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第1回:最強の遺伝子を継ぐ女子戦士

日本一厳しい練習で強くなった「東京五輪の星」

2015/6/5
4年に1度行われるオリンピックは、スポーツ界で最も過酷な大会のひとつだ。国中の期待を背負う重圧は壮絶極まりなく、目の前の相手はもちろん、自分との戦いに勝って初めて金メダルを獲得することができる。選ばれし者の舞台に立つまでにアスリートは自身をいかに鍛え、また各競技団体はどうやって世界一になれる選手を創り上げているのか。その舞台裏を追う連載の1回目は、日本の「お家芸」レスリングで「東京五輪の星」と期待される登坂絵莉。吉田沙保里に憧れた女性戦士の、人生を懸けた覚悟と強さに迫る。

1952年ヘルシンキ大会から2012年ロンドン大会まで、日本で唯一すべてのオリンピックでメダルを獲得している競技がレスリングだ。ロンドン五輪では日本の金メダル7個のうち、4個を奪取している。

そのレスリング界で、“東京オリンピックの星”として最も期待されているのが、女子48キロ級の登坂絵莉(至学館大学4年)だ。

タックルを制する者が世界を制する──。リビングレジェンド・吉田沙保里を育て上げた父・栄勝のこの信念こそ、登坂を世界へと押し上げた原動力となっている。

世界を制することを宿命づけられている日本レスリング界において、登坂は英才教育を施されてきた。国体少年の部で優勝経験を持つ父親の影響で9歳からレスリングを始めると、順調に才能を開花させ、全国少年少女選手権2連覇、全国中学生選手権優勝、全国高校女子選手権2連覇。

大学1年時に日本代表として、カナダで行われた2012年世界選手権に初出場。決勝戦では不可解な判定で銀メダルに終わったものの、次の大会から連覇を続けている。

これほどの強さを身につけた背景にあるのが、日本レスリングが誇る“勝者のDNA”を受け継いでいることだ。

どうすれば吉田沙保里になれるか

中学に入学した登坂は、もっと強くなるために自ら道を切り開いた。当時通っていた富岡ジュニア教室が週3回だけだったため、ほかのクラブの練習にも参加したのだ。きっかけは、11歳のときに観た2004年アテネ五輪。女子レスリングが初めて種目として採用された大会で、金メダルに輝いた吉田沙保里だった。

「衝撃的でした。外国人選手にタックルをバンバン決め、表彰台から降りるやいなや『北京で2連覇します』と笑顔で言ってのけたカッコよさ。感動して涙を流しながら、『沙保里さんになる』と誓ったものです」

漠然と「強くなりたい」と練習に励んできた登坂は、明確な目標を打ち立て一直線に突き進んだ。地元で毎日マットに上がるようになった登坂は、学校が休みになると実家のある富山県富岡市から三重県一志町(現・津市)へ。憧れの沙保里の父・栄勝が開いていた「一志ジュニアレスリング教室」で指導を受けるため、吉田家に泊まり込んだ。

栄勝は現役時代「返しの吉田」と呼ばれ、鉄壁のディフェンスと冷静なカウンター攻撃で1973年全日本選手権を制した。ところが、引退して自宅にレスリング教室を開くと一転、子どもたちに「タックルがレスリングの基本である」と説き、来る日も来る日もタックルを反復練習させたのだ。

「来る者、拒まず」──。栄勝は登坂を、沙保里と同じように鍛え抜いた。

「吉田先生は本当に怖かったです。でも、だからこそ沙保里さんは強くなれた。沙保里さんのようになりたかった私には、本当にありがたかったです」

栄和人の下、妥協ゼロの練習

地元の中学を卒業すると、迷うことなく至学館高校へ入学する。そのまま至学館大学に進学して7年間、母校で練習を続ける吉田と同じマットで練習した。指導するのは、オリンピック・世界選手権のメダリストを19人も輩出した栄和人監督(日本レスリング協会強化本部長)だ。

地元のジュニア教室でレスリングの基礎を教わり、吉田栄勝によって武器を授けられた登坂は、栄によって世界で勝ち切る戦術を仕込まれた。吉田沙保里がたどってきた道と同じように。

至学館大の練習の厳しさは、紛れもなく日本一。栄が指導者として最も優れている点は、妥協することなく、女子選手といえどもそれだけの練習をさせられることだ。

毎日の練習は、ランニングを中心とした朝練1時間、午後3時からマットでの午後練3時間が基本。だが、栄が選手たちの練習態度を見て、気合が入っていないと判断すれば、練習は延々と続き、納得するまで終わらせない。午後7、8時を回ることはザラ。年に数度は午後10時をすぎることもあり、吉田などは日付が変わっても練習させられた経験がある。

