いた歴史書というと、有名なものはデイヴィッド・フロムキン(平野勇夫・椋田直子・畑長年訳)『平和を破滅させた和平──中東問題の始まり』(上・下巻、紀伊國屋書店、2004年)がある。この本はぜひ読んでもらいたいが、あくまでも「英・仏側が中東に対して何をやったか」についての本である。それは著者が英・仏(特に英)を対象にした研究者だからである。

それに対して、ここで3冊の第1として紹介したいのは、「英・仏の介入に対してアラブ側が何をしたか」という現地の側からの視点をより重視した、オックスフォード大学の中東史の学者ユージン・ローガン(白須英子訳)『アラブ500年史 オスマン帝国支配から「アラブ革命」まで』(上・下巻、白水社、2013年)である。
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著者はアラブ世界の近代史を次の4段階に分ける。それらは(1) オスマン帝国時代、(2) ヨーロッパ植民地時代、(3)冷戦時代、(4)アメリカ支配とグローバル化時代、である。そのいずれもが、外部の帝国や列強など、その時々の超大国との関係で定義されていることが興味深い。

そして、しばしば中東、特にアラブ世界の現代史は「列強の思惑に翻弄され」たものと、通俗的な議論では形容されやすい。しかし、少し深く各国の歴史を見てみると、翻弄されているというには程遠いことが分かる。アラブ諸国の政権側も反政府勢力も、その時々の超大国を引き込んで利用し、大国を競わせる。

ローガンは記す。「アラブ世界が外国の支配に従属させられていたということは、アラブ人が一本調子に衰退の歴史をたどる受動的な臣民だったことを意味していない」「彼らはそれが自分たちに合っていると思えば支配国におもねり、邪魔だと思えば打倒し、その時代に支配的な列強に立ち向かってはその結果に苦悩してきたのだ」。

アラブ政治の真骨頂は、謀略や裏切りや野合が横行し、合従連衡を複雑に、頻繁に組み変える高度な交渉の政治である。各地の勢力が、政権内の異なる派閥の争いを刺激し、部族や宗派や政党やコネクションによるつながりを最大限に模索して競合するが、その時は常に地域大国や超大国を巻き込んでいく。

「アラブ人はその時代の支配勢力が一つ以上あるときに、もっともその威力を発揮するのが常だった」。植民地主義の時代にはイギリスとフランスを競わせ、冷戦時代には米ソを競わせて、漁夫の利を得てきた。

冷戦が終わって、米国が唯一の超大国となった1990年代から2010年ごろまでは、外部の大国を競わせるアラブ政治の最も肝心の部分が封印されていたといえる。

それが今、米国の内向き志向の高まりや、中東でのプレゼンスの低下、ロシアの超大国としての復活や、イラン、トルコ、サウジアラビアなどの地域大国の台頭により、外部の大国を競わせて内部で争うアラブ政治が十全に復活する条件が整ったといえる。そうなると、シリアでもイラクでも、紛争は続きそうである。

著者のローガンは、この本に続いて、アラブ世界を支配していたオスマン帝国の崩壊と、その背景の第一次世界大戦についての大著を最近刊行している。邦訳はまだ出ていないが、英語で挑戦する気がある人はぜひ読んでみていただきたい。学術書というものは、出来の良いものは、そんなに難しくは書かれていない。Eugene Rogan『The Fall of the Ottomans: The Great War in the Middle East 1914-1920』(Penguin Books, 2016)

これらの歴史書で描かれている、100年前の出来事を知ることに、今どのような意味があるのだろうか。いかに中東が形作られたかを知ることは、その際にシステムに埋め込まれた問題や、その時に覆い隠されたものの、現在表面に浮上してきている問題を知ることになる。つまり、今起こっている問題の起源やしくみが分かるのである。

中東の歴史から現在の国際政治の問題を読み解く際に、まず読んでおいてほしいのが、鈴木董『オスマン帝国の解体──文化世界と国民国家』(ちくま新書、2000年)である。
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時間の感覚が早いウェブの世界では、2000年刊行の本は大昔のもののように見られかねないが、歴史の大枠というものは変わらないから、新しい本ならいいというわけでもない。この著者の数多くの本の中では新しい方であるし、また今読んで全く古びていない。

著者はオスマン帝国の統治行政をめぐる名高い歴史学者だが、元来は政治学者である。この本では、細かな歴史事実よりも、政治学者として理論的・概念的に文明史の大枠を書いてくれているので、頭の整理に最適である。

著者は、近代国際政治史の最も重要な部分を、民族(ネイション)ごとに形作った国家(ステイト)を単位とする国際関係システムが、西欧から全世界に拡大したことであるととらえている。歴史上、遠征や交易などで世界各地はつながり、交流があった。しかし、一つのグローバルなシステムが世界を覆ったのは近代世界が初めてであり、その骨格はネイション・ステイトという制度である。

近代のグローバル・システムが及ぶ前は、世界各地には「文化世界」が併存していた。それぞれが独自の統治ルールやエリートを擁し、自己完結的な世界を形作っていた。イスラーム世界もその一つだった。オスマン帝国はイスラーム世界の中心で、イスラーム教スンナ派を頂点とした、宗教・宗派ごとの共同体が、相互に序列をつけられながら、緩やかに共存する「不平等の下の共存」が成り立っていた。

それが西欧に端を発するネイション・ステイトのシステムの導入により、各国が国民社会を形成して「平等の下の共存」を目指すことになった。

しかし、オスマン帝国が崩壊した後に独立したアラブ諸国では、前近代のオスマン帝国に支配された「臣民」として生活していた時代から、近代の国民国家の枠の中で「平等な国民」として生活する時代への移行を果たしていない。

