スポーツ・イノベーション特別編
経営者・岡田武史の素顔。「初めてお客様に感謝した」
2015/7/4
7月2日、SAP主催のイベント「SAP SELECT」の特別講演として、FC今治のオーナーを務める岡田武史氏(元日本代表監督)と、同社のチーフ・イノベーション・オフィサーの馬場渉氏が登壇した。
2人は出会ったときから意気投合。SAPによるFC今治のサポートが正式に始まると、ともにドイツ視察に訪れた。それぞれの立場からの専門知識を交換し合い、特別な信頼関係で結ばれている。
馬場氏の進行によって、経営者・岡田氏の素顔に迫る。
なでしこジャパンの快挙
馬場:岡田さん、今日はよろしくお願いします。なでしこジャパン、女子W杯の決勝に進出しましたね!
岡田:終了間際にゴールが決まり、劇的な試合でしたね。なでしこを率いる佐々木則夫監督は僕より2歳下で、昔から「勉強させてください」と言って僕のチームによく来ていた。あいつがこんなに立派になってね。男子の日本代表がどんどん差をつけられて、元代表監督の僕も肩身が狭いんですよ。
馬場:なでしこは前回大会で優勝しており、2大会連続のファイナル進出です。
岡田:これは本当にすごいことです。もちろん決勝でアメリカに勝ってほしいけれど、ファイナルに到達した時点で十分に役目を果たしたと思います。
今回の女子W杯では、アメリカ、ドイツ、日本、フランスが強豪だと言われていました。その中から最も強いと思われるアメリカが上がってきた。日本にとっては簡単な試合にはならないと思いますが、今は運もあるし、その運をつかむ努力もしていると思う。ものすごく決勝が楽しみです。
バイエルンとFC今治の共通点
馬場:なでしこのコーチに連絡したら「チームの雰囲気が良くて最高です」とすぐに返事が返ってきました。さて、岡田さんに登壇してもらったのは、単に有名人だからということではないんです。
岡田:なぜ私がSAPのイベントに来ているのか、不思議に思う人もいるでしょう。別に金儲けで来たわけではありません(笑)。
私は今、FC今治というクラブのオーナーを務めています。日本サッカー界の5部に相当するんですが、デロイト トーマツ コンサルティングにスポンサーについてもらいました。そのデロイト トーマツの紹介で、SAPジャパンと知り合ったんです。本社に伺い、福田譲社長、馬場さん、スポーツ担当の人にお会いしました。
実はそれまでSAPが何の会社か知らなくて。でも、ドイツ代表がブラジルW杯で使っていたという分析システムのデモを見せられたら、こちらも「え、本当?」と前のめりになって、「ああ大きな会社なんだ」と。
さらに驚かされたのが、馬場さんとホッフェンハイムに行ったとき。近くにある本社に寄ったら、街全体がSAPの施設なんだよね。中に銀行があって、散髪屋やクリーニング屋まである。「こんなに大きい会社が、四国リーグのチームのビジネスパートナーになったんだ!」と初めて現実に気がつきました。
馬場:確かにSAPはドイツ代表やバイエルン・ミュンヘンとパートナーになっているので、本社の人たちも「なぜ5部のチームを?」と驚いていました。
サッカーにおける PDCAの新概念
岡田:あとで教えてもらったんだけれども、馬場さんをはじめ、担当者の人たちが相当にうまくプッシュしてくれたそうでね。おかげでSAPのITを使っていろいろな変革に取り組めることになった。
たとえば、今後ITを駆使したスマートスタジアムを建設したいと考えています。また、サッカーについては、岡田メソッドの構築に取り組んでいる。
岡田メソッドというのは、1試合をユニットに区切って、項目ごとにできていること・できていないことを分析してデータ化する。そこから見えてきた課題に対して、6段階の複雑度に分けられた練習をコーチが組み合わせる。