もちろん、練習中に水分補給を自由にできるが、スパーリングは2~3本続けて行い、終わればすぐにマット脇で補強トレーニングをして、また次のスパーリングを始める。

そんな道場で誰よりも練習しているのは、登坂である。高校生のときから大学4年になった今も。それはすべての部員、OGが認めている。

「練習中、沙保里さんをいつもチラ見しています。沙保里さんが練習していたら、先にやめるわけにはいきません。自分には才能がないから、沙保里さんの何倍も練習しなければ追いつけないですから」

バランスは吉田沙保里より上

初出場の世界選手権で涙した後、登坂の練習はさらにハードになった。

「日本の女子は強すぎるから、世界からバッシングされるという話は聞いていました。でも、沙保里さんはずっと勝ち続けている。(2012年世界選手権で)自分は相手と競るような試合になったからやられたけど、沙保里さんたちのように圧倒すればいいんだ。それだけの強さがなければ勝ち続けることはできないんだとわかりました」

登坂は吉田のすべてを吸収しようと、寄り添った。これ以上ない、最高のお手本だ。練習はもちろん、メンタルや物事の考え方、人との接し方、オンとオフの切り替え。高校生の頃は年齢が違いすぎたが、大学生になると吉田も登坂の実力を認め、そばに置くようになった。

ケガが続き、主将でありながら思うように練習をリードできずに悩んでいると、「もう世界チャンピオンなんだから、自分が勝つための練習をしてもいいんだよ」と吉田が声をかけてくれた。気持ちが楽になり、試合前は自分の調整に徹し、試合が終わると部をまとめるために努めることができた。

栄は登坂のことを次のように評する。

「すべてにおいて体の使い方がいい。負けん気が強く、自分をトコトン追い込める。スピードだったら吉田のほうが上ですが、登坂ほどバランスのいい選手はいないですね」

試合開始のホイッスルが吹かれると同時に、登坂はとにかく攻め続ける。何点リードしようとも、試合終了のブザーが鳴るまで、片時も休むことなく。相手を崩し、いなし、タックルを決め、マットに倒す。1試合で何回も。レスリングのルールをよく知らない者が観てもわかりやすく、スカッとするだろう。

登坂絵莉(とうさかえり) 1993年生まれ。女子48キロ級。至学館高校時代に全国高校女子選手権を2連覇。2012年世界選手権に初出場して準優勝すると、2013年から同大会を2連覇している。常に仕掛け続ける攻撃的スタイルが持ち味(写真:保高幸子/アフロ)

登坂絵莉(とうさか・えり)
1993年生まれ。女子48キロ級。至学館高校時代に全国高校女子選手権を2連覇。2012年世界選手権に初出場して準優勝すると、2013年から同大会を2連覇している。常に仕掛け続ける攻撃的スタイルが持ち味。(写真:保高幸子/アフロ)

五輪より過酷な日本予選

そんな登坂の最大のライバルは今、国内にいる。日本レスリング協会が「2020年対策ターゲット選手」に、登坂とともに選んだ宮原優(東洋大学)と入江ゆき(自衛隊体育学校)だ。

宮原は登坂と同じ富山県出身。才能を認められ、小学校を卒業するとJOCエリートアカデミーに入校した。2013年には51キロ代表として世界選手権に出場したが、現在は48キロ級だ。お互い「手の内を知り尽くし、やりにくい」と言いながらも、闘争心をぶつけ合ってきた。

一方、ここ2年は登坂が勝ち続けているものの、通算成績では負け越しているのが入江だ。大学までは九州にいて練習相手が少なく、恵まれた環境ではなかったが、ポテンシャルはピカイチなものを備えている。自衛隊体育学校に進んで急速に実力を伸ばし、5月のアジア選手権で優勝を遂げた。

日本の男子レスリングが最強を誇った時代、「日本の2位は世界の2位」と言われたが、女子48キロ級は3位でも世界を制する実力がある。

アカデミーで宮原を育て、現在は日本代表コーチとして彼女たちを指導する吉村祥子は、それぞれの良さをこう指摘する。

「登坂はタックルに入った後の処理能力が高いので、1回の攻めで確実にポイントを奪える。宮原はグラウンドで逆転するポイント能力がある。入江は間合いの取り方、引き落としがうまく入らせない。3人ともまだまだ伸びます」

登坂が、すんなりリオデジャネイロ大会で金メダルを獲得し、オリンピック2連覇をかけて東京大会に臨めるか。それとも宮原、入江が待ったをかけるか。“東京オリンピックの星”といえども、世界で最も過酷な国内予選で足元を救われる可能性は否定できない。

だが、たとえそうなったとしても、登坂はドン底からでも這い上がってくるだろう。無敵の女王・吉田沙保里が北京、ロンドン五輪の前、連勝をストップされても立ち直り、金メダルをつかんだ姿を誰よりも近くで見てきたから。山本聖子という最大のライバルとの激闘が吉田を強くしてきたことを学んでいるから。

登坂は2020年東京五輪で栄光をつかむため、進化し続ける。

※本連載は隔週金曜日に掲載予定です。