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スポーツ・イノベーション特別編第2回

時代は「データアナリスト」から「ビジュアルコーチ」へ

2015/10/9
SAP社のIT技術が脚光を浴び、Chief Innovation Officerの馬場渉に日本の各スポーツ界から問い合わせが殺到している。陸上男子400メートルハードルの日本記録保持者の為末大も関心を持った一人だ。そこで今回、特別対談が実現。第2回は、進化を続けるスポーツにおけるデータ活用法を紹介する。

スポーツにおける無意識の世界

為末:僕は現役時代の終盤、認知心理に興味を持つようになりました。本で読み漁ったのは視覚についてです。見るという動作は「これを見ようと」と頭で考えてから眼を向けるだけでなく、眼が先に動いてからそれを認知する、ということもあるそうです。感情でも表現が先で、あとから「自分は今、こういう気分になっている」と認識することがあります。

馬場:そうだと思います。いろいろ調べると、人間は脳をスキップして体を動かすケースはいっぱいあるわけですよね。人間の意思決定と言うと大げさですが、何らかのメカニズムにテクノロジーで迫ると膨大なデータが採れます。

為末:有名な無意識の行動としては、カクテルパーティー効果があります。居酒屋のような騒がしいところでも、後ろの席から自分の名前を呼ばれたときだけ聞こえる。それ以前の会話は聞こえていないにもかかわらず。

スポーツでも、意識的な制御と無意識が常に行き来している。サッカーでは、右からパスが来ると意識をしながら、左手は考えずに相手を抑えていると思います。そういうことが複雑に入れ替わっているのが、スポーツの世界と言えます。

選手は無意識の行動を映像でしか把握ができない。当然ながら無意識なので、終わったあとにイメージとして残るのは「集中して走れた」といったことだけです。ところが、映像で見ると、自分の認識とは異なり、無意識の行動も出てきたりする。この無意識の領域は、選手に何らかのフィードバックが必要だと思います。

馬場:フィードバックがないと、気づかないですよね。

馬場渉(ばば・わたる) 37歳。SAPのChief Innovation Officer。大学時代は数学を専攻。ドイツ代表のブラジルW杯優勝によって同社の高いIT技術に注目が集まり、馬場氏に日本の各スポーツ界から問い合わせが殺到。サッカーにとどまらず、バレーボール、野球、ブラインドサッカーなど、多くのチームの強化に携わるようになった

馬場渉(ばば・わたる)
37歳。SAPのChief Innovation Officer。大学時代は数学を専攻。ドイツ代表のブラジルW杯優勝によって同社の高いIT技術に注目が集まり、馬場氏に日本の各スポーツ界から問い合わせが殺到。サッカーにとどまらず、バレーボール、野球、ブラインドサッカーなど、多くのチームの強化に携わるようになった

本人も知らない意思決定のメカニズム

為末:無意識の行動だからフィードバックが意味ないかというと、そうではありません。実際に、複雑なことを行っていたと選手にフィードバックすると、そこからプレーが変わったりします。

無意識の領域は、ビデオが生まれるまで選手が把握できなかったと思います。そこからビデオが生まれて初めて視覚で確認できるようになり、さらにデータを採れるようになった。この先、無意識の行動に関してもう一歩奥に入ったところまでわかるかもしれない。

スタートする前のスプリンターから得られる何らかの情報によって、もしかしたらある程度の勝ち負け、少なくとも実力の発揮率はわかるのではないかと思っています。それには、表情筋などが関係しているのかなと。内面が表情に表れるのか、表情が内面に影響するかはわからないですけれど。

馬場:データを採ってみると面白いと思いますよ。本当に大した項目ではなくても、今までになかったデータを採り、膨大な事実を相関分析すると、驚くような関係性が結構出てきます。

為末:過去にも何かありましたか?

馬場:野球でも選手がバットを振るか振らないかのメカニズムで、実際にどのようなシチュエーションでバットを振ったかという実績データがあります。選手も自分自身のアルゴリズムを持っているわけですが、実際にはそれとは違った行動が実績データに表れていたりします。それが無意識での行動ということです。

得点圏にランナーがいたとき、初球を見送る選手と振りにいく選手、左投げピッチャーならば振る選手など、さまざまなアルゴリズムを持つ選手がいます。それに、ライトの守備位置を確認して意思決定のメカニズムを変えたりする選手の場合もあります。

それでも、ビッグデータの膨大な実績値から相関を見てフィードバックすると、「いや、そんなつもりはないけど」、もしくは「確かにそうかも」と、何らかの気づきが出てきます。

そのデータは「どこの筋肉が動いた」であったり、「体が張っているから、きっと引っ張る」ということではありません。ボールカウントやランナーの有無といった非常に常識的なデータで、バットを振るか振らないかの傾向値は顕著に表れます。

為末大(ためすえ・だい) 37歳。2001年エドモントン世界選手権および2005年ヘルシンキ世界選手権において、男子400メートルハードルで銅メダル。陸上トラック種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。シドニー、アテネ、北京と3度のオリンピックに出場。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2015年9月現在)。2003年、プロに転向。2012年、25年間の現役生活から引退。現在は、一般社団法人アスリート・ソサエティ(2010年設立)、為末大学(2012年開講)などを通じ、スポーツと社会、教育に関する活動を幅広く行っている。著書に『諦める力』(プレジデント社)『走る哲学』(扶桑社新書)などがある

