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勝者5人目:伊藤華英(第5回)

五輪に出場するには、自分本位と他人任せの両輪が必要

2016/2/19
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私は16歳で日本代表に入ってから先生のメニュー通りにトレーニングしていればタイムが伸びたので、その内容について深く考えたことがありませんでした。

基本的には受け身で、言われた通りのメニューをこなしていたんです。でも、きついと思う練習があれば、なぜそのトレーニングをするのかも考えずに先生に文句を言っていました。

まだ18、19歳ぐらいで、「ほかのコーチのトレーニングと比べて、先生のメニューはちょっと違う」とか、偉そうに思っていたんです。最悪ですよね(苦笑)。

アテネ五輪を逃し、意識が変化

それが2004年の日本選手権で負けて、アテネ五輪を逃したことで変わりました。

私は日大生だったこともあって、OBの古橋先生(古橋廣之進/元日本水泳連盟会長、日本オリンピック委員会会長。2009年没)にずっと期待してもらっていたのですが、五輪に行けなくて落ち込んでいるときに、古橋先生に「志を持て」と言われたんです。

それまで私は頑張るのは得意だったから、先生に文句を言いつつも毎日6000〜9000メートルぐらい普通に泳いでいました。目の前のことを一生懸命やって、それで記録が出ていたから自分のやり方に疑問を持っていなかったけど、振り返ってみれば確かにそこには信念がなかった。

だから、北京五輪を目指してトレーニングを始めたときに、意識を変えました。

「絶対に北京五輪に行ってやろう、北京までに1回でも代表から落ちたら水泳をやめよう」と思って、覚悟を決めたんです。それからは、目の前のトレーニングを疑うこと、ほかの選手と比較することをやめました。

 伊藤華英(いとう・はなえ) 1985年埼玉県生まれ。東京成徳高校時代に東京都代表として国体に出場。2004年アテネ五輪出場をかけた日本選手権の競泳200メートル女子背泳ぎでは3位となり出場権を獲得できなかったが、2006年日本選手権では同種目で日本新記録を樹立して優勝。2008年日本選手権では100メートル女子背泳ぎで日本新記録をマークし、同年の北京五輪には100、200メートル女子背泳ぎで出場した。2012年ロンドン五輪では女子4×100メートルリレー、女子4×200メートルリレーに出場し、7位と8位。同年限りで現役引退。現在は順天堂大学博士後期課程スポーツ健康科学研究科で精神保健学を専攻し、非常勤講師として一般水泳と体育会水泳を指導している

伊藤華英(いとう・はなえ)
1985年埼玉県生まれ。セントラルスポーツ所属。東京成徳高校時代に東京都代表として国体に出場。2004年アテネ五輪出場をかけた日本選手権の競泳200メートル女子背泳ぎでは3位となり出場権を獲得できなかったが、2006年日本選手権では同種目で日本新記録を樹立して優勝。2008年日本選手権では100メートル女子背泳ぎで日本新記録をマークし、同年の北京五輪には100、200メートル女子背泳ぎで出場した。2012年ロンドン五輪では女子4×100メートルリレー、女子4×200メートルリレーに出場し、7位と8位。同年限りで現役引退。現在は順天堂大学博士後期課程スポーツ健康科学研究科で精神保健学を専攻し、非常勤講師として一般水泳と体育会水泳を指導している

何をやるにもリスクはつきもの

もちろん、そのトレーニングが自分にとって正しいアプローチなのかと不安もあったけど、結局、答えは誰にもわかりません。トレーニングにもいろいろなものがありますが、何をやるにもリスクはつきものですよね。

それなら、「自分がやっていることを信じるしかない」という気持ちになったんです。自分が一番正しいと思うことによって、ほかの選手からも「伊藤がやっているトレーニングが正しい」と思われる。それで結果が出れば、「どんなトレーニングしてるの?」って思われるじゃないですか。

私たちの最終目標は五輪なので、1回失敗すると8年間、五輪を目指すことになります。だから、次の五輪までの4年の間に迷ってはいけない。駆け抜ける覚悟が必要なんです。

考える習慣を身につけ、逆算思考

ただ、すべて先生に言われた通りにするのではなく、本当にやりたいトレーニングがある場合は、先生に意見しました。水の中のトレーニングに関しては先生に任せて言われたメニューをこなすけれど、「特にプールから出た後のトレーニングや、身体のメンテナンスに関しては自分で考えたい。理学療法士さんと相談して決めたい」と。

自分で選んで取り入れたのは、機能的なリハビリです。年齢的に、ケガしやすくなって疲れがとれなくなっていくので、必要なことだったと思います。

自分で考える範囲と考えない範囲を分けたのは、結果的に良い選択だったと感じています。自分で考えない範囲は、とにかく相手を信頼して任せる。余計なことは一切考えない。そうすることで雑念が消えて、トレーニングに集中できるようになりました。

そうして自分で考える習慣ができたことで、「本番ではこのタイムを出したいから、練習ではこのタイムで泳がなきゃいけないよね」とか、「自分には今、身体のメンテナンスが必要だ」とか、トレーニングの内容や意味を考えて、逆算できるようになったんです。

この方法で4年間トレーニングを続けたからこそ、2008年の日本選手権で勝って、北京五輪では100メートル、200メートルの2種目に出場できたんだと思います。

 為末大(ためすえ・だい) 1978年広島県生まれ。2001年エドモントン世界選手権および2005年ヘルシンキ世界選手権において、男子400メートルハードルで銅メダル。陸上トラック種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。シドニー、アテネ、北京と3度の五輪に出場。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2015年12月現在)。2003年プロに転向。2012年25年間の現役生活から引退。現在は、一般社団法人アスリート・ソサエティ(2010年設立)、為末大学(2012年開講)などを通じ、スポーツと社会、教育に関する活動を幅広く行っている。著書に『諦める力』(プレジデント社)『走る哲学』(扶桑社新書)などがある

 為末大(ためすえ・だい)
1978年広島県生まれ。2001年エドモントン世界選手権および2005年ヘルシンキ世界選手権において、男子400メートルハードルで銅メダル。陸上トラック種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。シドニー、アテネ、北京と3度の五輪に出場。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2015年12月現在)。2003年プロに転向。2012年25年間の現役生活から引退。現在は、一般社団法人アスリート・ソサエティ(2010年設立)、為末大学(2012年開講)などを通じ、スポーツと社会、教育に関する活動を幅広く行っている。著書に『諦める力』(プレジデント社)『走る哲学』(扶桑社新書)などがある

(聞き手:為末大、構成:川内イオ、撮影:TOBI)

*続きは明日掲載します

<連載「勝者の条件」概要>
スポーツほど、残酷なまでに勝敗のコントラストが分かれる世界は珍しい。練習でストイックに自分自身を追い込み、本番で能力を存分に発揮できて初めて「勝者」として喝采を浴びることができる。アスリートたちは一体、どのように自身を高めているのか。陸上男子400メートルハードルの日本記録を保持する為末大が、トップ選手を招いてインタビューする連載。5人目の今回は、競泳で2度の五輪出場歴を誇る伊藤華英。勝者になるための7条件、そして為末による総括を8日間連続でお届けする。
第1回:五輪落選の洗礼。恥を受け入れるか、否かが「成功と失敗の境目」
第2回:一つのことをあきらめると、最悪、人生をあきらめることになる
第3回:英語を話せなくても、話す努力をすることで世界が広がる
第4回:競泳選手引退後、外の世界で気づいた「成功者の共通点」