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ちょんまげ、世界の心に旗を立てる(後編)

ちょんまげは誰も忘れない。世界の人たちに覚えてもらう大切さ

2015/12/28
サッカー日本代表のサポーターのなかに、「ちょんまげ」で知られる人物がいる。ツノダヒロカズ、通称ツンさんだ。彼は日本代表を応援するだけでなくサッカーを通じたボランティア活動を展開している。なぜこの男はこんなにも人を巻き込むことができるのか。(本原稿は今年度の「宣伝会議」編集・ライター養成講座において優秀賞を受賞した作品です)。
前編:ちょんまげサポーター、ツンさん。知られざるボランティア活動

ちょんまげサポーターとして知られるツンさんが、ボランティアを続けられるのには理由がある。そこに、しっかりとした哲学があるからだ。

哲学1:森を見るな、木を見ろ

「『木を見て森を見ず』ということわざがありますが、僕はそれでいいと思う。目の前に困っている人がいて、その人のために自分ができることをやる。その積み重ねでいい。森を見てみんな平等にやることも大切ですが、僕たちは税金を使う行政じゃない」

ツノダヒロカズ世界中どこでも出没するサッカー日本代表の名物サポーター。2011年3月11日東日本大震災を機にサッカーサポーターのネットワークを活かして東北支援を開始。この4年半で80回以上東北支援を実施し、震災を風化させない為の「被災地報告会」を全世界で200回以上主催している。2014年ブラジルW杯に被災地の中学生4人をサッカーのチカラで招待して話題に。近年では土砂災害を受けた広島県常総市への支援や、エチオピア・カンボジア・ネパールなど貧困地域などへの支援も行っている

ツノダヒロカズ
世界中どこでも出没するサッカー日本代表の名物サポーター。2011年3月11日東日本大震災を機にサッカーサポーターのネットワークを活かして東北支援を開始。この4年半で80回以上東北支援を実施し、震災を風化させないための「被災地報告会」を全世界で200回以上主催している。2014年ブラジルW杯に被災地の中学生4人をサッカーのチカラで招待して話題に。近年では土砂災害を受けた地域への支援や、エチオピア・カンボジア・ネパールなど貧困地域への支援も行っている

2013年6月、ツノダは東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県牡鹿半島の中学生4人をブラジルW杯に連れて行った。募金やチャリティーイベントで約300万円が集まった。その際も「なんで4人だけなんだ。もっと平等にすべきだ」という批判を多くの人から受けた。

「2013年にコンフェデレーションズ杯のイタリア戦でブラジルを訪れたとき、現地のブラジル人たちが日本を応援してくれた。日本の裏側でスタジアムが一体となっていた。地球の裏側で日本のことをこんなに応援してくれていることに感動した。この雰囲気の中に牡鹿半島の子どもたちを連れてきたいと思った。そのことを想像するととにかくワクワクしたんだ。日本中の誰もが思いつかないことだけど、何か化学変化が起こるんじゃないかって。閉塞(へいそく)感漂う東北にもう一度注目してほしかった。平等ばかり考えて全体ばかり見ていたらなにもできなくなる」

ツノダは縁があった牡鹿の子たちをブラジルに連れて行くことにした。目の前の木を幸せにすることが、森全体がもう一度注目されることにつながると信じていた。

結果、ツノダのブラジルでの活動は現地や日本のメディアで大きく取り上げられ、震災から2年が過ぎた東北の現状を伝えるきっかけとなった。

目の前の木を大切にすることが森全体のためにもなった。ツノダにとって、牡鹿半島もラムチェ村も隣に住んでいる住人も変わりない大切な木なのだ。

日本のダウンを着て喜ぶネパール・ラムチェ村の子ども

日本のダウンを着て喜ぶネパール・ラムチェ村の子ども

哲学2:この指とまれ式の人集め

ツノダはこの4年半ずっと組織や団体をつくらず、自治体から助成金をもらったりせず、ボランティアを続けてきた。

「よく『ちょんまげ隊は何人いるんですか?』と聞かれるんですけど、正会員は僕1人なんです(笑)」

その時その時でツノダの思いに共感するメンバーを集めて、ちょんまげ隊を結成する。プロジェクトが終わればまたそれぞれの居場所に戻っていく。

今回のネパールに来たメンバーもほとんどが初対面で、学生やシステムエンジニア、OLなど、さまざまな年代と職業の人が14人集まった。夜になると、こぼれ落ちそうな星空のもとで隊員たちがそれぞれの思いを話し始めた。

