コンビニ化する日本社会と、その行方
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デジタル化、情報化の影響を考えるときに大事な視点だと思います。好むと好まざるに関わらず「コンビニ化」の流れは進んでいくと思いますが。
吉本隆明の「家族のゆくえ」にある一節を思い出します。
"家族の経営も健全化も、もし本気で腰を入れれば、政治や社会の国家的経営と同じように「男子一生の事業」を要求する。それを忘れて、家族問題を見くびるわけにいかないものだ。事の大小も、重要さも変わらない。"宮台さんなりに庶民に分かりやすいレッテルを作って理解を促進しようという努力をされているんでしょうね。まあ半分くらい庶民をバカにしてる感がアリアリですが。それが「コンビニ化」で「テレクラ」で「援交」なんですよ。お前らはこうすれば解りやすいだろと。
この記事でも、論証のプロセスは至極オーソドックスに過去の経緯という「歴史」を紐解いて、大きな流れを掴もうとしています。特に人間の個人や集団の性向を推し量るには、人間として社会にどっぷりと漬かっていては正確な計量ができなくなるから、社会と一定の距離感を保とうという態度の現れが「バカにする」という姿勢なんだと僕は理解してます。
で、「コンビニ化」の話ですが、それらしい文句を作るとすると「コミュニティインフラのオートマタ化」だと思います。
コミュニティというのは元来、人間の脳みそにある生体構造から発生した人間の本能の現れだと考えられてきましたが、生存条件が向上する中で、コミュニティ自体が人間の本能に依拠しないよう定型化・一般化していって独立した一つのアルゴリズム、いわゆるオートマタ(自動人形)になってきたという事じゃないかと。
ただし、この源にあるのは資本がより高い利潤を求める仕組みです。共産主義が崩壊して久しいですが、共産主義の社会では、高い利潤を求める資本の圧力が社会に発生しないため、社会はそのシステムをアップグレードする必要性も持たなかったので、インフラの発展もありませんでした。
最近はシンギュラリティの話題もリアリティが出てきましたが、僕はシンギュラリティを起こす強い人工知性は、開発されるのではなく、こうしたインフラから自然発生してくる可能性を考慮に入れるべきだと考えてます。
ロジカルな思考は開発されたアルゴリズムに依拠するでしょうが、感情は恐らく人間が喜怒哀楽をログに残すコミュニティで生まれるんじゃないかと。