かつて独裁者が統治していた時代は、国民社会の亀裂が抑え込まれ、見えていなかった。それが、米国によるイラク戦争でフセイン政権が倒され、そして2011年の「アラブの春」によって国民自身から専制政治への異議申し立てが沸き上がることで、その他の国でも政権が揺らいだ。それによって、各国の国民社会の分断と相互対立が顕在化してしまった。

100年前に迫られた「文化世界」から「国民国家」への転換が不十分だったことが、現在の中東の政治的混乱と困難の原因であり、乗り越えるべき課題であることが、『オスマン帝国の解体』から読み取れるだろう。

中東に介入する外部の超大国というと、かつては英・仏が、最近、特に冷戦後は米国が注目されるが、実は中東に一番近く、最も頻繁に介入してきたのはロシアだった。

英・仏のサイクス=ピコ協定にしても、次々とオスマン帝国から領土を奪っていくロシアに対抗して、英・仏が協調して介入したものだった。忘れられがちだが、ロシアは中東に最も近い大国である。コーカサスや黒海沿岸で中東に隣接しており、植民地主義支配どころか、露骨に領土を奪い併合していった。

コーカサスに住むチェチェン人などは、イスラーム教徒で、トルコ(チュルク)系の民族もいる。ロシアは中東を領土内に抱え込んでいる、「中東の国」といってもいい。

このロシアが、冷戦後は力を弱めていたものの、現在は軍事大国として復活し、ウクライナのような東欧だけでなく、シリアなど中東にも介入を強めている。ロシアの出方がわからないと、中東の国際政治や、内戦に揺れるシリアなどの内政も、理解できなくなっている。

ロシアの力の実相はどのようなものか。中東に介入する意図は何なのか。ロシアはどのような手段を持っているのか。こういった疑問・関心の多くに、最近刊行された小泉悠『軍事大国ロシア 新たな世界戦略と行動原理』(作品社、2016年)は答えてくれる。
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この本では、(1)核抑止、(2)通常戦力、(3)非正規戦力、による抑止力のうち、(2)で見劣りするロシアが、(1)の核抑止力を維持しつつ、(3)の非正規戦力による抑止力を重視しているという構図を示してくれる。

オバマ大統領の広島訪問の際には、「核兵器なき世界」を目指すことを謳ったにもかかわらず、実はオバマ政権期には米露の核軍縮が進まなかったことが知られた。米大統領が熱意を傾けたにも関わらず核軍縮が進まなかった原因は、通常戦力で劣る中、比較的に優位な核戦力にしがみつくロシアの側に多くある。

ウクライナのクリミア半島に、国旗も徽章も外した正体不明のロシア兵を投入して制圧し、威嚇とプロパガンダの下で住民投票を行わせてロシアに併合したたほか、文字通り夜陰に乗じてシリアに兵器と兵員を持ち込み、アサド政権支援の軍事介入を本格化させ内戦の行方を左右するなど、ロシアは非正規戦で中東とその近辺で大きな効果を上げている。

ロシアの軍事思想では、ロシアの直接の領土ではないが領土の保全のために影響力・支配力を持っておきたい「勢力圏」の発想が近年明確になっているようだ。勢力圏を維持・拡大するためには、通常の軍隊による戦争ではなく、テロやサイバー攻撃、政治謀略やプロパガンダなどを駆使する「ハイブリッド戦略」を前面に出してきている。

ウクライナがその顕著な例だが、中東・イスラーム世界は、ロシアがハイブリッド戦略を駆使して勢力圏を確保しようとするときの、次なる標的となる可能性が高い。それは、ロシアが南下政策でクリミア半島を制圧し、続いて地中海や中東に支配領域を求めていった露土戦争の歴史が示している。100年前のサイクス=ピコ協定、そしてその背景にある第一次世界大戦は、中東では、露土戦争の一環であり、ロシアによるオスマン帝国(トルコ)の浸食の最終段階だった。それに対抗して英仏が介入したのである。

ロシアの安全保障政策をめぐる公式の軍事ドクトリンを、その根幹にある世界観から読み解いてくれる『軍事大国ロシア』は、ウクライナやシリアなどでのロシアの個々の軍事行動が何のために、どのように行われているのか見通す有用な手掛かりを与えてくれる。

さて、このような手段を駆使するロシアは果たして 「強い」のか。これはロシアの動向に多少とも関心がある者にとって、行き着く疑問であり、謎である。

『軍事大国ロシア』の著者の見方では、ロシアは「弱者の戦略」を採用しているようだ。プーチン大統領が駆使する、身元を隠した特殊部隊の投入、陰謀論などのプロパガンダによる相手側陣営の内部分裂を誘うなどといった手法は、確かに「弱者」の採用するものだろう。

確かに、米・露の超大国関係では、ロシアはある意味では「弱者」だろう。しかし中東諸国から見れば軍事大国・超大国である。日本から見てもそうだろう。

そして、宇宙戦争やサイバー戦、プロパガンダ戦といった非通常型の戦争や、内戦で特定の陣営を支持する介入の謀略など特定の分野では、ロシアは米国にも決して劣っていないだろう。弱者が強者と一時的に対等になれる「非対称戦争」をロシアは戦っているといえる。

欧米から包囲され浸食されていると怯えるロシアが、「弱者の戦略」を駆使して非欧米の諸国に介入し活路を見出そうとする時、世界は動揺する。ウクライナ・クリミアの次に中東がその矛先を向けられ、ロシアとトルコがシリア内戦をめぐって緊張する現在、100年前に終わった露土戦争が再燃しているかのように見える。現在の中東を見るために、やはり歴史書を読むことは有益である。