経営にとってデザインとは何か
人間は不可解であり、人工知能は不可解さを超えられない
2015/11/27
経営者としての土佐
──土佐さんは経営者であるという意識はもちろんあるのでしょうか。
土佐:経営者ですか? うーん。
経営だと、できるだけモノをつくらないほうが儲かりますからね。起業と経営でいくと、起業タイプだとは思います。
僕は、どんどん新しいプロジェクトを立ち上げてモノをつくるから、常に起業しているという目線じゃないですかね。
──明和電機の収入はどういった構成になるのでしょうか。
2つあります。「マスプロダクト(=大量生産)」と「マスプロモーション(=大衆へ伝達)」と自分では分類しています。
その2つの頭文字を取って「マスプロ」。明和電機は、マスプロをやる芸術家だと思うんですね。
「マスプロダクト」はいわゆる大量生産するもの。明和電機はとにかくいろんな商品をつくっています。
アート(Art)から、本(Book)、CD、DVD、e-ビジネス、ふファッション(Fashion)、グッズ(Goods)と……それを頭文字を取って「ABCDEFG計画」と呼んでいます。
オリジナルのアートは売らずに、それをマルチプルとか、マスプロダクトに落とし込んで、収入を得るというのがまず1つ。
もう1つが、「マスプロモーション」で、ライブや展覧会を開催したり、積極的にテレビに出たりなど、そういったところから収入を得るというもの。
この2本柱で、収益はほぼ半々ぐらいです。
ログの圧縮版が作品
──1年にいくつくらい作品をつくるのですか。
大物は2点から3点ですかね。
たとえば、今って、みんなログを残しますよね。ブログやったり、ツイッターやったり、写真撮ったりして、「自分の記録を残す派」じゃないですか。
あまりにも今、残しすぎているので、その情報をビッグデータの解析で二次利用で、なんとかもっと役に立たないかって研究をすごくされていますよね。
でも僕にとっては、つくってきた製品がログであり、そのとき、自分が考えたものを結晶化して、超圧縮しています。
だからそのとき自分が何を考えていたかが製品を手に取るとわかりやすいし、自分が次どこへ行こうかな、というときに、そのログたちは、すごく自信になります。SNSみたいに「なんとなく残した」ものじゃなくて、製品は圧縮してアーカイブされて、整理されたものだから。
逆に、人類の文明は、バカスカ、バカスカと、データを取ってあげていく方向にいってますけど、これのほうがつらいんじゃないかと思いますけどね。
圧倒的に、自分を見失いやすいだろうと思います。
理解できれば、人を説得できる
──次にやりたいことはどうやって見つけるのですか。
前の話にもつながりますが、感覚的に、「自分にとって、何が今の不可解か?」というのがあるんですね。
わかったことはもういいんです。今の時代性とかに、なんかちょっと引っかかる不可解なことがあって、そこが気になる。
それにこだわっていると、必ずそこに着地点があるな、とだんだんわかってくる。そして製品のイメージがポン! と出てくる。そこを明確化して納得するという、論理的な作業です。
リサーチもやっぱりします。それについて調べたり、詳しい人に会ったり、旅に出たり。ドラゴンボールの玉を集めるように、リサーチして、全部集まって、眺めているときに、「あっ! 見えた! わかった!」とひらめく。
この「あっ! 見えた! わかった!」と自分が納得できると、今度は人を説得できるんですよ。
自分がわかったものなので、絶対に伝えられるし、絶対に面白いという自信がある。
納得することは、伝える強さになりますね。それがないのに伝えなきゃいけないときはすごくつらいです。嘘つきになるので。
コモンセンスがナンセンスになる
──完全に理解すると、伝えれば必ず面白がってもらえるものなのでしょうか。
そこには確固たる自信がありますね。
それは、哲学的に難しいとかではないんですね。「見えた! わかった!」というのは、脳みその中のコモンセンスがカチッと、ナンセンスになること。
これは過去にもいろんな発見や発明をした人たちが経験したことです。
ニュートンは、リンゴを落ちるのを見て、「地球の中心に全部引っ張られとるやん!」って納得して、「ハハハハ!」と笑ったと思うんです。
ダーウィンも「生き物が全部つながっとるやん!」と納得して爆笑した。そういう感じです。
──その変わったときの感覚を、土佐さんはわかっている。
スイッチがコモンセンスからナンセンスに変わるという現象が、自分の中で起きたときに、「はぁー!!」となって、これは伝えなきゃいけないと思う。でも、確かに伝わりにくいこともあるんですよ。
たとえば、お釈迦さんだって、「わかった!」と悟った瞬間があったと思うんです。
