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ミレニアル世代の意識は、東洋文化に似ている

【J.リフキン】アジアこそシェアリングエコノミーと相性が良い

2016/1/21
連載「世界の知性はいま、何を考えているのか」では、欧米・アジアの歴史学者、経済学者、政治学者に、専門的かつ鳥瞰(ちょうかん)的な観点から国際情勢について聞いていく。今回登場するのは、ドイツのメルケル首相ら、各国首脳のアドバイザーを務める、文明批評家のジェレミー・リフキン。近著『限界費用ゼロ社会』でIoTとシェアリングエコノミーの本質を説いたリフキンに、資本主義の新潮流について聞いた。

2030年のIoT

──前回は、第2次産業革命後のインフラのプラットフォームが限界にきているとお話しされました。新著『限界費用ゼロ社会』では、第3次産業革命が、いままさに起こっていると書かれましたね。

リフキン:第3次産業革命はIoT(Internet of Things)の導入によって実現されます。

IoTを再度定義すると、機械やデバイスにセンサーを埋め込み、リアルタイムでビッグデータを監視すること。

そして、そのデータを既存の「コミュニケーション・インターネット」、ドイツのスマートグリッドに代表されるような「エネルギー・インターネット」、自動化されたGPS誘導や、自動走行からなる「輸送インターネット」の3つのインターネットに送り、経済活動のバリューチェーンに管理し、動力源を供給し、動かすための効率化の総計や生産性を最適化することを指します。

すでに、農場では穀物を監視するセンサーを、工場では生産を監視するセンサーを取り付けています。不動産や自動車、倉庫などにもセンサーが取り付けられ、ビッグデータを送り返している。2030年までには、IoTのおかげで大部分の経済活動が最適化されるでしょう。

IoTプラットフォームが実現し、あらゆる経済活動が最適化されると、生産性は上がり、限界費用は劇的に下がります。その結果、経済活動は民主化されていくのです。

たとえば、あなたが中小企業の社長だったとしましょう。開かれたIoTプラットフォームが実現すれば、スマートフォン一つであなたの企業のバリューチェーンに関連するビッグデータを取り出すことができるようになります。

このビッグデータを、商品を生産し、管理し、流通させる際の意思決定に役立てれば、あなたの企業のバリューチェーンの効率性は劇的に向上するでしょう。結果、既存の垂直統合型の巨大企業や、中間業者はこれまでのような大きな影響を持てなくなるのです。

同時に、一部の経済活動の限界費用(生産量を一つ増やしたときにかかる費用)は限りなくゼロに近づきます。限界費用がゼロに近づいた業界は、生産者であり消費者でもあるプロシューマーが無料の商品やサービスを取引するシェアリング・エコノミーに突入します。

既存の産業は破壊されるか

──開かれたIoTプラットフォームや、シェアリング・エコノミーは既存の産業を敵に回すように思います。

実際に、シェアリング・エコノミーのせいで、すでに業界が丸ごとつぶれるような事態が起きていますね。

ファイルシェアサービスのナプスターを覚えていますか。ナプスターの登場から16年しか経っていませんが、音楽業界は瀕死状態です。テレビや新聞、雑誌だって衰退しています。

なぜなら、ミレニアル世代が自分たちで無料、もしくは限りなく低い費用でコンテンツをつくり、ソーシャルメディアなどを使って無料でシェアしているからです。

これまでは、限界費用の激減は既存の「コミュニケーション・インターネット」上で流通するコンテンツに影響することはあるものの、物理的な商品やサービスに影響することは考えられてきませんでした。

しかし、『限界費用ゼロ社会』では、私はIoTが「エネルギー・インターネット」や「輸送インターネット」においても限界費用の激減を招く、と指摘しました。

ドイツでは、限界費用ゼロで国民自身が再生エネルギーを生産し、「エネルギー・インターネット」を限界費用ゼロに近づけています。ベルリン、東京、ニューヨークの若者たちは、自動化されたカーシェアリングを利用し、「トランスポーテーション・インターネット」を限界費用ゼロに近づけています。

将来は、資本主義とシェアリング・エコノミーのハイブリッドが定着するでしょう。ミレニアル世代(米国で1980年代から2000年代初頭に生まれた若者のこと)は、すでに1日の一部を資本主義市場で、1日の一部を限界費用ゼロのシェアリング・エコノミーで過ごしていますよね。

