スポーツ・イノベーション特別編第1回
馬場と為末が考える、スポーツの産業界への生かし方
2015/10/5
昨年行われたブラジルW杯で優勝したドイツ代表をサポートしていたことで、ソフトウェア会社SAPのIT技術が大きな脚光を浴びている。
Chief Innovation Officerの馬場渉に日本の各スポーツ界から問い合わせが殺到し、陸上男子400メートルハードルの日本記録保持者で、オリンピックに3度の出場経験を持つ為末大も注目。今回は、NewsPicksで連載を持つ両者の特別対談が実現した。
為末が馬場に興味を持った理由
──今回は為末さんの希望もあり、対談が実現しました。
為末:興味の入り口は、昨年のブラジルW杯でSAPさんがドイツ代表をサポートされていたと知ったところからです。
ドイツ代表は分析によって、パスを受けてから出すまでの時間を短縮することに行き着いたそうですが、どのようなデータからたどり着いたのか。サッカーのような複雑なスポーツは、データをシンプルに絞る難しさがあると思いますが、それをやられたのがスポーツ専門の企業ではないということにも非常に興味を持ちました。
──馬場さんから見た為末さんの印象はいかがですか。
馬場:直接お会いしたことはありませんでしたが、スポーツや社会、文化など非常に広範囲のトピックに関わりを持たれている印象がありました。造詣や知見が深く、ただ者ではないアスリートと感じていました。
為末:それは、僕が注意散漫なだけです(笑)。
馬場:スポーツ以外の世界について、競技をやられていた頃から関心は高かったのでしょうか。
為末:最初はそうではありませんでしたが、20代半ばくらいから関心を持ち始めました。好奇心が強かったのだと思います。一方で、僕らスポーツ界の人間が信じていることは本当に真実なのか、と探りたくなる性質も強かったです。
それと同じような感覚で、興味の対象が広がっていきました。周りの選手よりも興味の対象は広かったと思いますが、それがメリットにもデメリットにもなった気はします。
馬場:聞きたいことが山ほどあるので、話がいろんなところに行ってしまいそうです。
スポーツで得たものを他業種に導入する
為末:そもそもSAPさんは、スポーツの位置付けをどのように捉えていますか。
馬場:良い質問ですね。
為末:スポーツだけでは市場にならないと思います。
馬場:そうですね。ならないとわかっていながら確信犯的にやっているところもあって、今はスポーツは1つの事業部門というかたちです。小売りや自動車、エネルギーなど25業種があり、そこの新規事業参入としてスポーツ&エンターテインメントというくくりでやっています。
エンターテインメント産業は映画やメディアなどがあり、事業が成り立ちます。ただ、スポーツ単体ではそうはならない。では、何のためかと言えば、理由は2つあって1つは選手のパフォーマンス向上、クラブ経営、ファンの感動を支えることをメリットにやっています。同時にスポーツで得たものを、ほかの24業種へ導入していく。
為末:なるほど。
馬場:具体的に関与するまで、スポーツは特殊な世界かなと思っていましたが、全産業共通でやれることも多い。スポーツ固有の部分で得ることも非常にあり、それをほかの24業種で展開する。
たとえば、スポーツ界でのアスリートの評価と、企業の人事評価の方法について、何らかのインスピレーションが互いにあっても良いと。
デジタル時代ならではの顧客との関わり
馬場:ほかの例を挙げると、スポーツを通じたテクノロジーで、ファンと深く結び付くというところ。テレビでも本来は見たいのにもかかわらず、忙しいために世界陸上が開催されていることを知らなかったという潜在顧客は、山ほどいるわけですよね。
為末:確かにそうです。
馬場:適切なタイミングで必要なコンテンツをどう届けるのかという、メディア業界向けではデジタルの時代ならではの関わり合いがあるわけです。
スポーツを通じて、ファンとのつながりがどのように変わったのか、アスリートのパフォーマンスがどう変化したのかということも、自動車業界ではドライバーとのつながりに、エネルギー業界では電気使用状況を可視化できるスマートメーターが入ったときの社会の変化に応用できるかもしれません。
スポーツという媒体を通じて、イノベーションを促進させる議論を加速することができます。