たぶん悟りの世界って、高次元の世界で、人の存在に関することだから、わかった瞬間にもう死んでもいいやと死ぬ人もいると思うんですよ。でも、お釈迦さんが死ななかったのは、そこで踏みとどまって、「これはどうやったら人々に伝わるかな?」と考えたからだと思うんです。
そして、創意工夫し、物語や音楽、イメージを使って高次元の世界を落とし込んでいきますよね。
そうやって「誰かに伝える」ということを一生懸命やって、相手がわかったときに初めて、「よっしゃ! 納得した」となる。
自分だけがわかる、ということもあるけど、それよりも大事なのは、「人に伝わって、わかる」ことだと思います。
AIは不可解さを超えられない
──つくるときと見せるときのバランス感は、土佐さんの中でどう分けているんですか。
大学の卒業制作で、『My Favorite Things』という曲に合わせて、ガッコンガッコンってダンスする妊婦の自動ロボットという、何か変な気持ち悪いロボットをつくったんです。
それをつくったときに、面白いなと自分でも思ったんですけど、途中で飽きちゃった。自分が与えた動きしかしない。すごいコモンセンスなマシーンだったんです。
僕は「ナンセンスマシーン」というのをテーマで機械をつくっているんですけど、決定的なのは、どうやっても本質的なナンセンス、創造的なナンセンスは、コモンセンスが基本である機械では絶対つくれないんですね。
それは人工知能(AI)の問題と一緒で、人間が人間を理解できた部分でしか機械というのはつくれない。でも、一方で、生物とか人間はそれ以上のものをたくさん持っている。
──不可解というところでしょうか。
この不可解という部分は、論理だけでは超えられない。でも、機械を使うと、どうしても自分以下のものができてしまう。そのことをあるとき、決定的にわかってしまった。
でもナンセンスマシーンはつくりたい。
だったら、自分のつくった小さなナンセンスマシーンをつなげるために、「ナンセンスな生命である、自分が出ていけばいいじゃん」と思ったんですね。
自分のつくった機械たちを自分が使うというアクションで、それをつないでいけば、完璧ではないけどなんとなく、「ああ、ナンセンスなものができるなあ」と思って。
それがすごいストンと、自分の中に落ちて、なんか納得がいったという感じですね。
論理だけではいけない。感情だ
──論理だけでは駄目だと思った瞬間っていうのは、いつなのでしょうか。
年とともに、モードが変わるのですが、たとえば、20代は魚のシリーズをずっとやっていたんですね。魚という、イメージというか、情念のような、ぐじゅぐじゅしたものが何かあって。それが機械を介して製品化するときに、すごい論理を使っていた。
論理的にやり過ぎると、たとえばひどいのだと、魚を殺す機械とかをつくっていたんですよ。117を押すと時報にかかりますよね。時報って10秒ごとに「プーン」と言うんですけど。「プーン!」というたびに、この矢が「スコーン!」と落ちて、運が悪いと魚に刺さるという機械なんです。
あとは、魚を撲殺する棒とかあるんです。20代のときに、ライブでよく魚を殺してたんですね。お客さんは明和電機の楽しいライブを見に来たのに、いきなり前半で僕が魚をボクーン! と絞める。お客さん、頭が真っ白になった状態なのに、いきなり後半では、歌謡ショーみたいに僕ら、踊りだしていた。
でも、このやり方に限界を感じたんです。論理だけでやっていくと駄目だと。
そこで、30代になったときに感情を使おうと思って、「女」をテーマにした。たとえば恋愛とか、もうコントロールが効かないじゃないですか。自分が持っているそういう感情でつくろうと思って始めたんですよね。
──今は、何をテーマにされているのでしょうか。
今はボイスに移っています。声の機械ですね。最初は、人工声帯で歌を「歌う機械」をつくったんです。
声ってすごく感覚的だし、呪術性がすごくある音で、人の心を縛ることもある。でもメカニックに見たら、ちゃんと仕組みがあって、機械で再現できる。
「歌う機械」は、心がないのに、歌を歌うし、それを聴いて感動している人がいたりする。
この「呪術性=ナンセンス」と「仕組み=コモンセンス」を持っている声というのは、僕のやりたいことにぴったり合っていて、今面白くてやっていますね。
本連載は、ほぼ日刊イトイ新聞とCOMPOUND、NewsPicksの共同企画です。各媒体が取材したい企業を選び、取材した記事を、それぞれ制作・公開します。
取材先は以下の通り
ほぼ日刊イトイ新聞:三和酒類
COMPOUND:明和電機
NewsPicks:里山十帖
明和電機のそれぞれの記事はこちら
ほぼ日刊イトイ新聞:芸術家+経営者+デザイナー=?
COMPOUND:デザインの魂のゆくえ:第1部「経営にとってデザインとは何か。」(2)明和電機篇