「自由」の定義が変わった

──人間は競争の本能が強いために、資本主義市場が馴染む、という言説もあります。もしこれが事実であるとすれば、今後シェアリング・エコノミーのシェアが大きくなっていくのはなぜでしょうか。

まず、人間は競争の本能が強い、という言説自体が事実誤認なのではないでしょうか。

2009年に出版した『The Empathic Civilization』でも指摘しましたが、近年の認知科学分野や生物学分野の研究によれば、人間は社会性が最も高い生き物のうちの一種です。私たちは本能的に共同体や親交を求めます。

さらに、次世代の間でシェアリング・エコノミーに馴染みやすい、新たな価値観が芽生えつつあることも考慮しなければなりません。特に、ミレニアル世代の「自由」や「権力」「共同体」に対する価値観は、旧世代のそれとはまったく異なります。

たとえば、旧世代にとって、「自由」とは排他性のことです。自由な個人であることは、自主的であること、独立していること、自給自足できていることなどと同義だと考えられてきました。

しかし、ミレニアル世代による「自由」の定義はまったく異なります。

「自由」が個人の持てる可能性をすべて出し尽くして生きることだとすれば、ミレニアル世代にとって自由は人と人とのネットワークの中でしか実現できないものです。インターネット世代にとっては、自由は排他性ではなく包括性なのです。

彼らにとっては、資本主義市場で自主性を持つことよりも、複数のネットワークにアクセスできることのほうが「自由」を測る指標として適しています。旧世代にとって、「所有」が自由を得るための手段だったとすれば、ミレニアル世代にとってはグローバルに広がるネットワークにおける体験への「アクセス権」が自由を得るための手段なのです。

共同体意識は古代に回帰

──「権力」「共同体」に対する価値観はどのように異なりますか。

旧世代は、「権力」をピラミッド型構造だと考えてきました。ピラミッド型の権力構造では、権力は常にトップにいる少数によって握られています。こういったピラミッド型の権力構造が出現した背景には、第2次産業革命後のプラットフォームの核である、中央化した生産・流通システムの中ではこういった権力構造が効率的だという事情があります。

しかし、ミレニアル世代は、「権力」を分散すべきものと考えます。なぜなら、ミレニアル世代が馴染んでいるIoTプラットフォームは、協働作業がしやすく、限界費用ゼロで成果物を共有できるデザインになっているからです。

「共同体」に対する認識も、旧世代とミレニアル世代とでは大きく違います。

旧世代は、地政学的な感覚とともに生きてきました。(旧世代の)われわれにとっては、個人はいわば“自治国”です。そんな何千万人もの“自治国”を束ねる独立国家がある。われわれは、個人としても国家としても、資源のゼロサムゲームに勝つために互いに資本主義市場で競争している。

これが旧世代の「共同体」に対する認識です。

それに対して、オンライン上のグローバルな教室で行われる授業に参加したり、15億人が登録しているフェイスブックを使ったりして、ミレニアル世代は世界中の人とつながっています。インターネットを使えば、限界費用ゼロで仲間とつながることができるからです。結果、ミレニアル世代は仲間たちを拡大家族のように捉えるようになりました。

興味深いのは、こうしたミレニアル世代の「共同体」に対する認識は、東洋文化に色濃く残っているような、古代の認識に回帰しているように見えることです。

日本や中国、インドなどでは、個人のアイデンティティは共同体の中で築き上げた人間関係と切り離せないと考えられています。こういった考え方は、西洋文化が忘れてしまった、古代から続いている意識です。

私は、こうした認識が残っているアジアこそ、シェアリング・エコノミーと非常に相性がいいのではないか、と考えています。

実際に、ニールセンが60カ国のネットユーザー6万人を相手にシェアリング・エコノミーに対する好き嫌いを聞いたアンケートでは、東アジア出身者のほうがシェアリング・エコノミーを好意的に捉えていることが明らかになりました。

ヨーロッパ出身者の52%、米国出身者の55%がシェアリング・エコノミーに対して好意的でしたが、東アジア出身者の場合、75%がシェアリング・エコノミーに好意的でした。

中国に限れば、シェアリング・エコノミーに好意的なネットユーザーはなんと94%にも上ります。

(聞き手・訳・構成:ケイヒル・エミ)

*続きは明日掲載します。

*目次
第1回:化石燃料依存の現代文明は、もはや限界だ
第2回:アジアこそシェアリングエコノミーと相性が良い
第3回:日本の弱点は、時代遅れのエネルギーインフラ