2024/6/18

【小室淑恵】モチベーションが上がらない。働き方改革の「間違った入り口」とは

Newspicks Studios Senior Editor/NewsPicks for WE編集長
コロナ禍を経て、リモートワークの導入企業は増加し、働く場所の自由度も高まってきた。男性の育休取得率も向上の兆しを見せている。
しかし、意思決定層における女性の少なさや、性別役割感による無償労働の偏りなど、根深い問題は残る。誰もが自分らしく働ける環境を実現するまでの道のりは、まだ遠いと言わざるを得ない。
今回、NewsPicks for WEでは、6月の男女共同参画週間に合わせ、株式会社ワーク・ライフバランス代表の小室淑恵さんにインタビューを実施。
自身もライフイベントと仕事の両立の難しさを痛感し、「すべての人にライフ面での葛藤がある」と語る小室さんに、日本企業におけるワーク・ライフバランスの現状と、その改善に向けた具体的な方策について伺った。

ほとんどのライフは「見えないもの」

── 小室さんが株式会社ワーク・ライフバランスを創業されたのが2006年。当時と比較して、2024年の現在地をどのように見ていますか。
小室 18年の年月を経て、大きく変わってきていると思います。
創業した当時を振り返ると、「女性活躍」と言った瞬間に耳がふさがるような時代でした。そんなことをやる意義が分からないし、やる気もない、と。
それが現在では、相当数の企業が働き方改革や女性活躍の取り組みをし、それが自社の成果や業績と関係があることを理解し始め、採用戦略としてもやるべきだと認識するようになりました。
ただ、まだまだ発展途上です。
経営陣が「やるべきだ」と腹落ちし、牽引して、本気で取り組んでいる企業はほんの一握りであり、人事が「やりましょう」と経営陣に提案をして、少しずつ進めている企業が大半です。
また、間違った入り口から入ってしまったために、コストをかけているものの成果が出ず、社員同士のコンフリクトが起きているような企業もあります。
── 「間違った入り口」とは?
例えば、「子育て中の人には配慮をしてあげて」と、経営陣が言っているとします。
これは一見、理解があるように見えますが、子育てをしていない方々を無視する形になります。
子育て中の人に対しての配慮策だけを増やすと、その他の方々とのコンフリクトを生むだけではなく、当事者たちもやんわりと出世コースから外れてしまう。
わかりやすい例が、育休復帰後のマミートラック現象です。
組織側の過剰な配慮から、育休復帰した女性には意欲的な仕事が振られず、女性たちも意図せずにマミートラックに陥ってしまう。
それを組織側は「女性たちがモチベーションダウンしたのだ」と捉えてしまい、「女性の意欲がないからだめなんだ」と言ってしまったり。そして結果的に、当事者以外の人たちに多くの負担がのしかかってしまいます。
──そしてさらなるコンフリクトが起き、どんどん負のスパイラルに陥ってしまいますね。
「ワーク・ライフバランス」と言うとき、ライフ=育児・介護をイメージしがちですが、ほとんどのライフは見えないものですし、職場には言いづらいものです。
例えば不妊治療をしている方々も男女問わず増えていますが、口には出しづらいですよね。あとは子どもの不登校も「親としての教育が悪いと思われるかもしれない」と、言い出しにくかったりします。
お互いに言い出せないだけで、ほぼ全員が何かしらのライフとの葛藤があるなかで働いているのに、一部のライフだけを保護すると、職場内で対立が起きてしまう。
だからこそ、まずは「入り口」が大切で、「すべての人にライフとの葛藤がある」という前提に立つことが鍵なのです。
そこを無視したままで、過去の仕事のやり方を手直しするばかりで、大きく働き方を変えられない。土台がないので積み上がらない。そんな状況に陥っている企業をたくさん見てきました。
でも、間違った入り口から山を登り始めても、また戻ってくればいいんです。むしろ、最初から本質的な取り組みができている企業のほうが珍しい。
大体の企業は、マミートラックが起きて、「どうしてこんなにみんなが意欲を失って、争いが起きて、コストばかりかかるんだろう」と自問して、「入り口」の問題に気づき、山を登り直す。
そうやって変わっていくことで、より本質に近づくことができるのです。