ビジネスにスポーツの考えを持ち込む人間はほとんどいない
為末:僕自身も会社を経営してスポーツやスポーツビジネスに関わることが多いですが、ビジネスサイドにスポーツの考えを持ち込むスポーツ界の人間は、ほとんどいません。
たとえば「このようなスポンサードによって、スポーツを支援できますよ」というビジネスサイドの考えを持ち込むことはあっても、反対に「スポーツのこの考えを人事評価に当てはめては良いのではないでしょうか」、もしくは「顧客との結び付きを高めるのにはこういう考えがあります」という提案をしているスポーツ界の人間はいません。
馬場:そうですよね。
為末:ただ、それだとスポーツ界から派生する市場は大きくなるかもしれませんが、スポーツのど真ん中にある核の部分は大きくならない気がします。そこを市場と言っていいかはわかりませんが、スポーツに関する感情はものすごく大きくなっていっても、おカネに換算することは拡大していかない。
だからこそ、スポーツと何らかの接点をどんどん増やし、大きくすることが非常に重要ではないかと思います。アイデアとして、「スポーツを社会に生かしましょう」ということはウケが良いですが、おカネへの換算が難しい。
馬場:僕はそれが異様に得意です(笑)。
サッカー分析とテレマティクスの共通点
為末:選手が講演で語ったことに学びがあったということはわかりやすい例ですが、具体的にはどういうものがありますか。
馬場:リーダーシップ論やチームビルディングは、伝統的にスポーツとビジネスの橋渡しになっています。もちろん、ほかにもサンプルはあります。たとえば、サッカーでは両チーム合わせて22人のプレーヤーとボールの動きを計測することができます。
今のヨーロッパのサッカーでは、キックやボールを扱う技術だけでなく、空間認識能力や距離感認識能力の長けた選手を育てたいと思っています。俯瞰映像のように全体の22人がどのような配置にいるか。プレーヤーによっては、それがすべてわかります。その能力開発や評価のために、現在テクノロジーを使っているわけです。
プレーヤーにセンサをつけて、リアルタイムで位置情報を計測できる技術は、自動車業界のテレマティクスと呼ばれるデータの使い道と非常に似ています。車間距離や歩いている人々と車の距離などの位置情報がわかれば、サッカー選手の能力評価ができるようにドライバーの運転テクニックの評価も可能になります。
そうすると、危険な運転をするドライバーと安全運転をするドライバー、それぞれに向けた保険を提供することもできます。
為末:話を聞いていて、アパレルの接客における講師をやっている友人がいて、どうしても教えられないことがあると言っていたことを思い出しました。
サッカー選手でいうと、危機を感じるセンスと言いますか。ピンチと感じ取ったら後ろに下がるセンスみたいなことが、接客がうまくない人には決定的にないと言っていましたね。お客さんが不快に感じている距離に踏み込んでしまう。
店舗だと単純な距離だけでなく体の向き、歩く方向も関わってくるので伝えるのが非常に難しいそうですが、距離感や動き方を学習させることに、テクノロジーは活用できそうですね。
デジタルネイティブ世代にどうアプローチするか
馬場:人間よりは正しく表現できると思います。スポーツでのテクノロジーは、ほかにも距離間だけではなく、ファンとの関わり合いにも応用できます。
たとえば、NBAは全米のプロスポーツで一番ファン年齢が若い。MLBは平均年齢が約56歳、ゴルフのPGAツアーは60歳近く、NFLは約46歳ぐらいです。そして、NBAのファンは平均年齢が30代ですが、その半分ぐらいが10代という年齢構成となっています。
ところが、デジタルネイティブの世代に対して適切なコンテンツを提供したり、訴求しているかと言えば、上の年齢層に向けた手法を焼き直している。
デジタルネイティブの世代が望んでいる接し方は変化しているわけですから、そこでNBAがデータや映像を活用してデジタルネイティブ世代に対応してもらうと、他業種も「ふんぞり返るのではなく、若者にはどういうやり方で販売すれば良いか」となります。
そういう部分は、マーケティングの方々をはじめ、ビジネスの産業界側は非常に気にしていますよ。
(構成:小谷紘友、撮影:福田俊介)
*対談第2回(全4回)は、今週の金曜日に掲載予定です。