予告編
【新連載】本田圭佑とホルンの野望
2015/12/1
人口6500人の街にあるオーストリア3部のクラブが、5年で欧州チャンピオンズリーグ(CL)を目指す──。
そんな夢物語のような話も、ある男が掲げた目標となれば途端に現実味を帯びてくる。その男の名は本田圭佑。5年間の間にオランダ2部からイタリアの名門ACミランの背番号10を背負うところまで駆け上がった本田のプロジェクトは、その目標に向けて着実に歩みを進めている。
知人の紹介で前会長と出会った
本田が今回のプロジェクトに選んだのはオーストリア3部東地区に所属するSVホルンだ。
設立は1922年と古く、90年以上の歴史を持つ伝統あるクラブだ。ウィーンから1時間ほど北上したところにあるホルンは人口6500人の小さな街を本拠地とし、昨季までオーストリア2部に所属していたが降格し、今季は3部で戦っている。
かねてから欧州でのクラブ経営の道を探っていた本田サイドが、ホルンの会長が後継者を探しているという話を知人の紹介で知り、今年の6月に経営権の譲渡が実現した。
全会一致で承認
近年は富豪や大企業によるクラブ買収も珍しくなくなったが、SVホルンの経営権獲得はそうしたケースとは異なる。ホルンはプロクラブだが、NPO法人で株式が存在しないためそもそも「クラブを買収」というかたちは不可能だった。
クラブはいわゆるソシオ制度で運営されており、クラブ会員の投票によって理事が選出される。理事会の過半数を本田サイドの人間が占めるようにし、この人事をクラブ総会で審議にかけ、会員の投票によって全会一致で正式に承認されることになった。
ホルンを訪れて取材
これでホルンの実質オーナーとなった本田だが、現役選手としてACミランでプレーしているため現地でクラブの業務に携わることはできない。しかし、同時に本田が名ばかりオーナーであるとは思えない。
一体、SVホルンはどのようなかたちで運営されており、そこに本田はどのようなかたちで関わっているのだろうか?
そんな疑問を解き明かすためにホルンを訪れ、スタッフたちに取材を行った。
12年から本田が経営にも本気に
ホルンを運営しているのは、本田のマネジメント会社であるHONDA ESTILOだ。
本田がオランダ移籍を果たした2007年に設立されたこの会社は、その後しばらくはマネジメント業務を他社に委託していたが、12年から本格的に本田が参画を開始し、独立とともにサッカースクールSOLTILO(ソルティーロ)を立ち上げた。
ソルティーロは3年間で50校にまで規模を拡大し、当時15人程度だったソルティーロのスタッフも現在は100人程度まで増えた。
エスティーロが意味するもの
ESTILOとはそもそも主義、スタイル、イズムを意味するスペイン語だ。
「つまり、HONDA ESTILOという社名は『本田イズム』を意味しており、その名の通り本田選手の理念や想いを伝えていくことを目的としている」
HONDA ESTILOのスタッフであり、ホルンのCEO兼副会長を務める神田はそう語る。
それゆえ、スクールには本田の意図が色濃く反映されているし、ホルンのプロジェクトもその延長線上にある。
「欧州への挑戦が遅かった」
本田が欧州でクラブを運営する目的は、日本人選手の欧州へのステップアップの場をつくることだ。
本田は22歳のときに当時オランダ1部VVVフェンロへの移籍を果たしているが、本田自身はそれでも「欧州への挑戦が遅かった」と考えているのだそうだ。
確かに近年は日本人選手の欧州移籍も増えているが、Jリーグで活躍してからというのが主流だ。
ロイスは3部から飛躍
欧州では下部リーグで経験を積んだ選手がトップレベルまで上り詰める例も少なくない。たとえば、ドルトムントでプレーするドイツ代表FWマルコ・ロイスはドルトムントの下部組織でプレーしていたが、16歳のときに次のカテゴリに昇格することができず、3部のクラブに移籍した。
そのクラブで18歳のときにトップチームデビューを果たして経験を積み、その実力が認められて1部ボルシアMGに移籍。その後ブレイクを果たした。
