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第2回:エリート候補生が送る日常

恋愛は二の次、携帯は夜間禁止。金メダリスト養成機関の実態

2015/6/19

エリートに課せられた「掟」

「携帯電話禁止! 恋愛禁止!」と言っても、アイドルを抱える芸能事務所の掟ではない。日本オリンピック委員会(JOC)が各競技団体と運営する「JOCエリートアカデミー」の基本方針である。

2000年に政府が策定したスポーツ振興基本計画に基づき、JOCはオリンピックなど国際試合で勝つための競技力向上戦略「ゴールドプラン」を作成。キャリアアカデミー、ナショナルコーチアカデミーとともに展開しているのがエリートアカデミーだ。

2008年ナショナルトレーニングセンター開設と同時にレスリング、卓球がスタート、2009年フェンシング、2014年飛込み、ライフル射撃が加わった。全国から才能ある中学生、高校生を東京・北区にある「味の素ナショナルトレーニングセンター」に集め、近隣の学校に通わせながら、将来オリンピックで活躍できる選手を育成する。

高校卒業までの最長6年間(来年度からは3年間)、各競技のコーチが練習を担当し、JOC担当者が生活面を指導。管理栄養士、トレーナー、ドクターが全面的にサポートする。

恋愛制限の真相

開校時からディレクターを務め、選手から「校長先生」と慕われている平野一成が、冒頭の「携帯電話禁止! 恋愛禁止!」について説明してくれた。

「新聞や雑誌でよくそう書かれるんですけど、携帯電話は22時45分、寮母へ預けます。あると夜中でも使いたくなりますからね。練習で疲れて寝てしまい、友達からのLINEやメールに返事できなくても、『持っていない』となれば余計なトラブルにもなりません」

「恋愛についても、あれこれチェックしたり、外出時に尾行したりするわけでもありません。個人的な意見ですが、元気のある若者なら異性に興味を持つのは当たり前。異性から好かれないようではダメだと思います。でも、何のためにここにいるのか。平等に与えられている24時間を有効に使うためにはどうすればいいのかを考えてほしい。自覚を持って行動しろということです」

自身もフェンシング選手だった平野一成ディレクター(撮影:中島大輔)

自身もフェンシング選手だった平野一成ディレクター(撮影:中島大輔)

「いい子を育てる気はない」

国際試合でも活躍、引退後は教員をしながらナショナルチームのコーチを務め、教育委員会で10年間働いた後、現職となった平野は「ここは学校ではない」と断言した。

「いい子を育てる気はありません。集団生活で最低限のマナーは守らせますが、世界で勝てる選手にするためにはキバを抜いてはダメなんです」

平成27年度、エリートアカデミーにはレスリング8人、卓球16人、フェンシング14人、飛込み4人、ライフル射撃5人が在籍している。

中でも、フェンシングはレスリング、卓球と並んでリオの代表候補や東京でのメダルが期待される選手を育成。実績を上げている一方、日本スポーツ振興センターのナショナルタレント発掘・育成プログラムと連携し、東京オリンピック以降を見据えた少年少女をスカウト、育成している。

「原石」をエリート教育

中学2年の葉ローランド秀峰は、福岡のタレント発掘事業で才能を見いだされ、フェンシング未経験ながら入校した。父はザンビア人、母は中国と日本のハーフ。小学生時代サッカーに熱中し、駆り出された陸上の大会では跳躍種目で圧勝する。青木雄介エリートアカデミーコーチは一目ぼれし、足しげく福岡に通って本人や両親を説得した。

「ズバ抜けた跳躍力と瞬発力。ナショナルチームのコーチが育て上げたら、どれだけの選手になるのか。彼の未来は想像しただけでワクワクしました」

ウサイン・ボルトに憧れ、オリンピックを夢見ていた彼は振り返る。

「このまま福岡でサッカーや陸上をやっていてオリンピックに行けるのか? それより、最高の環境でやってみようと決意しました」

小学校卒業と同時に東京へ送り出すことに不安を感じていた両親も、「行ったほうがいい」と応援するようになった。決め手は、青木の「一緒にオリンピックを目指そう!」だった。

まだまだ試合では勝てず、「先輩から一本取れたときが一番うれしい」というレベルだが、躍動感あふれる身体能力の高さが伝わってくる。

卓越した身体能力を誇る葉ローランド秀峰

卓越した身体能力を誇る葉ローランド秀峰

「オリンピック」は最高の口説き文句

同じく、フェンシング未経験ながら山形のタレント発掘で輝きを認められたのが、丸山さくらだ。個々の才能に適した競技を見いだし、メダリストへの道筋を構築する事業で、丸山は生まれて初めて剣を握った。構えてみると、その姿が青木たちの目にとまった。

「4歳からやっていた躰道(独自の基本動作とフットワークにより、相手の攻撃を自らの体を動かしてかわし、反撃することを重んじる武道)と共通するところがあったようです。躰道は大好きでしたけど、『オリンピック』と聞いて、ビビッときました」

