仕事が辛すぎて辞めたいが踏ん切りがつかない
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注目のコメント
琴坂さんのコメントにかぶせて言うと、ローマの奴隷は今風に言えば「従業員」。手段については一定の自由がありましたが、目的については自由がない。文字通り主人に隷属している。ここが現代の従業員との違いです。さすがに当時は全員に目的の自由を与えると世の中が上手いこと回っていかなかったのですね。
朝倉さんの卓見にはいつも学んでいます。お前は悩みはないのか?とのことですが、仕事に限っていえば悩みはありません。何も万事うまくいっているわけではありません。それどころか、ほとんどのことが思い通りにいきません。この年になるまでずーーーっとその調子なので、もう諦めました。自分に課すものもないので、悩みようがありません。娯楽的努力でできることしかしないようになりました。
若い頃は50歳も過ぎれば、相当に成長してだいぶ違う人間になれるかな...とたまに思ったこともありましたが、薄々気づいていた通り、まったくもってそんな上手い話はありませんでした。僕が唯一成長したのは、成長しない自分をそのまま受け入れて、そういう自分と付き合っていく能力においてです。この点ではよどみなく成長しまくりやがりました。成長しすぎたといっても過言ではございません。毎度毎度、とても明快。自分自身のこともこれくらい明快に割り切れたら気持ちいいですね。むしろ楠木先生にお悩みがあるのかを伺ってみたいです(笑)
会社のために生きてるわけでも、誰か他の人のために生きてるわけでもないですからね。
「周りの社員や同期の方も頑張っているのだから、自分も頑張らなきゃいけない」と思い込んでしまうような、横並び意識は早く捨てた方が楽になれるんじゃないでしょうか。
追記
楠木先生、コメントでのご回答ありがとうございます。
定番の「好きなようにしてください」というフレーズに続く回答は、相談者の方に自分自身を受け入れるヒントを提示なさっているように感じます。結局は当人の心持ちですね。さすがの名回答。
ちなみに現代の会社員は自由な時代に生きているように見えて、賃金の奴隷としてローマの奴隷よりもひどい隷属的な環境に甘んじていると捉える見方もあります。じっさい、ローマの奴隷も少なくとも一時期は現代の会社員と同じかそれ以上の自由を保持していたといいわれます。
参考:クーリエの解説記事。奴隷がいかにマネージメントされていたかがわかる。
http://courrier.jp/news/archives/708
私周りに流されず、したくない事でいのちを削るよりも、したい事を懸命にした方がいいと思うのです。現代人には、選択すればその自由があるのですから。