20151203-namiki-b

オラクル求人特集

20代で迎えるキャリア分岐点と、並木裕太が決断に踏み切れた理由

2015/12/7
29歳の若さでマッキンゼー日本支社の最年少役員に抜てきされたキャリアを持ち、現在はフィールドマネージメントの代表として活躍する並木裕太。メディアでは輝かしい経歴に注目が集まるが、そんな彼も20代のころは、自分がやりたいことと現実とのギャップに悩み続けていた。大企業のトップに信頼される経営コンサルタントは、どのようにして20代の転機を迎え、成功への決断をしていったのか。

「3年は続ける約束」でマッキンゼーへ

並木裕太は、日本航空、ソニー、楽天といった日本を代表する企業のコンサルタントを務める。業界のトップたちは口をそろえて「並木には、ほかのコンサルにはない情熱がある」と絶大な信頼を置く。マッキンゼー在籍中はアジア太平洋地区航空グループのリーダーや、マッキンゼー・スクール・オブ・リーダーシップの校長なども歴任した。

並木を語る上ではずせないのが「野球」だ。メーカーに勤める父親について高校時代をアメリカ西海岸で過ごし、真剣にプロ野球選手を目指していた。その夢が断たれたのは高校2年生のときだ。練習中に大きなけがを負ってしまい、ハイレベルな競争で勝ち抜けなくなった。

帰国後は慶応大学に進学するが、新たな夢はなかなか見つからない。将来の見通しがつかないなか、バイト先で出会ったのがマッキンゼーの重役だ。その後、並木の人生に多くの助言を与えてくれるキーマンとの邂逅(かいこう)だった。

「やりたいことが見つからないのなら、うちの会社においでよ」

突然のオファーだった。並木は当時をこう振り返る。「恐縮ながらマッキンゼーの社名すら聞いたことがなかったし、最初は軽い冗談だと思っていたんです」

なかなか決断できずにいると、こう提案をしてくれた。「新卒で入社した場合、マッキンゼーのコンサルタントは、3カ月に1社のスパンでクライアント企業を担当することが多い。まずはいろんな企業を見て、それから自分が情熱を傾けられる道へ進めばいい」

納得した並木はひとまず「3年続ける約束」を交わし、採用試験を受け、2000年に入社。コンサルとしてのキャリアをスタートさせた。

並木裕太(なみき・ゆうた) 慶応義塾大学経済学部卒。ペンシルベニア大学ウォートン校でMBAを取得。2000年、マッキンゼー・アンド・カンパニー入社、09年に独立、フィールドマネージメントを設立。エレクトロニクス、航空、インターネットなどの日本を代表する企業の戦略コンサルタントを務める。2015年に、MBA母校のウォートン校より、40歳以下の卒業生で最も注目すべき40人「ウォートン40アンダー40」に選出される。

並木裕太(なみき・ゆうた)
慶応義塾大学経済学部卒。ペンシルベニア大学ウォートン校でMBAを取得。2000年、マッキンゼー・アンド・カンパニー入社、09年に独立、フィールドマネージメントを設立。エレクトロニクス、航空、インターネットなどの日本を代表する企業の戦略コンサルタントを務める。2015年に、MBA母校のウォートン校より、40歳以下の卒業生で最も注目すべき40人「ウォートン40アンダー40」に選出される。

3年間の修業を経て、逃げるように新天地へ

「入社後の3年間は、とにかくつらかったですね。野球はアウトをとれば好プレーだけど、コンサルは何が正解かわからない。自分が戦っている競技のルールすら理解できず、社内評価も最低レベル。いつクビになってもおかしくない状況でもがいていました」

当時、マッキンゼーは半年に1度、5段評価で査定を行っていた。下から2番目の「イエローカード」を2回連続でとるとコンサルタントとしてマッキンゼーに残ることは難しくなる。並木の評価は2と3を行ったり来たりだった。

「なんとか食らいつこうと、マッキンゼー流の分析力・提案力を身につけることに必死でした。でも、内心ではコンサルの仕事に疑問を抱いていて、本気で熱くなっていなかった。先輩方にいくらパートナー(共同経営)の素晴らしさを説明されたところで、『プロ野球選手の方が多くの人に感動を与えられるから、何倍もすごいんじゃないか』と思っていました」

浮き沈みを繰り返し、首の皮一枚でアソシエイト(下から2番目の階位)に昇級したのは、約束の3年が経過するタイミングだった。

そのままマッキンゼーにとどまる選択もあったが、並木はとにかく環境を変えたかった。悩んだ末に休職し、名門ペンシルベニア大学ウォートン校に進学することを決めた。「修了までに、本気でやりたいことを見つけろよ」と、キーマンと2度目の約束をかわした。

野球への情熱は消えず、スポーツビジネスの道へ

再びアメリカに渡り、将来を見つめ直したときにわき上がったのは、「やはり野球に携わりたい」という思いだった。ならばスポーツビジネスを本気で学んでみよう。留学先のフィラデルフィアには米国4大スポーツすべてのプロチームがあった。幸運なことに、顔の広い教授が地元チームの社長たちや、関連業界のトップに引き合わせてくれた。

転機が訪れたのは2004年、在学1年が経過した夏休みのことだ。インターンシップ先を探していたときに、堀江貴文が起こした「プロ野球球団買収騒動」をニュースで見て、いてもたってもいられなくなった。目をつけたのは、三木谷浩史が立ち上げた新球団の「東北楽天ゴールデンイーグルス」だった。

並木には、3年間のコンサル経験と、なにより「野球への情熱は誰にも負けない」という自負があった。そしてメジャーリーグのビジネス戦略を現地で学んだ今なら、自分でも役に立てることがあるのではないか。

