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【本田圭佑とホルンの野望】第1回:始動

プロ経営者に頼らない。本田圭佑が選んだ手づくりのクラブ経営

2015/12/7

本田圭佑のホルン参入は現地メディアからも注目を集めた。欧州でも選手出身のクラブオーナーというのは珍しいが、それがイタリアの名門でプレーする現役の外国人選手によるものとなればモノ珍しいというのもうなずける。

オーストリア代表は現在、国際サッカー連盟(FIFA)の世界ランキング10位で国内のサッカー熱は高まりを見せているが、代表選手のほとんどは隣国ドイツなどの海外リーグでプレーしているため、ファンの注目は自然と外に向かう。

国内ではザルツブルクがここ10年でリーグ優勝6回、準優勝が4回と圧倒的な強さを誇っているため競争力と魅力に乏しい。だが、そのザルツブルクも欧州CL出場権は8年連続で逃しており、国内リーグの停滞は明らか。

オーストリア国内、特に伝統的な強豪クラブが2つ存在するウィーンでは、ザルツブルクによる「支配」を快く思っていない人間は少なくない。

放送局「Sky」が「ホルンは将来的にザルツブルクの対抗勢力になる可能性がある」と報じるなど、本田の試みがこの停滞感を打ち破るきっかけになるのではないかというある種の期待感も現地からは感じ取ることができた。

3部のSVホルンはオーストリア杯2回戦で、日本代表の南野拓実が所属する1部の名門レッドブルと対戦。榊翔太のゴールで先制するも、南野に決められて同点に。その後、互いに1点ずつ取り合って延長戦に突入したが、惜しくもホルンは2対3で敗れた

3部のSVホルンはオーストリア杯2回戦で、日本代表の南野拓実が所属する1部の名門レッドブルと対戦。榊翔太のゴールで先制するも、南野に決められて同点に。その後、互いに1点ずつ取り合って延長戦に突入したが、惜しくもホルンは2対3で敗れた

現地局「もはや軽視できない」

そして、それが近い将来、現実のものになるかもしれないことをホルンはすぐに示してみせた。

9月に行われたオーストリア杯2回戦では、3部のホルンが王者ザルツブルクと延長戦にまでもつれこむ接戦を演じてみせたのだ。その戦いは現地テレビ局「LAOLA1」が「もはや本田のプロジェクトを軽視することはできない」と認識を改めざるを得ないほどであった。

ホルンは昨季2部で最下位に終わり3部に降格したクラブだ。一体、本田はホルンの何を変えたのだろうか?

本田流こだわりのクラブ人事

まず、本田の参画によってクラブ上層部の顔触れは大きく入れ替わった。

かねてからクラブの経営権を譲りたいと考えていたクロンシュタイナー前会長がその座を離れ、上層部を本田が抜てきした日本人スタッフが占めることになった。中でもクラブの方向性を決定づけることになったのが、CEO兼副会長として経営面を取り仕切る神田康範、そして強化面の責任者を務める大本拓の抜てきだろう。

神田はマネージャーとして、本田を最も近くで見てきた人間だ。大学卒業後ブリヂストンスポーツに入社した神田は、アメリカで現地の人たちを対象にゴルフのマーケティングを行う仕事をしていた。

その後、日本帰国のタイミングで中田英寿の所属事務所であるサニーサイドアップに転職し、ゴルフ選手のマネージメントを務めていた。そして3年前に、HONDA ESTILO本格始動にあたり新たな人材を探していた本田から声がかかり、本田のマネージャーを務めてきた。

神田康範(写真左)はホルンのCEO兼副会長に就任。現地に住んで、クラブの経営面を仕切っている

神田康範(写真左)はホルンのCEO兼副会長に就任。現地に住んで、クラブの経営面を仕切っている

本田イズムの理解を優先

意外なことに、神田とサッカーの接点は本田と出会うまでほとんどなかった。学生の頃から野球をやってきて、社会人になってからはゴルフの分野で活躍してきた。

選手としてサッカーをプレーした経験はなく、サッカー業界に携わってきたのはここ数年のことだ。サッカークラブの経営はもちろん、何かを経営した経験もない。なぜそんな神田がホルンの経営トップを任されることになったのだろうか?

「僕自身、この話をもらったときは『なぜ自分なのだろう』と思いました。僕はサッカーの人間ではないからサッカーの技術的な話はできませんし、ましてやサッカークラブを経営した経験なんてありません。もちろんそういったことは本田選手に伝えました。

でも本田選手の求めるものはサッカーチームの経営に関する専門性ではなかったんです。重要なのは本田選手の考えやスタイルを深く理解し、それを推し進められること。それをできる人間こそがこのポジションに就くべきだと本田選手から伝えられました」

理念は専門性より速く進む

確かに外からやってきた専門家を雇えば、手っ取り早くクラブ経営は進められるだろう。だが、組織のトップに立つ人間であれば自ら理念を体現することも求められる。つまり、本田は物事の進むスピードよりも理念をじっくりと築き上げていくことを選んだということなのだろうか?