つまり、裾野の広い欧州では、順調にステップアップすることができなくても下部リーグでプレーしていれば世界トップレベルまで上り詰めるチャンスがいくらでもあるのだ。
「若手の欧州行きを増やしたい」
こうしたケースを増やすためには「若くして欧州でプレーする選手を増やさなければならない」と本田は考える。
ホルンはその橋渡しのようなクラブになることを望んでいるのだ。日本人選手の欧州挑戦を後押しする意味も込め、ホルンは夏に実施したトライアウトを今月に再び行うことを決めている(詳細は「HONDA ESTILO公式ホームページ」。応募締め切りは12月2日)。
本田がプレーしたフェンロもかつては多くの日本人を獲得し、本田や吉田麻也がステップアップを果たしていった。ホルンはそんな存在になろうとしている。オーストリアのリーグは外国人枠が緩く、他国に比べて簡単に移籍を進めることができるのは大きなメリットだろう。
本田自ら集客のアイデアを出す
クラブの運営には直接携わることのできない本田だが、名ばかりのオーナーのような存在ではない。むしろ本田はホルンのプロジェクトに熱を入れて取り組んでいる。
神田は力強く言った。
「本田選手は私を含めたホルンのスタッフとほぼ毎日連絡を取り合い、近況報告を聞くだけではなく自らもアイデアを出しています。その内容はピッチ内のことに限らず、フェンロやミランでの経験を生かした集客のアイデアといったピッチ外のことや、クラブが配信しているニコ生での試合中継の映像についてといったかなり細かいことにまで及んでいます」
実質クラブのオーナーである本田には決定権があり、神田は「スタッフにはそのすべてに従う意思がある」と語る。しかし、本田がワンマンオーナーのように振る舞うことはなく、現場の仕事を尊重している。
自らスポークスマンに
神田は続けた。
「本田選手のホルンへの入れ込みようはかなりのものです。ブラジルW杯まではメディア対応を最低限に抑えていた本田選手が、このところメディアに対して口を開くことが増えているのは、自らがスポークスマンとなることでホルンの注目度を高めたいという意図があるからです」
ホルンは前半戦と後半戦の1試合を首位で終え、冬の王者として冬季の中断期間に入った。
本田の思い描くプランによれば、ホルンは今季3部優勝で2部昇格を果たす。そのまま来季も2部を制して1部へ昇格し、3季目は1部で上位進出の基盤を築く。4季目にはヨーロッパリーグ(EL)への出場権を獲得し、5季目に欧州CLプレーオフへの出場権を獲得するというのだ。
決して夢物語ではない
多くの人にとってはあまりにも非現実的なプランであり、オーストリアで圧倒的な強さを誇っているザルツブルクが、8年連続プレーオフで敗れて出場権を逃し続けているという事実を考慮しても、その道のりは険しい。
だが、これがまったくの夢物語かというとそうとも言えない。
欧州トップリーグに比べると予算規模の小さいオーストリアでは、経営陣の交代により数年でEL出場権を獲得するケースが続いている。
13-14シーズンにオーストリア1部で3位に入り、クラブ史上初のEL出場権を獲得したSVグレーディヒはその4年前まで3部に所属するクラブだった。
また、昨季3位で今季のELを戦っているアルタッハもスイス国境近くの山間にある人口6000人程度の小さな街であり、それまでの5年間は2部でプレーしていた。
どちらも予算規模では2部のクラブとそれほど大きな差はない。
本田はこの2クラブのように欧州カップ戦の舞台までたどり着き、オーストリアの巨人ザルツブルクさえ成し遂げていない欧州CLへの出場を果たすことができるのだろうか──。
(写真:(c)SV HORN)
*本連載は毎週月曜日夕方に掲載予定です。
【連載目次】
第1回:始動
プロの経営者は要らない。本田圭佑が選んだ手づくりのクラブ経営
第2回:挑戦
本田圭佑の右腕・神田CEOが挑むホルン経営改革
第3回:融合
強化責任者・大本の進める「本田流」現場のまとめ方
第4回:展開
オーストリア人スタッフが見たHondaの経営術
第5回:上昇
首位で折り返し。ホルンが目指すCLへの最短ルート