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テレビ局が生き残るためのヒント(後編)

日テレとフジは、今こそ「薩長同盟」を結ぶべきだ

2015/7/22
特集「テレビの『次』」に掲載されているインタビューは、非常にタイムリーだ。まさに「テレビの『次』」を考えるうえでさまざまな示唆に富むもので、インスパイアされることが多かった。フジテレビの大多亮常務、日テレの戸田一也氏、Hulu(フールー)の岩崎広樹氏のインタビューから透けて見えるのは、地上波テレビが直面しつつある「テレビの限界」に対する危機感の強さだ。インタビューを振り返る前に、これからの5年間でテレビを取り巻く環境がどのように厳しくなるのかを考えてみよう。
前編:「テレビ離れ」は明確。今後5年、動画配信は急速に普及する

テレビでは考えられない自由さ

今回の特集のもうひとつのインタビューは、日本テレビのプロデューサー戸田一也氏とHulu(フールー)のプロデューサー岩崎広樹氏に対してだ。こちらは、ビジネス論ではなく、新しいコンテンツ制作の可能性を感じさせるものだった。

「フールー初」というより日本初のネット動画配信サイトの本格的オリジナルドラマ『ラストコップ』制作にあたった2人が、テレビでのドラマ制作との違いや舞台裏、これからのコンテンツ制作について語っている。

まずテレビ業界の人間なら誰でも気になる、ドラマ制作現場での地上波テレビとの違いだ。少し長いが大事なポイントなので引用する。戸田氏はこう語っている。

キャストも含めて僕らが『おおっ』と思ったのは、フールー版のほうは時間の尺を気にしなくていいということです。地上波の場合、たとえば1時間ドラマで10分オーバーになると、どうしても最低限の説明シーンは残さなければいけないので、泣く泣くカットするシーンが出てくる。

この余韻は大事なのに使い切れない、このひと笑いが面白いのにけずらないと収まらない、となりがちです。でも、今回は感情の起伏から余韻から全部を使えたので、すごくよかった。

役者のみんなも『カットされないんだ。やったらやった分だけ使われる』と途中から気づいて、自分たちのキャラクターを出すことに燃えてきました。かけ合いでもうひとアドリブ言ったり、もう少し余韻を出したりする。

主演の唐沢寿明さんが、エピソード2以降は『これ地上波じゃないから、はっちゃけすぎてもいいよね?』と、演じ方が勢いを増していき、それが窪田正孝くん、和久井映見さん、佐々木希さんとみんなに広がって、現場は熱気を帯びてライブ感のある舞台のような空間になりました。

なので、地上波の『ラストコップ』よりも、フールー版のエピソード2以降のほうが面白いという声も上がっているくらい

テレビ番組は、誕生以来60年もの間、精緻に構築してきた放送という枠組みの中でつくらなければならなかったので、さまざまな配慮が必要だ。時間内に収めるために、編集段階でカットせざるを得ないことはよくある。

これはドラマに限らず、バラエティー番組や報道でも同様。編集段階で泣く泣くカットすることは多い。放送枠に収めるために、プリ編集を徹夜で4回も5回も行い、最後は本当にコンマ数秒をあちこちでカットして時間を稼ぎ出す。

逆に面白くなるように編集していったら規定の時間に満たなくなり、あの手この手で素材を足して放送枠に合わせようと苦労することもある。

しかし、ネット配信なら時間を気にしなくてもいい。通常の地上波ドラマが正味40分弱だとしても、ネット配信なら1本が50分でも1時間でもかまわない。事実、今配信されているエピソード2は43分、3は52分だという。

岩崎氏によると「最終話のエピソード5は若い監督が撮ったのですが、想いがあふれちゃって、前編32分、後編40分なので合計20分オーバー」となったそうだが、テレビ放送では考えられない自由さだ。

CM処理という大きな悩み

またフールーのような有料配信サービスでは、スポンサーは存在しない。これについて岩崎氏は「スポンサーがいないフールーは、視聴者のことだけを考えてドラマをつくることができます」と話している。

テレビ放送の番組なら、制作者側も演者側も、細かい制約を常に気にしながら限られた時間内に収めるために思い切ったアドリブなどは控えつつ、つくらなければならない。しかしネット配信用の番組なら、良い作品をつくること、面白い演技をすることだけに集中できるので、今までにない素晴らしい作品が生み出される可能性があるのだ。

こうした機会が広がれば、テレビ放送という古い世界で番組をつくるより、自由に想像力が発揮できるネット動画という新しい世界のほうが面白いと感じる制作者が増え、クリエイティブの勢いが、テレビからネットへとシフトするかもしれない。テレビが誕生した頃、映画からテレビへ制作のパワーが大移動したときのように。