為末大(ためすえ・だい)
37歳。2001年エドモントン世界選手権および2005年ヘルシンキ世界選手権において、男子400メートルハードルで銅メダル。陸上トラック種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。シドニー、アテネ、北京と3度のオリンピックに出場。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2015年9月現在)。2003年、プロに転向。2012年、25年間の現役生活から引退。現在は、一般社団法人アスリート・ソサエティ(2010年設立)、為末大学(2012年開講)などを通じ、スポーツと社会、教育に関する活動を幅広く行っている。著書に『諦める力』(プレジデント社)『走る哲学』(扶桑社新書)などがある

テクノロジーの予測は、人間から見ると気持ち悪い

為末:選手の認識とデータにズレが出ることもありますか?

馬場:もちろん、ありますね。テクノロジーの予測は、人間から見ると気持ち悪いと思う点もあります。

現場からも「なぜ、そのデータとこのデータが根拠になるのか」という疑問を受けることがあります。しかし、結果として人間の的中率より高く、その予測理由を解析できます。つまり、人間にはない視点でテクノロジーは予測していることになります。

選手が自信を持っていたアルゴリズムにも、違う発想が必要だなと。そこから、結果的に人間が進化していければ良いと思います。

為末:なるほど。もっとそれらしきことを根拠にしそうなのに、「えっ、そこが?」という感覚なのですね。

馬場:それは日進月歩で進化しているからかもしれませんが、本当にそういう感覚です。ただ、確かに人間の仮説は怪しい気もします。トップクラスの野球選手でも、バットを振るか振らないかは、観客が盛り上がっているところをパッと見たことで意思決定する場合もあります。

選手がデータで遊べる環境

為末:正しい答えが出てきてそれを信じて実行するという、その2つがデータを活用する上での最低限のセットだと思います。ただ、スポーツ界の人間で一番難しい点は、正しいと言ってもそれを信じないことがあることです。特にITに関して、日本のスポーツ界ではデータを納得するというプロセスが大変な気がします。

馬場:抵抗感がありますよね。

為末:どうすればデータを見せて、納得してもらえるのでしょうか。

馬場:指導者がデータを持ってきて、選手に「お前は知らないだろうが、実際はこうなんだ」と押し付ければ、人種を問わず感情的に抵抗すると思います。

ただ、ドイツ代表の選手やチームスタッフに聞くと、上手だなと思うことがあって、彼らは選手同士がツールを使ってデータを見せ合いながら自己完結する。選手間で「この場面でもう2メートルぐらいサイドにいたら、このパスコースは通った」というような議論をしています。

選手によって諭されるのと、指導者やデータによって諭されるのでは印象が変わってきます。最終的にデータで納得するというよりも、データを使った人間同士のコミュニケーションで納得することになります。

データによって人間のコミュニケーションが裏付けられるステップを踏まない限り、いきなりパワーポイントやエクセルの資料が出されただけで納得する方は、ビジネス界にもいないはずです。

最近はインフォグラフィックスやストーリーテリングなど、ビジネスでもコミュニケーションが見直されています。スポーツでも、人間同士のコミュニケーションをどのようにテクノロジーが支えるかを配慮しないといけないです。

為末:根拠付け、仮説を検証するパートナーシップを組むことが必要になりますね。

ドイツ代表はデータアナリストという呼び方をやめようとしている

馬場:ドイツ代表では、「データアナリスト」という呼び方をやめようとしています。新たに「ビジュアルコーチ」というような職種をつくる必要があります。それは、映像だけでなくて「調子が悪そうだな」「不満がたまっていそう」といった見えないものを映像やデータを活用して可視化させる。

厳密に言えば、現在データアナリストと呼ばれる方々が行っていることが、「ビジュアルコーチング」なのかと言えば違うかもしれない。ただ、発達した技術を生かし、かつ多様化した選手たちに動機付けするために有効な手段であるとすれば、「ビジュアルコーチ」に一番近いバックグラウンドを持っているのは、データアナリストだという気がします。

為末:そういう意味では、スポーツとパートナーを組んでいるというイメージ自体、一般社会におけるデータ嫌いを解きほぐすことにもなりそうです。

馬場:非常に期待したい領域ですね。それは、スポーツの持っている力だと思います。ビジネスの世界でもデータ嫌いは山ほどいますが、スポーツを通して見るとストーリー性がまったく変わってくる。

スポーツ界でもバイエルンのグアルディオラ監督のように、データ大好きでテクノロジー思考の方もいますが、一般社会の方からすれば「おっ、スポーツ選手でもデータの取り組みをやるのか」というように感じ取ってもらえます。

為末:普通なら神髄にたどりつく手前で、拒絶されることもありますからね。

馬場:人間なのかデータなのかという対立構造はどうしても出てきますが、人間が大事だと。人間のコミュニケーション力を上げるため、もしくはコミュニケーションだけでなく眼と耳と鼻のような人間のセンシング能力を上げるためのテクノロジーだということです。

(構成:小谷紘友、撮影:福田俊介)

*続きは来週月曜日に掲載予定です。