もちろんコーチの自由裁量もあるんですが、練習後にコーチがその日のメニューや負荷といった情報をデータベースに打ち込む。
そうすると、どの選手がどんなトレーニングをして、試合でどんなパフォーマンスだったかがビッグデータとして蓄積されていくわけです。そしてそれをフィートバックする。いわゆるPDCAサイクルですね。
今までのサッカーでPDCAと言ったら、試合・トレーニング・試合というサイクルだった。試合でできなかったことを練習でやって、次の試合に生かす。すべてコーチの感覚に頼っていたんですね。
それをデータとしてしっかり溜めて、誰が指導してもちゃんとフィートバックできるシステムをつくっている。まさにそのビッグデータを加工するのにSAPのシステムが力を発揮するわけです。紹介してもらったときには、理解していませんでしたが。
馬場:いきなりでは、よくわかりませんよね。
「イメージ補助」から「未来予測」へ
岡田:これまで僕にとってデータというのは、あくまでミーティング資料でした。右サイドをやられていますというデータが出たとして、そんなことを見抜けなかったら監督は務まらないんですよ。
もちろん何km走ったかはわかりませんが、誰がたくさん走っているかは試合を見ていればわかる。あくまで選手にイメージを伝えるための補助的な資料でした。
でも、馬場さんからいろんな話を聞いて、ビックデータを使うと未来の予測ができるかもしれないということがわかってきた。データから新しいものは生まれないと思っていたけれど、生まれるのかもしれない。
データを蓄積していくと、この選手はこういう状態のときにケガをするということがわかる。中2日だとどれくらい走行距離が落ちるかも選手ごとにわかる。そんな時代が来ても不思議ではありません。
ドイツ人アナリストが教えてくれた働き方
馬場:一緒にドイツサッカー協会を訪れたとき、「データアナリストに対してのイメージが変わった」と言っていましたね。
岡田:従来のデータアナリストというのは、監督に言われたデータを集める役割だったと思います。頼むとバーッとデータがそろえられる。監督自身がいろいろと考えて、何か思いつくたびにアナリストに頼むという感じでした。
ところがドイツ代表のアナリストというのは、「こんなデータは必要なのでは?」と意図を持って監督に提案をする。「監督の考えと違ったらどうするの?」と聞いたら、「常にコミュニケーションを取っているから大丈夫」だと。
もはや分析担当というより、コーチなんですよね。「そうか、こういうふうにアナリストを活用しなければならなかったんだ」と気がつかされた。もう遅いですけれどね。僕の考えをしっかりと伝えてアナリストに任せていれば、監督としてほかのことに時間を割けたはず。マネジメントとして、かなりロスしたなと思います。
「これだけ人生で頭を下げたのは初めて」
馬場:岡田さんがFC今治のオーナーになってから約7カ月が経ちました。オーナー業はいかがですか?
岡田:株式の51%を持っているから、もう逃げられない。これまで僕は講演会に散々出て、経営者の前で好き勝手に話してきた。けれど、いざ自分が経営したら、こんなに大変だとは思わなかった。
ヨーロッパでオーナーといったら、ポケットマネーを出すのが仕事かもしれない。でもおカネを集めるために、オーナー自身が走り回らなくちゃいけない。これだけ人生で頭を下げたことはなかったよ。
馬場:監督とはまったく違う日常ですね。
初めて感じた観客への感謝
岡田:ホーム開幕戦が4月にあったんですが、お客さんが何人来るかもわからず、運営もド素人で、2日前に「トイレを借りてこないと!」という状態でした。そうしたら約900人ものお客さんが来てくれて。試合の結果は覚えていないんだけども、本当に感激しました。
今まで監督やっていて、お客さんに対して「ありがとう」って心から思ったことはなかったので。
馬場:そうなんですか!