都内の大手銀行で働く橋本若菜(仮名、24)さんはこう語る。

「職場では会えない人たちに会えた。今までお金に執着していたが、『お金がなくてもこんなにかっこ良く生きられるんだ』と思うと気持ちが楽になった」

ツノダの活動は日本人の凝り固まった心をも柔らかくもみほぐしているようだった。

哲学3:SNSに頼らない

ちょんまげ隊の活動の特徴の一つに、被災地報告会がある。

ツノダはこれまで、日本各地にとどまらず、ロサンゼルス、カタール、ブラジル、ロンドン、カンボジア、オーストラリアなど、世界各国で200回以上の報告会を行ってきた。

各地に赴く理由を、ツノダはこう語る。

「組織を持っていない分、危機感があるからね。1人では絶対無理だから。常に自分の想いのバトンを渡し続けないといけない。組織をつくらないメリットは、小回りがきくことにある。特に災害は突発的に起こるものだから、小回りがきく方が現場のニーズにも対応しやすい。大きな組織になると運営方針があったり長期計画があったりして細かい対応に向いていない」

「ただ、この指とまれ式のデメリットもある。その時その時で人とお金を巻き込まないといけない。集まらないリスクを毎回抱えることになる。これからのボランティアはSNSで巻き込むことが主流になってくると思っていて、実際僕もSNSを使って発信しているけれど、SNSで生きるネットワークというのはフットワークからしか生まれないんだ。ただフォロワーを増やすだけでは、人とお金は集まらない。SNSはあくまでもツールにすぎない」

ツノダは報告会で原稿を用意して話したり、パワーポイントで説明をしたりしない。写真と映像を見せ、その時に感じたことを、真っすぐにぶつけている。

心に響かせるのに技術なんて必要ない。それこそが「心を動かされたら、足を動かす」という信念をもって活動してきた、ちょんまげ流の伝え方なのだろう。

哲学4:「断続」はチカラなり

カトマンズに戻ると一人の隊員がツノダにこんなことを聞いた。

「ツンさんって挫折しそうになったことってないんですか?」

「あるよ。何回もある。日本では『継続はチカラなり』っていうけど、僕は『断続はチカラなり』だと思っている。モチベーションが下がったらやめていい。他に興味が湧いたら、他のことをやったらいいんだ。続けなきゃいけないと思うとつらいでしょ。人間そんな強くない。モチベーションが上がればまた戻ってこればいい」

「継続よりも断続の方が長い目でみたらよかったりするよ。たとえ挫折したって、また戻って来ればいいんだから。一流のサッカー選手も皆挫折している。挫折した分、人の痛みがわかるし、強くなる。人の痛みがわからないとダメだね」

ツノダ自身、何度も挫折したそうだ。確かに私たちは続けなきゃいけないという考えにとらわれている。それを「断続はチカラなり」という造語で伝えるツノダはボランティアの枠を超えて、多くの日本人に大切なことを気づかせてくれるに違いない。

ラムチェ村最終日、多くの住民がちょんまげ隊との別れを惜しんだ

ラムチェ村最終日、多くの住民がちょんまげ隊との別れを惜しんだ

記憶の中に旗を立てる

ネパール最後の夜、ツノダにこんなことを聞いてみた。

「ツンさんにとってちょんまげって何ですか?」

いつも勢い良く話すツノダが珍しく考えこんだ後、少しはにかんで話しだした。

「旗、だね。アメリカが初めて月面着陸したときに国旗を立てたでしょ。登山家も登山に成功したら山頂に自分の国旗を立てる。あれと同じ。やっぱりちょんまげって目立つ。一度見たら忘れない。それはすごいメリットなんだよ。日本人はあまり主張しないけど、主張しないといけない。覚えてもらわないと意味がない」

「これはコミュニケーションの基本だと思う。仕事でどんだけ頑張っても誰も覚えていなかったら評価されないでしょ。ちゃんと伝えましたって本人が言っても、伝えた相手が『忘れました』って言ったら、それは伝わってないってことなんだ。僕はどこの国に行っても2度目の訪問では『よく来てくれたね』って絶対言ってもらえる。前回の訪問を覚えてくれている。世界中の人たちの記憶の中に、心の中にフラッグを立てているんだ」

ツノダはいつも妄想している。今企てているのは福島の現状を映画化し、海外のコンクールに出品することだ。

「ダメ元で、ドキュメンタリー映画で有名な監督に声かけてみたら、この企画に乗ってくれた。やってみるもんだね。妄想して、ワクワクして、心動かされたら足を動かす。これに尽きる。他の人がやらないことの方が面白い」
 
取材を終え、帰りの機内では男の隣には座らなかった。窓からは雲からつきだしたヒマラヤ山脈が見えた。隣の客が、あれがエベレストだよと教えてくれた。先端が白くとがっていて、陽の光があたって輝いているように見えた。その輝きを見ながら、もう一度考えた。

人間は2種類に分けることができる。このちょんまげに甲冑(かっちゅう)姿の男に巻き込まれる人間と、巻き込まれない人間だ。

筆者は巻き込まれた。仮に、巻き込まれずにこの記事を書いていたらどうなっていただろう。記事は書けていたはずだ。しかし、この記事を読んでくれる誰かの心に旗を立てることはなかったに違いない。

今この文章を読んでいるあなたの心に旗を立てられるかどうかはわからない。でも、筆者はいつか誰かの心に旗を立てられるよう、記事を書き続けようと静かに誓った。いや、無理に続けなくてもいい。“断”続でいいのだから。

(写真:筆者撮影)