誰でも取得可能な「新しい休み」

── 経営者としての小室さんの取り組みについても教えてください。株式会社ワーク・ライフバランスには、理由を言わずに15分単位で取れるお休みが36日間もあると伺いました。どういった経緯で生まれたのでしょうか?
きっかけは、不妊治療をしているメンバーの存在でした。
実は私も経験者の一人ですが、不妊治療は、先が見えなくて気持ちの浮き沈みも激しく、本当につらいんです。そのうえ時間が読めないことが多い。
治療のために丸1日有給休暇を取得しても、実際は数時間で終わることもあれば、急に「明日また病院にきてください」と言われることもある。事前の休暇申請がむずかしく、治療をあきらめてしまう人も多い。
そうした状況に何か手を打てないかと思い、どんな制度があると当事者が前向きになれるかをヒアリングして、「理由を問わず15分単位で取れる休み」を導入しました。
まず、不妊治療の一連の流れにどれだけの時間がかかるのかを、一緒に計算しました。採卵してから受精卵を凍結し、移植する。年間で2タームやるとして、計算すると合計270時間。
なので、年間270時間分、通常の有給休暇とは別に「理由を問わず」休める、としました。つまり、独身者でも、自分の趣味などに使ってもよいのです。用途を限定されません。
こうして全員に付与し、休むことで肩身が狭くなる気持ちや「もう自分は仕事の最前線にはいないんだ」と気持ちが折れてしまうことがなくなりました。
「新しい休みを必要なタイミングで最大限に活用しながら、フルタイム扱いのまま働き、モチベーションを落とさない」ことがポイントでした。
全社員が使えるようにしてみたら、急にそのあと独身社員の全員が結婚して驚かされました。単なる偶然かもしれませんが。
また、乳がんを早期発見することができて、放射線治療も含めて、この年間270時間の中で仕事と両立し乗り越えた社員もいました。
ありとあらゆるライフの事情を乗り越えることができる、有用な制度を作ることができたと感じています。
── 一方で、単純に働く時間が減るとなると、業績が下がる心配もあると思いますが。
私は、社員それぞれが「自分が最前線にいる」という気持ちを持たなくなったときが、一番業績が下がると思っています。時間の問題だとは思っていません。
仕事に対して、自分の能力を最大限に発揮できる状態にあるかどうかが大事。
そういった視点を持たずいると、どんどん最前線から離脱して「これくらいでいいや」と思う人の割合が増えていきます。この積み重ねが、業績を下げる本質的な要因だと思います。
よく、パレートの法則で、売上の8割は2割の社員が生み出していると言いますよね。経営層や人事、支店長など一部の人だけが意欲高く、うわーっと仕事をして、全体をまかなっている。
でも、社員「みんな」が意欲を出して仕事をしたら、業績は良くなるに決まっています。
3000社のコンサルティングをしてきて、各職場のリアルを目にする機会が多いので、私自身も、どういう経営をしたら隅々までモチベーションが上がるかという観点は、かなりシビアに考えています。
つまりは「みんなが最前線の気持ちで、仕事に主体的に取り組める職場を作れていますか?」というシンプルな投げかけが大事なんですよね。

当事者であることが、経営者としての強み

── 小室さんが全身全霊で日本企業の働き方改革に取り組み続けられるモチベーションはどこから来ているのでしょうか。
私自身がいつも、ワークとライフとの葛藤を抱える当事者なんですよ。
育児が落ち着いたら介護が始まって、長男が大病をしました。それが治ったころに、自分の病気が発覚し、治療に3年かかって、途中に不妊治療もあって。
その後、次男の病気がわかって、そしたら夫の転勤で一家でシンガポールに行くことになり(2024年帰国)。外から見ると何も問題なく走ってきたように見えていたと思いますが、常に満身創痍でした。
創業してからの18年間、満足に仕事に時間を割けたことはないです。
長男の大病の際、何より子どものことで辛いときは仕事に向き合う気力を振り絞ることも難しかった記憶があります。1日3時間勤務ぐらいが2年続きました。常に「あと1時間あったらな」と思いながら働いています。
でも、そういう経験があるから私だからこそ、できることがあると思っています。
ライフの事情を抱えていない経営者や政治家が見えない部分がわかる。そして経営者だからこそ彼らに「大半の人が、こうした事情を抱えて生活しているんですよ」と伝えることができる立場にある。現代のスタンダードな働き方はこっちであり、それを中心に設計して初めて、社会が持続的に動くんだ、と訴えかけ続ける。
その架け橋になるためにワーク・ライフバランスの神様が私に試練を与えているんだなと思っています(笑)。

