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中田英寿 特別インタビュー(後編)

【中田英寿】今、18歳でサッカー選手になった頃と同じ気持ちで

2016/1/8
サッカー引退後、世界を旅してきた中田英寿氏。行く先々で日本の魅力に気づかされ、やがて彼の関心は日本国内へと向かう。6年半の歳月をかけ、沖縄から北海道まで日本各地をくまなく旅して回った。その過程で出会った食、日本酒、伝統工芸、それに携わる職人たち。中田の目に、日本の文化はどのように映ったのだろうか。「ROOTS」副編集長 加藤未央氏が聞いた。

もっと世界へ

いつだったか、中田さんに「パスポートって持っているの?」と聞いたことがある。

断っておくと、本気で持っていないだろうと思ったわけではない。

ただ、いつも世界中を飛び回っている中田さんを見ていると、彼にとっては地球がホームのように思えてくる。「国籍:地球」とでも表現したくなるような、中田英寿という人間への素朴な疑問だった。

そんな中田さんが今、興味を持っていることの一つに「日本のモノづくり」がある。

2009年から6年半かけて日本全国47都道府県をすべて回る旅で出会った、日本の文化。とりわけ日本酒にのめり込んでいる中田さんの頭の中には、これを世界にもっともっと発信していくための戦略があるようだ。

日本は希有な存在

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──6年半かけて旅をしてきて、中田さんなりの日本に対する見方は変わりましたか。

中田:若い頃というのはどうしても、内より外を見がちですよね。僕もその例に漏れず、いつも海外を意識していました。外国かぶれじゃないけれど、「向こうのもののほうが良い」というイメージがあって。まず向こうを見て、それから日本を見ていたように思います。

けれどそうだったからこそ、日本に戻ってきてこの国のことを改めて見てみて、自然を含めた日本の文化というのはすごいなと思ったんです。

1つには、自然の多様性があるということ。もう1つは、島国であることの影響もあってか、日本独自の文化が多く残っているということ。近年、世界中から昔ながらの伝統文化が消えつつある中で、これだけ残っている日本はある意味希有な存在だと思います。

──日本人が感じる日本の魅力と、外国人が感じる日本の魅力にはギャップがあると思いますか。

それは絶対にあると思います。どんな生活環境で生まれ育ったかによって、人間形成のされ方は変わってきますからね。

日本には四季があって、多様な自然があって、その環境が僕たち日本人の感情やものの見方をかたちづくっている。これがアメリカ人やヨーロッパ人、アフリカ人になると、日本に対して僕たちとはまた違った見方をするでしょう。

たとえば、僕たち日本人にとって「豆腐すくい」は豆腐をすくうための道具だけれど、外国人に渡したらまったく違う使い方をするかもしれない。僕のフランスの友達はあの金網を使った商品を、バゲット入れとして買っていました。

大事なことは、日本の文化のほうが良いとか、海外のほうが悪いとかではなく、自国も海外の文化もきちんと勉強しながら、お互いの違いをちゃんと意見交換することじゃないかな、と思います。

日本酒を広めるため会社をつくった

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──どうすれば日本の文化をより多くの海外の人に受け入れてもらえると思いますか。

中田:まずはきちんとした情報量を増やすことでしょうね。僕たちだって、情報がなければ使い方がわからないものや、存在すら知らなかったはずの食べ物もいっぱいあるでしょう。けれど情報があれば、そこに抵抗がなくなる。どれくらい情報が世に出回っているかって、そのくらい大事なことだと思います。

そういった意味で日本食は情報としてすでに世界中に出回っているから、当然受け入れられています。けれど、そこで使われるはずの器やその隣に置かれるはずの日本酒は、出回っている情報がまだまだ少ない。

この点を克服すれば、日本の工芸や日本酒が世界に受け入れられる土壌はあるんじゃないかなと思っています。

そうやって日本酒の土壌を開拓していく意味で、2015年に日本酒の会社「JAPAN CRAFT SAKE COMPANY」を設立しました。もちろん、これはお酒を造っていく会社ということではなくて、日本酒に関するPRやイベント、企画などを国内、海外含めてやっていく会社です。

そのうちの一つの企画がアプリ「Sakenomy(サケノミー)」です。やはり、実際に日本酒を造っていたり売っていたりしない人間が継続的なプロモーションやイベントをやる必要があるんじゃないかな、と感じたので。

今は、さまざまな活動を日本や海外でやっています。

今年1月には、ロンドンにあるセルフリッジという百貨店で1週間ほど日本酒バーをやってきます。そして2月は六本木で、「CRAFT SAKE WEEK @六本木ヒルズ屋台村」というイベントをやる予定です(記事末尾のコラムを参照)。

六本木のイベントには、2月5〜14日の期間中、日替わりで10蔵ずつ、合計100の酒蔵が全国から集まってくれます。僕の中で「ここはすごい」と思えるクオリティの蔵ばかりです。