さらにテレビ放送では必ず入れなければならないCMについても、戸田氏は「脚本をつくるとき、『ここでCMかな?』と考えながらつくっている部分もあるので、それを考えなくていいのは楽でした」と、CMを気にしなくてもよい番組制作を評している。

また、「たぶんフールーで見直すと、正味約90分があっという間に過ぎると思います。そのスピード感で作品に没頭できるのは、ネット配信ならではの良さですね」と語っており、CMがない世界での番組づくり、CMが入らないドラマの面白さを強く感じたようだ。

民放の地上波放送は、CMがあるから視聴者にはタダで見てもらえる。テレビCMは、巨額の制作費を生み出すありがたい仕組みだ。しかしCMを流すためにはどうしても番組の流れを断ち切らなければならない。番組制作者はドラマであろうとバラエティー、スポーツ、報道であろうと、このCMをどう処理すればいいのか、日々悩んでいる。

ところが、ネット配信はこの背反する宿命から制作者を解放してくれる。それならば放送より配信事業に力を注げばいいかというと、それは簡単にはいかない。おカネの問題があるからだ。

フールーの収入は地上波の20分の1

今の段階では、動画配信はまだまだ儲からない。配信事業で、テレビCMに相当するマネタイズができるようになるのは、ずっと先のことだろう。

有料配信のフールー会員数はようやく100万人を超えたところだ。月に933円が100万人で9億3300万円、年間でおよそ112億円だ。日テレの地上波広告収入は2381億円なので、フールーの収入は地上波の20分の1以下にすぎない。

一方、ネットフリックスは50カ国に展開し、ユーザー数は6200万人以上とケタが違う。ネットフリックスのほとんどのコンテンツは英語なので世界で多くのユーザーを集められるが、日本だけではユーザー数が少なすぎる。

日本で1000万人単位のユーザーを集められるかはわからないが、少なくとも、テレビ局1局だけではとても無理だ。多くの局がまとまらなければ、1000万人単位のユーザーは集まらない。

現在フールーでは、NHKも含めた在京キー局5社だけでなく、日本テレビ系列外のローカル局の番組も配信している。だからこそ100万人を超えるユーザーを集められた。この方向に向かってテレビ局はまとまらなくてはならない。そうしないとテレビは、新聞や出版の二の舞になってしまうからだ。

新聞、書籍の二の舞いになるリスク

ネットフリックスは、動画界のアマゾンのようになろうとしている。アマゾンが書籍の世界で圧倒的な流通の力を握ったように、ネットフリックスは、テレビ番組や映画のグローバル・プラットフォームを目指している。

それが意味することが何かは、アマゾンの支配力を見ればわかる。今、世界でも日本でも、出版界はアマゾンに牛耳られている。価格設定権はアマゾンに握られ、条件を不服として書籍をアマゾンから引き上げた途端、本は売れなくなってしまう。背に腹は代えられず、泣く泣くアマゾンに出品するしかない。

新聞も同じだ。実は新聞のインターネット対応は早かった。しかし巨大プラットフォームであるヤフーの一人勝ちになった。各新聞社がバラバラに対応してしまったからだ。

後に、朝日・日経・読売が共同で「あらたにす」というニュースサイトをつくったが、時すでに遅し。ユーザーには、新聞社のサイトではなく、ヤフーでニュースを見るという習慣がついてしまっていて、あらたにすは4年でサービスを終えた。

テレビはどうか。

日テレが買収して急成長したフールーや、携帯向け動画サイトの「BeeTV」から進化した「dTV」もあるが、それらとは比較にならない世界的な巨人、ネットフリックスがやってくる。

これまでの動画配信サービスは日本企業だけだった。そこへ 世界でサービスを展開する動画配信の巨大企業、ネットフリックスがやってくる。もちろん、ネットフリックスがいきなり日本を席巻するなどということはない。しかしインターネットの世界では、変化は急激に加速する。「これはヤバイ!」と思った時には、新聞や出版と同じように、手遅れになっている。

ネットフリックスに対抗する方法

ライバル意識を乗り越えられず、グローバルネット企業に屈してしまった新聞や出版と同じわだちを踏まないようにするには、60年間、互いを敵対視し、視聴率のシェア争いにしのぎを削ってきたテレビ局同士がまとまるしかない。

その必要性を最も理解しているのが、民放連会長を務める井上弘TBSホールディングス会長だろう。井上会長が仕掛けた全キー局による見逃し視聴サービスは、「TVer(ティーバー)」というネーミングで、ネットフリックスと同じ今秋にスタートする。この見逃し視聴サービスと、映画やドラマなどアーカイブ系のフールーが合体すれば、日本のテレビ界が、巨人ネットフリックスに対抗できる。