変わるべきは「残業させる方がお得」な法制度

── 最近では共働き世帯の男性側も、ワーク・ライフバランスを重視し、子育てにコミットしながら働くことを希望する人が増えています。一方、企業側の制度や理解が追いついておらず、社員が定着していない様子も見受けられます。こうした現状をどのように捉えられていますか。
まさに私たちのクライアント企業も、若手の優秀層がワーク・ライフバランスを一番の理由として転職し始めていることに危機感を抱いています。
転職先の条件としては、リモートワークができて、働く場所や時間が柔軟な点などがありますが、なかでも注目すべきは、職場における心理的安全性があるかどうか。
若手であっても、現状の課題認識を上司にも率直に言えるか。転職されてしまった企業の多くは、そうした文化がなく、本音で言い合えない環境なんです。
「残業時間を減らすので辞めないでください」では効果がなく、率直に意見を伝えられて、最適な働き方を模索できる状態でなければ、若手は辞め続けるでしょう。
── 組織内の心理的安全性を高めるのは、一朝一夕では難しそうです。
でもそれが、意外と難しくないんですよ。
現在の管理職がつくってしまっている心理的安全性の無さは、単純に、彼らが心理的安全性のある組織がどんな状態かを知らないことが原因で、悪気があってやっているわけではないからです。
心理的安全性を重視したマネジメント手法を教えて、研修と実践を繰り返し行っていけば、必ず変わります。勤勉だからこそ、マネジメント側になっている方が多数ですから。
基本的には「これが今のスタンダードである」と、やり方を共有すれば、一緒に変わることができる。教えられていないマネジメントはできませんから、管理職に今一度リスキリングすることです。
一方で、意図的に社員の長時間労働に甘えて経営している組織を、強制的に変化させられるのが法改正です。
逆にいえば、他国では当たり前の法律も日本にはないなか、この国は、各企業の努力だけでなんとか働き方を変えさせようと甘えています。
── 国としての強制力が足りない、と。
国が有価証券報告書に人的資本の記載を義務づけしたのは、ひとつの変化だったとは思います。投資家の視点も厳しくなり、半強制的に企業が従業員の働き方について考えることになりました。
改革しない企業が評価されない状態を、国の仕組みで作った。これは実際に大きな効果を生み出しています。
一方で、日本が決定的に他国と違うのは、「残業させたほうが経営者にとってお得な仕組み」が維持されていることです。
具体的には、時間外労働の割増賃金率が、たった1.25倍だということ。
また、勤務と勤務の間を11時間開けることが義務付けられているEUに対して、日本では努力義務に過ぎず、勤務間インターバルを就業規則にいれているのはたった6%の企業であることです。
この法律下で儲かる経営をしようと思ったら、頭数は絞り、雇用する数は少なく抑えて社会保険料の支払いを最低限にしたうえで、割増賃金率が1.25倍で済むのだから、時間外労働で仕事を捌くほうが割がいいのです。
他の先進国では時間外労働の割増賃金率は1.5倍、休日出勤させたら2倍払わなくてはならないと決まっているから、時間外労働はさせないほうが経営者は得です。
でも日本はそうじゃない。日本の場合は休日出勤をさせても割増賃金率はたった1.3倍ですから、経営者は時間外労働をさせればさせるほど、お得なんです。
だからこそ、労働基準法という根幹のルールを変えないといけないんです。
国が責任を持って労働基準法の改正をやらないと、いつまでも変わらない。社会全体で労働時間を短くできる仕組みを作らないと、経済が再浮上できず、手遅れになります。
労働時間の改善は、女性活躍や少子化対策というより、経済再生に最も効果があります。
この国では、労基法が脆弱で労働時間の抑制がはたらかないので、夫婦の片方に限度を超えた長時間労働が発生し、そのことで夫婦のもう一方が仕事を継続することが不可能になります。
すると収入が1本に減る。国家として男女ともに高い教育投資をしているにも関わらず、半分は稼ぐ側からいなくなってしまうわけですから、国全体の労働生産性は著しく下がります。
法政大学の小黒一正教授の書籍によると、国別の生産性と労働時間をプロットしたところ、年間1350時間を超えると労働生産性は下がっていくことが分かりました。1350時間は一日あたりに換算すると6時間なのです。
京都大学の柴田教授によると、3兆円分の政府与党の子育て政策を全て行って上がる出生率は0.1ほどと試算されていますが、男性が平日に週6時間程度早く帰宅することで上がる出生率は0.5と試算されています。
3兆円かかる政策の約5倍の効果があり、かつ財源を必要としません。
法改正で正しく戦略転換をしない限りは、日本の経済成長、少子化解決、女性活躍が進むことはない。ライフの事情を抱え続けてきた一人のビジネスパーソンとしても、そう強く思います。