地元で2年間フェンシングを練習し、中学1年からエリートアカデミーへ。

「一番年下なので気を使うこともあるけど、思う存分練習できて楽しいです」

練習後、汗だらけのマスクに消臭スプレーをシュッシュしながら、「日曜日、学校の友達とショッピングして、スイーツを食べるのが最高の喜び」と丸山は笑っていた。

常に前向きな姿勢で取り組む丸山さくら

常に前向きな姿勢で取り組む丸山さくら

少年少女を自立させる環境設定

練習は平日、放課後午後5時から8時ごろまで。フェンシングでは朝練を自主性に任せているが、丸山いわく「ライバルたちが走っていたら、どんなに眠くてもやらないわけにはいきません」。

土曜日は午前中フェンシングの練習、午後はフィジカルトレーニングだ。そして、試合がなければ日曜日は完全オフ。それについて、青木コーチは次のように話す。

「アカデミー生は規律正しく競技に集中していますが、ストイックになりすぎ、視野が狭くなることを懸念しています。時には競技を離れ、学校の友達と遊ぶことも大事。フェンシングには創造性が必要なので、今のうちにいろいろ経験をして、自立した選手に育てたいと思っています」

将来のメダリストを育成する青木雄介コーチ

将来のメダリストを育成する青木雄介コーチ

「オリンピックなんて言わなくなる」

最高のコーチに指導され、優れたスタッフに支えられ、日本一の練習場で競技に打ち込めるエリートアカデミー。だが、最大のメリットは世界で戦うトップアスリートと同じ場で練習ができることだ。青木が説く。

「世界で戦う選手の息遣いを感じながら練習できる。オリンピックがものすごく身近に感じられる反面、彼らの練習に取り組む姿勢や、すさまじい努力がわかるとオリンピックが遠く感じられます。入校前は、『オリンピックで金メダル3個獲ります』なんて威勢のいいことを言うんですよ。それが半年ぐらい経つと、オリンピックなんて言わなくなる」

「取材用の練習ではなく、本気を目の当たりにするわけですから。思うようにできず泣いたり、コーチと衝突して出て行ったり。そうしたことを自分の目で見て、感じられることは人生の宝ですよ。そうやって、人間性も高まっていく」

「エリートアカデミーというやり方が一番いいなんて思っていません。親元で、愛情をたっぷり受けながら練習するほうがいい子だっています。それぞれが自分に適した環境を選べばいい。単にひとつの選択肢です」

エリートアカデミーが最後の望み

常にライバルを意識して生活し、トップ選手たちから無言の教えを受けながら練習できるありがたさを最も感じさせてくれたのは、「フェンシングは動くチェス」と教えてくれた高校2年、西藤俊哉だった。

全日本選手権出場経験を持つ父親がコーチを務める長野のクラブで、5歳からフェンシングを始めた。「初めてつかんだ剣はズッシリ重くて、スーパーヒーローになった気分」と言う彼は練習に打ち込み、小学生時代では全国大会ベスト8の常連だったが、中学に入ると伸び悩み、周りに追いつかれてしまった。

「勝てないから、面白くない。やめようかとも思いましたが、以前声をかけていただいたエリートアカデミーでやってみて、それでもダメならオリンピックは諦めようと中学2年から入りました」

アカデミーでは「一番下からはい上がってやる」と誰よりも練習し、コーチから「あがれ」と怒られるまで練習場に居続けた。

「戦術を教わり、目からうろこの毎日。フェンシングを根本的に知ることができ、階段を一段ずつ上っていけました」

ロジカルな思考力で世界トップクラスに登り詰めた西藤俊哉

ロジカルな思考力で世界トップクラスに登り詰めた西藤俊哉

エリートだから負けられない

日々「大人」の中でもまれ、普通の高校生以上に思考力も表現力も磨かれている彼の話には、北京・ロンドンのメダリスト太田雄貴の名が何度も登場する。「太田さんがこのワナにかかるか」「太田さんなら、どう切り替えしてくるか」「太田さんとガチンコ勝負がしたい」。

西藤は2014年世界ジュニア選手権で銅メダルを獲得。世代を代表する選手に成長した。

選手のピークは競技によって異なるが、フェンシングの場合、強豪国では20歳前後で国際舞台に登場し、20代前半でメダリストとなる選手がほとんど。日本の第一人者、太田も初めてオリンピックに出場したのは19歳になる年だった。

そう考えると、今の高校生、中学生が5年後、東京オリンピックで活躍する可能性は非常に高い。

「大会会場では、『エリートアカデミーだよ。すごいところで練習してさ、偉いコーチに習ってるんだろ』とよく言われます。でも、そう思われているんなら、『負けてなるものか』となります」

マスクを脱ぐといつもはしゃいでいる丸山が、厳しい表情でそう語った。(文中敬称略)

(取材・文:宮崎俊哉、撮影:是枝右恭)

<連載「金メダリストの創り方」概要>
4年に1度行われるオリンピックは、スポーツ界で最も過酷な大会のひとつだ。国中の期待を背負う重圧は壮絶極まりなく、目の前の相手はもちろん、自分との戦いに勝って初めて金メダルを獲得することができる。選ばれし者の舞台に立つまでにアスリートは自身をいかに鍛え、また各競技団体はどうやって世界一になれる選手を創り上げているのか。隔週金曜日にリポートする。