といってもコネクションはない。糸口を探しあぐね、楽天の「お客様窓口」にメールを送ることにした。幼少期から野球とともに人生を歩んできたこと。これまでの経歴と、自分なりに「プロ野球球団が価値最大化のためになすべきこと」の提案をまとめ、精いっぱいアピールした。

「驚いたのは、メールを送って20分もたたないうちに、島田亨球団社長(当時)本人から『すぐに会いたい』とレスポンスがあったことです。またとないチャンスだと感じて、すぐさま飛行機のチケットを取って仙台に向かいました」

こうして楽天イーグルスのチケット販促を担当することになった並木は、手始めに球場の座席シートの価格変革を行った。今では主流の「曜日対戦相手別値段表」を導入し、世界初の「座席の左右非対称の値付け」も取り入れた。さらに、ファンクラブの運営改革、新たなファン層・スポンサーの獲得など、次々と革新的なプランを打ち出した。

このときの経験が、並木のビジネス観を大きく変えた。イーグルスの役員たちは、理屈より信念で行動を起こす“起業家魂”と“ビジネス体育会系”の人間ばかり。球団運営の改革について200ページ余りのプレゼン資料を用意したときも、役員たちは並木の提案について、理論よりも「情熱」を支持してくれた。

「君ほどの野球好きが言うのなら、信頼する」

理論を裏付けるためのロジックは必要不可欠だが、ロジックだけで人の気持ちは動かない。理論で築いた土台のうえに、それをしのぐレベルの情熱を注ぐことで、コンサルタントははじめて経営者と同じ目線で並走する「パートナー」になれる。それに気がついた瞬間だった。

現在、スポーツの分野では、プロ野球オーナー会議へ参加、パ・リーグのリーグ・ビジネス、ファイターズやイーグルスなど多数のチームビジネスをキーマンとともにつくり上げている。

現在、スポーツの分野では、プロ野球オーナー会議へ参加、パ・リーグのリーグ・ビジネス、ファイターズやイーグルスなど多数のチームビジネスをキーマンとともにつくり上げている。

違う世界に飛び出すことで、自分のキャリアに新しい光を照らす

ようやく自分の進むべき道が見つかった。MBA取得後はそのままイーグルスにジョインするつもりだったが、恩義あるキーマンに押しとどめられる。悩んだ末に、マッキンゼーに復帰することを決めた。

その結果、帰国した並木は異例のスピード出世を果たす。エレクトロニクスや航空の分野で大型案件を次々と成功に導き、わずか29歳で最年少役員へ昇格。2年前までの、「クビ寸前」の若手社員の姿がウソのようだった。

劇的な変化について、並木はこう説明する。

「イーグルスでまったく違う価値観をもつ人々と出会い、そこで自分の力が通用するとわかったとき、世界がバッと広がりました。マッキンゼーで過ごした3年間の修業時代は、間違いなく自分に必要な経験でした。でも、そのまま同じ場所にとどまっていたら、おそらく飛躍はなかったはずです」

飛び出した先で出会った新しい価値観が、並木を変えた。役員昇格後は航空産業のアジア太平洋地域を統括する立場となり、後進の育成にも関与。まさに順風満帆のステップアップを果たしていった。

だが、その1年後の2009年、並木は築いたポジションをあっさり手放し、株式会社フィールドマネージメントを立ち上げて独立する。突然の決断に周囲は驚かされたが、本人に迷いはなかったという。

「環境はいくらでも変えられるし、それが何よりの成長につながるということを、僕は知っていましたから。現状維持こそ最大のリスクであり、変わり続けること、チャレンジを続けることだけが飛躍する唯一の方法です。今年にはいって、VCやPEファンドなどの新規事業も立ち上げたし、まったく別領域のビジネスも開拓していきたい。立場や環境にとらわれることなく、何度でも新しいチャレンジをしていきたいと思っています」
 20151203-oracle-welcome

日本オラクルはクラウドカンパニーへの大きな変革を進めています。変化をチャンスと捉え、オラクルと共に成長することで新たなキャリアをつくりませんか? JOIN THE CLOUD COMPANY!
オラクルのクラウドポジションについて

クラウド業界が20代の「挑戦者」を求めている理由

新しい環境へのチャレンジ、キャリア・チェンジを考えているビジネスパーソンの多くが注目するIT業界。なかでも「クラウドビジネス」の領域は、特に20代の採用が活発化している。その背景を、ロバート・ウォルターズ・ジャパンのITベンダーチームマネージャー、髙木弾氏は次のように語る。

「あらゆる企業の基幹システムがクラウドに移行していく流れは、日本でも急速に広まっています。IoTやビッグデータなどのバズワードに注目が集まるなかで、クラウドはそれを支える土台となる存在。しかし、まだ新しい分野であり、クラウドのスキルを持った人材は、ニーズに対して圧倒的に少ないのが現状です。

そのためIT企業はポテンシャルを重視した人材採用を積極的に行っています。特に外資系大手はトレーニング制度が充実しているので、他分野のITスキルをもった人材はもちろん、他職種・他業界からのキャリアチェンジが受け入れられる可能性も大きい。開拓心のある若者のチャレンジが求められています」

クラウドビジネスのさらなる強化を目指している日本オラクルは、今年6月から営業職を中心に200人の大型採用プロジェクトを推進している。

「オラクルは今、『No.1クラウドカンパニー』というビジョンを掲げ、変革を進めています。会社が変わるときには、新しい原動力が必要。『過去にこういう経験をしてきました』という基準だけではなく、これからビジネスのトレンドが変わっていくなかで、時流の変化にアンテナを張っている未来志向の人に、最適なチャレンジの場を提供したいと考えています」(日本オラクル執行役員 人事本部長 遠藤有紀子)

(聞き手:呉 琢磨、構成:両角晴香、撮影:オカムラダイスケ)