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「里山十帖」岩佐十良氏インタビュー(前編)

雑誌、コメ、旅館を使って、地域をデザインする男

2015/12/7

デザイン賞を総なめした宿

今、日本中で話題になっている旅館が新潟県の南魚沼にある。

部屋はわずか12室。常に予約でいっぱい。その旅館の仕掛け人は、雑誌「自遊人」の編集長である岩佐十良氏だ。

古民家を改装して創られた「里山十帖」。設計は岩佐自身が手がけた

古民家を改装して創られた「里山十帖」。設計は岩佐氏自身が手がけた

岩佐氏は、もともと武蔵野美術大学でデザインを先行していたアート畑。その後、編集者の道を歩み、「東京ウォーカー」「TOKYO1週間」などの編集に携わった後に、雑誌「自遊人」を創刊。2004年には、拠点を東京・日本橋から南魚沼に移し、米づくりを始め、食品の販売も行っている。

そんな多様なフィールドで活躍する岩佐氏が、クリエイティブ・ディレクター、経営者として立ち上げたのが、ライフスタイル提案型複合施設「里山十帖」だ。

この里山十帖は、宿として初めて「グッドデザイン・ベスト100」を受賞。ほかにも「グッドデザイン・ものづくりデザイン賞」「Singapore Good Design Award 2015」を受賞するなど、デザイン賞を総なめにしている。

岩佐氏が手がける「デザイン」は、実に幅広い。

いわゆる、プロダクトデザイン、情報を司るコミュニケーションデザイン、旅館を自ら設計するなど、建築という意味でのデザイン、さらには地域のよさを引き出し、新しい価値観を生み出すという意味でのコミュニティデザイン。

さらに、経営者としては、ビジネスをデザインしている。「経営とデザイン」というテーマで話を聞くのに、岩佐氏ほどベストな人はいない。

全方位でデザインを実践する岩佐氏にとって、デザインとは何なのか、デザインと経営とはどんな関係にあるのか。その答えを聞くために、新潟県の南魚沼にある里山十帖を訪ねた。

1967年、東京・池袋生まれ。武蔵野美術大学卒。大学在学中の1989年に編集プロダクションを設立。「東京ウォーカー」「東京1週間」「オズマガジ ン」「じゃらん」 などの特集記事を制作。2000年に雑誌「自遊人」を創刊。2002年、食品販売事業をスタート。2004年、東京・日本橋から新潟県南魚沼市に会社を移転、米つくりを始める。2010年に農業生産法人を設立。2012年、雑誌・食品に次ぐ、第三の事業となる温泉宿の経営を開始。

岩佐十良(いわさ・とおる)
1967年東京・池袋生まれ。武蔵野美術大学卒。大学在学中の1989年に編集プロダクションを設立。「東京ウォーカー」「TOKYO1週間」「オズマガジン」「じゃらん」などの特集記事を制作。2000年に雑誌「自遊人」を創刊。2002年、食品販売事業をスタート。2004年、東京・日本橋から新潟県南魚沼市に会社を移転、米づくりを始める。2010年に農業生産法人を設立。2012年、雑誌・食品に次ぐ、第三の事業となる温泉宿の経営を開始

すべては一つのメディア

──岩佐さんは、雑誌の編集長であり、米をつくる農家でもあり、米など食品のeコマースを手がける商人でもあり、旅館の経営者でもあります。いったい、何者なんでしょうか(笑)。

岩佐:僕のプロフィールをざっとご説明すると、1967年生まれの東京・池袋出身で、東京で育っています。新潟という場所に親戚がいるとか、血のつながりがあるとか、そういうのはまったくありません。

僕は武蔵野美術大学でインテリアデザインを専攻していたのですが、大学の在学中にデザイン会社を創業して、その後、編集者に転身しています。

1990年から2000年までは編集プロダクションとして、「東京ウォーカー」や「TOKYO1週間」の記事をつくって、2000年に雑誌「自遊人」を創刊しました。そして2002年から食品のインターネット販売を開始しています。

2004年には拠点を東京から南魚沼に移して、2014年から廃業した宿を譲り受けて、この里山十帖をオープンしました。

よくここまでのプロフィールを見て、「多角経営だね」と言われるのですが、全然僕にとっては多角経営のつもりがありません。雑誌も、食品の販売も、この里山十帖も僕の中では一つのメディアなのです。

要するに、雑誌を読んでいるのと同じように、里山十帖のソファーでくつろいでもらったり、「古民家いいよね」と感じてもらったり、「ここのお米はおいしいよね」と思ってほしい。旅館を、雑誌よりもリアルでライブ感のある体験の場、メディアとして考えているのです。

1990年からずっと雑誌つくっていますけれども、僕は雑誌の中で一番足りないものは、ライブ感やリアリティだと思っていました。正直に言って、雑誌の手ごたえがどんどん落ちてきています。

1つエピソードを紹介すると、かつて、お米の特集をつくったことがあります。1年間、お米を食べまくって、ここのお米が一番おいしいという米に出会えました。しかし、その生産者のお米は一般には売られていなかったのです。

そのとき、これだけおいしいお米の記事を書いても、「それが読者には買えません」というのはナンセンスだという話になったのですよ。

そして、なんとかしてこの米を売りたいと思い、いろんな人たちと話をしていたら、「では、あなたたちが買い取って、自分たちで流通させればいいじゃない」と言われたのです。それが食品販売を始めたきっかけで、米の次には味噌(みそ)も手がけました。