「どちらかを選んだという話ではないですね。われわれは、理念は専門性よりも速く進むと考えています。急がば回れではないですが、しっかりと理念に基づいて取り組んでいくほうが、専門性を重視して物事を進めるよりも結果的に先に目標に到達することができるのだと」

スパイク担当からの挑戦

一方、強化面のトップに就任した大本もサッカー畑の人間ながら、現場の指導者としての経験やスカウトなどの強化担当者としての経験はない。

高校時代にはベガルタ仙台のユースでプレーしていた大本は、高校卒業後にイギリスへ渡りポーツマスでスポーツ科学を学んだ。帰国後はイギリスで学んだ経験を生かしてスポーツ用品メーカーのミズノへ入社し、本田がオランダへ渡ってからは7年にわたってその担当を務めていた。

スパイクなどの用具のサポートを行う立場だった大本は、当然本田とサッカーについて話す機会も多かった。リスクを犯してチャレンジし、自ら道を切り開いていく本田の姿を間近で見てきた大本にとって、その哲学に共感する部分は大きかった。

「自らの信じたやり方を実践してあそこまで上り詰めたのだから説得力がありますよね。その姿を目の当たりにして、僕もこの年で『もう一度チャレンジしたい』という思いが芽生えていきました」

大本拓(写真右から2人目)は、ミズノ時代に本田圭佑のスパイクを担当していた。現在、クラブの強化責任者

大本拓(写真右から2人目)は、ミズノ時代に本田圭佑のスパイクを担当していた。現在、クラブの強化責任者

理解者による手づくりの経営

この人事からは本田の目指す経営像をハッキリと見て取ることができる。本田が選んだのは専門性を持ったエキスパートではなく、自身の考えやスタイルへの理解者による手づくりの経営だった。

今、世界的なビッグクラブでは金融やコンサルから専門家を招いて経営面を任せるクラブも少なくない。本田の選んだクラブ経営は現在のサッカークラブ経営の流れとは異なるものだと言える。

セオリー通りではないという意味ではリスクを伴う選択であるが、このプロジェクトが成功すれば、このスタイルが新たにスタンダードになる可能性もある。

CEOが自らランチを振る舞う

クラブ経営の専門家抜きで始まったホルンの経営は、手探りで始められることになった。

今年、オーストリアの法律変更に伴いプロ部門の会社化が義務付けられたため、現在は会社の立ち上げが優先的に行われている。もちろん神田と大本にはそれぞれの役割があるものの、こうした大がかりな仕事には役職関係なくスタッフ全員で業務に当たっている。

神田はHONDA ESTILO社員としての通常の業務もこなしており、多忙を極めるが、お昼にはクラブハウスでスタッフに手づくりのお昼ご飯を振る舞う。

取材に訪れた日のメニューは、白菜や人参といった野菜に豚肉を加え、最後は麺を入れるピリ辛鍋だった。このレシピは神田が現地のスーパーで手に入る食材から考え出したアレンジ料理だ。クラブハウスを訪れる前にスーパーへ立ち寄り、自ら食材を調達してきた。

ホルンのホーム試合では、現地の人に身近に感じてもらうために日本食を販売している

ホルンのホーム試合では、現地の人に身近に感じてもらうために日本食を販売している

試合では日本食を販売

試合日にはスタジアムの一角で焼きそばやチャーハンといった日本食の販売を行っており、これも神田の手づくり。「少しでも日本を身近に感じてほしい」という思いからだった。

世界中の組織を探しても、ここまで労を惜しまず調理を行うCEOはそう多くないだろう。「最近ご飯をつくるのハマってるんですよ」と笑いながら手を動かすその姿に、本田が抜てきした理由を見た気がした。

神田が調理する間、ほかのスタッフたちも食器などの準備を進める。鍋が完成すると「まさかこっちで鍋が食べられるとは思わなかったですよ」とまるで部活動の合宿のようにわいわいと食卓を囲む。そこにあるのは全員で一つの目標に進む「チーム本田」の姿だった。

(写真:(c)SV HORN)

*本連載は毎週月曜日夕方に掲載予定です。

【連載目次】

予告編本田圭佑とホルンの野望

第1回:始動
プロ経営者に頼らない。本田圭佑が選んだ手づくりのクラブ経営

第2回:挑戦
本田圭佑の右腕・神田CEOが挑むホルン経営改革

第3回:融合
強化責任者・大本の進める「本田流」現場のまとめ方

第4回:発展
オーストリア人スタッフが見たHondaの経営術

第5回:上昇
首位で折り返し。ホルンが目指すCLへの最短ルート