僕がやりたいのは、ただお酒を飲む会ではなくて、日本酒を勉強できる機会をつくりたいということ。だからもちろん、イベントには利き酒師も毎日常駐してもらいます。会場に来てくれた人たちにはここでいろんなことを学び、銘柄も覚えて、自分の好みの日本酒を見つけてもらいたい。楽しみ方を勉強してもらいたい。

お酒は食事とのペアリングもすごく大事だから、イベントで提供する食事には僕が大好きなレストラン5軒に協力してもらうことにしました。

この取材が行われた日本料理店La BOMBANCEも「CRAFT SAKE WEEK @ 六本木ヒルズ屋台村」に協力出店。同店オーナーシェフの岡元信氏のはからいで、この日の取材ではイベントで振る舞われる料理が饗された。

この取材が行われた日本料理店La BOMBANCEも「CRAFT SAKE WEEK @六本木ヒルズ屋台村」に協力出店。同店オーナーシェフの岡元信氏の計らいで、この日の取材ではイベントで振る舞われる料理が供された

そこで使う器はこのために美濃で焼いてもらっているし、ガラスも家に持ち帰って使いたいと思えるようなものを用意しているところです。

それと、酒の会は飲む方が楽しむだけじゃなくて蔵元側も楽しめなきゃいけないから、そういう仕掛けも考えてあります。

──今回集まった蔵元にしてもレストランにしても、参加交渉は中田さんご自身でされたのですか。

そう。みんな知り合いだから、電話して「よろしく!」という感じでね。みんな二つ返事で「了解です、行きます」と言ってくれます。お酒の業界って、なんだか体育会系なんだよね(笑)。

──中田さんが2015年にミラノ万博で日本酒バーを出展したときも、酒蔵さんが一斉に行かれていましたよね。

それがなんともまた楽しくて。もちろん僕より年配の方もたくさんいますが、みんな体育会系のノリで「押忍!」「行きます!」「やるぞ!」みたいなね。すごく人間味があるというか、部活みたいでとても楽しいですよ。

記憶に残るものを積み上げていく

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──日本酒にしても旅にしても、中田さんの活動を見ていると本当に楽しそうなのがすごく印象的です。

僕は別に有名になりたいとか、億万長者になりたいとか、歴史に名を残したいとか、そういう欲望はまったくないです。ただ、とにかく毎日楽しい人生を送りたい。

でも、楽しい人生というのは簡単じゃない。同じ字を使うが「楽しい=楽(らく)」ではない。

楽しむ前には苦労をしなくてはいけないし、たくさん楽しむためには、それだけ人より努力をしなければいけない。自分をどれだけ厳しい環境に置いていけるか、どれだけチャレンジできるかが“楽しい”人生を送るための一番大切なことだと思います。

でも、そういうふうにチャレンジするのって簡単じゃないでしょ。だからこそ、「好き」でないといけない。

好きなことをやり続けることが幸せにつながると僕は思う。だから、頑張ってそれを見つけることが大事なんじゃないかな。

人間は忘れやすい生き物だから、「楽だったこと」なんて、翌日には忘れてる。でも「楽しかったこと」はもちろん、「つらかったこと」も最終的に美化されて、良い記憶として自分の中に残っていく。

人生は何かというと、記憶に残ることをどれだけつくれるかだと僕は思っています。

だからこそ、そういう記憶をつくるためには努力をしなきゃいけない。自分が好きだと思えることで、「楽しさ」を一緒につくれる仲間たちを集めて。やっぱり、最後は「人」なんじゃないかな。

──中田さんが今、関心を持っていることを教えてください。

僕の中では、サッカーをやっていた人生は10年前に終わっているけれど、今でもメディアに出るとみんな僕のことを「元サッカー選手」って言うでしょう。僕はそれがすごく悔しくて。それって、サッカーをやめた後にそれ以上の人生をまだ築き上げられていないからそう呼ばれるんだと思います。

僕はそこに第2の人生を築きたいと思っているし、サッカー以上のことを成し遂げたいと思っています。

その中で、サッカーに注いできた以上の情熱と時間をつぎ込めるなと思うのが、工芸やお酒、農業といった、今取り組んでいる日本の文化です。

こういういろいろな活動を、日本にとどまらず海外にも広げていくことで、僕はサッカーをやっていた自分よりももっと楽しく、大きくなれるんじゃないかなと思っています。だから、今やっていることはすごく楽しい。

2015年に日本の旅が終わって、日本酒の会社をつくり、これから工芸にも取り組んでいきます。今年から僕は、この業界のプロになるつもり。これを仕事にして日本一になり、さらには世界一を目指していけるか、ここからが勝負ですね。

それは、18歳でプロサッカー選手になったときや、21歳でイタリアに渡ったときと同じような感覚かな、と思います。

中田英寿の影響力を考えると、そのフィールドは間違いなく地球規模になる。この才気ある日本人を、世界が放っておくわけがない。サッカーの殻を自ら破り捨てた中田英寿の新たな挑戦は、ここからだ。

(撮影:竹井俊晴、取材協力:La BOMBANCE)

*目次
前編:世界を旅して、日本を知った
中編:好奇心の塊。生来の人好き
後編:今、18歳でサッカー選手になった頃と同じ気持ちで
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