岡田:だって、「オカちゃん辞めろー!」とか言われるんだよ。それは冗談として、僕はいいサッカーをして、勝てばいいと思っていた。ただ、気がつきました。それは間違い。お客様あってのサッカーです。
嬉しくて、来てくれた人たち全員に握手しようとしたら、パニックになってしまったんだけども、これが商売の原点だよね。元ヤクルトの古田敦也に言ったら、「今頃気がついたんですか?」って怒られましたが。
馬場:大きな視点の転換ですね。
岡田:選手や職員の給料を払わないといけない。こいつらのためだったら、なんでもできる。人間、変わりますよ。みなさんも、もし出資に興味があればいつでも連絡してください(笑)。
スマートスタジアムによる地方創世
馬場:FC今治の今後の見通しを教えてください。
岡田:10年でJ1で優勝争いをするチームになることを目指しています。そして8年でスマートスタジアムを建設する。
1階がエクザイルのダンス教室で、2階ではアメリカの名門『アスリーツパフォーマンス』にトレーニング施設を経営してもらって、3階にSAPのデータ分析のセンターをつくる。4階は医療センター。
日本中のトップアスリートが集まって、コンディショニングのチェックや調整の場にしたい。そのときは馬場さん、無料でお願いしますよ。
馬場:……。
岡田:あれ? さっき、社長にも頼んだんだけど(笑)。
馬場:頼もしいプランですね。
岡田:ただ、FC今治だけが強くなっても意味がない。よく地方創世と言うけれども、おカネをばらまくだけでなく、スポーツだったり、人間同士の信頼関係だったり、そういうもので新しい経済を起こしていけないか。そんな発想の下、今活動しています。
FC今治のアドバイザーには、すごいメンバーがそろっています(平尾誠二、古田敦也、佐藤可士和など)。ちょっと名前を借りようと持って電話したら、みんなが化学反応を起こして、「これだけのメンバーがいるなら、新しいことをやって日本を変えていきましょう」となった。
ただ、ちょっと待ってくれと。今月の給料がどうなるかもわからず、明日つぶれるかもわからないクラブなのですから。
夢はいっぱいあるんですけど、リソースがついていってない。段階を踏んでやっていこうと思っています。
一人ひとりの行動が新たなソリューションになる
馬場:岡田さんは国や組織に不満を言わず、一人ひとりが行動すべきだという意見を持っておられますね。
岡田:民主主義というのは一人ひとりが権利を主張するだけでなく、責任を分担するものだと思うんですね。
日本サッカー協会が日本代表を強くする、それは当たり前のことです。でも、FC今治から日本代表選手が5人出たら、きっと日本代表のサッカーは変わります。
僕らもやれるんですよ。変えることができる。文句を言うだけでなく、自分でできることがある。これからの時代、一人ひとりが行動することが、いろいろな物事のソリューションになると思うんです。
空気に潰されない生き方
『「空気」の研究』(山本七平著)という本があります。場に空気ができあがり、それに対抗すると損をするから、みんなが口を閉じ始める。そうするとまた空気が大きくなる。そのときに正義感を持って「違う!」と立ち上がって、周りに「ついて来い」と言うと、だいたいつぶされてしまいます。
けれども、ひとりで正しいことをやっていると、共感した人たちがついてきて、大きな流れができる。それが新しい時代のソリューションなのかなと。
なぜかわからないんですが、僕がFC今治で夢を語っていたら、いろんな人が集まってくる。みんな何かを求めていたんだなと。
だってFC今治に最初に働かせてほしいと言ってきたのが、東大サッカー部の元キャプテンで、ゴールドマン・サックスで10年働いていたやつでした。最近来たのも東大出身者。希望者が月3、4人は来る。
FC今治の指導者も、四国リーグとは思えない指導者が集まっている。給料が下がるのに自ら来てくれる。Jリーグの人たちから「岡田さん、勘弁してください。引き抜かないでください」と文句を言われるんですが、みんな自ら来るんですよ。
いざとなったら六畳一間の生活に戻ればいい
馬場:人の集め方が、昔の発想とは随分と違いますね。
岡田:おカネじゃないものが世の中を動かして、経済をつくる時代が来るかもしれない。自分で言うのもなんですけど、今チームがまわっているのは僕に知名度があるからですよ。この知名度に頼っていると終わってしまう。何とか自立できるようにしたい。
今取り組んでいるメソッドが日本人にとって正しいかはわからないけれども、大きい組織はリスクが高くてやらない。でも、僕ならできる。自分ひとり破産すればいいんだから。
僕は学生のときに結婚したんですが、かみさんと風呂なしの六畳一間の部屋に住んでいて、本当におカネがなかった。
プロになるときに、どうしようか悩んでいたら、かみさんが「いざとなったら、あのときの生活に戻ればいいじゃない」と言ってくれたんですよ。でも、じゃあ今回もいざとなったらあの生活に戻ればいいかと言ったら、「まさか、嫌よ」と返ってきた(笑)。もうやるしかありません。
(構成:木崎伸也、撮影:福田俊介)