われわれは、雑誌の販売が弱ってきたから食品販売を始めたわけではなく、必然的に食品販売をせざるを得なくなったのです。

里山十帖の中でも、味噌、せんべい、米など、全国各地から集められた食品が販売されている

里山十帖の中でも、味噌、せんべい、米など、全国各地から集められた食品が販売されている

僕らにとって、お米や味噌自体がメディアです。その味噌がなぜおいしいのか、その米がなぜうまいのか──それを食べながら考えてもらうことによって、その背景にある物語をイメージして想像してもらう。

想像すると人間はさらに知りたくなるので、あとはインターネットなどで調べてもらえばいい。僕らはヒントだけ落とすという役割です。

ソーシャルラインデザインとは何か

──食品販売の次の試みとして、この里山十帖があるわけですが、なぜこの南魚沼という場所に宿をつくったのですか。

里山十帖のベースとなる古民家を譲り受ける話を受けたのは、2012年の5月です。

当時は、原発事故から1年強経ったときで、私たちはどん底状態でした。「もう夢も希望もないよね」「もう1発事故が起きたら、東日本は終わりだよね」といった雰囲気が僕らの仲間たちには充満していました。

こうした状態の中で、僕らは古民家を譲り受けて、リノベーションを始めて、2014年5月にオープンしたのがこの里山十帖です。

里山十帖というのは「十の物語」という意味です。「食」「住」「衣」「農」「環境」「芸術」「遊」「癒」「健康」「集う」という10のストーリーがあります。たとえば、「食」という点では、僕らにとってのミッションは、日本の豊かな食文化を世界に発信することです。

多くのファンに愛される雑誌『自遊人』。編集のプロである岩佐の知見とセンスが詰め込まれている

多くのファンに愛される雑誌「自遊人」。編集のプロである岩佐氏の知見とセンスが詰め込まれている

僕らには、この宿をベースにいろんなイノベーションを起こしたいという思いがあります。

イノベーションというと、どうしても新技術といった、何か画期的な話になるのですが、僕らがやっていることは全然大したことはありません。すでに世の中にあふれているモノとモノ、みんなが考え尽くした人と人の英知の結晶を組み合わせるだけで、新しい価値観はいくらでもできてくると思っているのです。

それを僕らは「ソーシャルラインデザイン」と呼んでいます。

「ソーシャルデザイン」という話はよくありますが、ソーシャル、社会をデザインするだけではなくて、社会にいる人と人や、モノとモノを結ぶことのほうがもっと重要です。

新しい産業が生まれる可能性

──「ソーシャルラインデザイン」という文脈において、里山十帖にはどんな狙いが込められているのでしょうか。何と何をつなげようと思ったのですか。

都市に住んでいる人と、地元の住民と観光資源です。伝統野菜であるとか、周りの山であるとか、古民家といった地元の人がなんとも思っていないものを、観光資源として結んでいく。都市に住む人を集客して、地元の住民を雇用して、地方の潜在的な観光資源をプロデュースするということです。

その結果、何が生まれるかというと、地元住民と都市に住む人の間で交流が生まれます。ひいては移住も促進される可能性もあります。

これは熱海や箱根の旅館とは違うところです。熱海や箱根の場合、お客さんがそこを選んでいるのは、熱海にどうしても行きたいから、というより、地理的に近いからという理由が多いはずです。地方創生とは全然関係がありません。

一方、里山十帖の場合は、お客さんに、地産地消の野菜料理を味わってもらい、ここにしかない風景を楽しんでもらいます。

たとえば、棚田の風景や、稲穂が金色に染まってサーっと風に流れている風景です。秋のシーズンに来た人たちの中には、「宮崎アニメの世界にそっくりだよね。こんな風景が本当にあるんだ」とおっしゃる方もいます。

こうして、「南魚沼って意外と良いとこだな」「新潟って意外と良いとこだな」と思っていただくことによって、自然と人と人の交流が生まれて、移住促進につながるかもしれません。

それに、「こんな棚田の風景なんかさあ」「こんな田舎の家なんてさあ」と言っていた地元の人たちが、「これ、もしかしていいモノなの?」と故郷に自信を持つようになるという効果もあります。

こうしたことを積み重ねていくと、最終的に、新しい産業が生まれる可能性があると思っているのです。

典型的な話で言うと、山形に「アル・ケッチァーノ」の奥田政行さんというシェフがいますが、奥田さんが、だだちゃ豆を有名にしたことによって、だだちゃ豆アイス、だだちゃ豆チップス、だだちゃ豆饅頭といった商品が生まれました。たかだか枝豆でいっぱいの商売が生まれたわけです。

同じように、今僕らが掘り起こしている食材から新しい名産ができれば、そこに新しい産業ができるかもしれません。

──里山十帖のようなモデルを日本各地で、今後10年で10拠点やりたいとおっしゃっていますが、この先、どんな進化を狙っているのですか。

この里山十帖は、要は私たちにとっての「るるぶ新潟」「まっぷる新潟」みたいなものです。メディアと同じです。こうした活動を、いろいろな地域で、発信の仕方やテーマの切り口を少し変えたりしながら、いろいろやってみたい。それが今の希望です。

*続きは明日掲載します。