今回のインタビューで、フジテレビの大多氏はテレビ局の経営陣としては珍しく、正しい危機意識を持っていることが感じられた。しかし、フジテレビがこれ以上フールーに対してコンテンツ提供を進める考えは「今のところは」ないらしい。フールーは日テレの子会社で競合するからだ。

しかし、こうとも語っている。

ただ、将来フジテレビオンデマンドがいくらやっても成功しなかったらわからないです。でも、もうちょっと僕らは頑張りたいんですよ

いつフジテレビがフールーと組む判断をするかはわからないが、判断を下した時に、ネットフリックスがアマゾンのように、ドラマや映画などのプレミアムコンテンツの配信市場を支配していたのでは、遅い。

もはやフジテレビだけで巨大な動画プラットフォームを築ける時代ではないし、日テレのフールーも、他局のコンテンツなしにはビジネスとして成立しない。

大多氏は、ネットフリックスはSVOD(Subscription Video On Demand、定額制のビデオ・オン・デマンド)、フジテレビオンデマンドはTVOD(Transactional Video On Demand、都度課金制のビデオ・オン・デマンド)だから住み分けはできるとしている。

しかしそれは、難しいのではないだろうか。ユーザーは、TVODで月に数本のコンテンツを視聴するのと同じ値段で、定額見放題のSVODが見られるのであれば、そちらを選ぶのは当然だ。

しかも、SVODは会員数が一定数を越えたら、その後は利益がどんどん積み重なっていくというビジネスモデルだ。プラットフォームとしてどちらに成長可能性があるかは明白だ。

坂本龍馬になれるのはTBS

ここから先はNewsPicksの読者向けではなく、テレビの中の人へのメッセージとして書かせてもらう。世間一般の感覚からすれば、何を寝ぼけたことを言っているんだと思われるのは覚悟している。

しかしそれほど、「テレビの中の人」と一般の認識には大きなズレが生じている。それを踏まえた上で、「テレビの中の人」たちには少しでもいいから耳を傾けてくれることを期待する。

「テレビ」はまだブランドだが、「テレビ局」はもはやブランドではないのだ。若い視聴者ほど、自分が見ている番組が、どこの局の番組かなど意識していない。かつてとは大きく変わってしまった現状を認識すべきなのに、各キー局の半世紀にわたる成功体験が、それを妨げているのではないのだろうか。

テレビ局が、華々しい成功体験とプライドを捨て去ることができれば、テレビは新聞や出版と同じ衰退の道をたどらないですむ。

幕末の時代、日本が欧米に飲み込まれようとした時、犬猿の仲だった薩摩と長州は、積年の恨みを乗り越え薩長同盟を成立させ、新たな明治という時代を築いていった。

現在ダントツの1位を走る日本テレビと、長年テレビ業界をけん引してきた民放の盟主フジテレビが、テレビ業界という狭い世界の中でのライバル意識とプライド意識を乗り越え、小異を捨てて平成の薩長同盟を実現できるか否かで、5年後のメディア状況は大きく変わる。

互いに反発し合う薩摩と長州の仲を取りもち、ありえない同盟を成立させたのは坂本龍馬だ。この坂本龍馬の役割を果たすことができるのはTBSしかいない。

TBSは1970年代には1強4弱の1強として、圧倒的な成功を体験し、その後それを引きずったために30年間、苦難の道を歩んだ。その経験があるからこそ、薩摩と長州を説得できるはずだ。

改めて言う。日本のテレビ局1局の力では、世界を股に掛けるグローバル・プラットフォーム企業には到底太刀打ちできない。

出版にも新聞にもアメリカのテレビにもできなかった、テレビ局が大同団結した動画プラットフォームを実現できるかどうか──日本のテレビの未来はそこにかかっている。

<日本テレビ・戸田一也プロデューサー、HJホールディングス・岩崎広樹プロデューサーのインタビュー記事はこちら>
第1回:日テレ×Hulu。初のオリジナルドラマは成功だったのか
第2回:CMなしのネット配信は、ドラマをどう変えるのか
第3回:求む一獲千金。日本に「ドラマ全盛期」が訪れる日

<フジテレビ大多亮常務のインタビュー記事はこちら>
第1回:ネットフリックスと組んだのは、フジテレビが生き残るためだ
第2回:イノベーションのジレンマを気にしていたら、テレビは潰れる
第3回:恋愛ドラマの本質は、シェイクスピアの時代から変わらない

*NP特集「テレビの『次』」終わり。