2024/4/25

リアルな顧客体験を創造。「ハラカド」が可能にする新時代のマーケティング

NewsPicks Brand Design シニアエディター
 SNSの登場でマーケティング手法と広告媒体は一気に多様化した。しかしその一方で、その成果が表面的な認知にとどまりがちであることに課題を抱える事業者も多い。
 そこに一石を投じるのが、4月17日に開業を迎えた東急プラザ原宿「ハラカド」(以下「ハラカド」)だ。
 7階建ての複合施設で、地下1階には銭湯も入居する原宿の新たなランドマークは、施設全体を複合的なプロモーションの場に使えることで、企業やマーケティング業界の注目を集める。
「ハラカド」はメディアとしてどのようなポテンシャルを秘めているのか。
 日本を代表するマーケターであ高岡浩三氏と、「ハラカド」をメディアジャックし、新商品のプロモーションを展開する花王の野原聡氏が、商業施設が媒体となる新しいマーケティングについて語り合った。
花王ヘアケア第一事業部ブランドマネージャーの野原聡氏(左)と高岡浩三氏

「UGC」が変えたマーケティングの潮流

──近年のマーケティングプロモーションの潮流について、おふたりのお考えをお聞かせください。
野原 当社はこれまで、テレビCMに代表されるマス広告を使って、マスブランドを認知させるという伝統的な発信を長期にわたって継続してきました。
 しかし近年は、人々の行動の多様化やSNSの出現で、タッチポイントの数が非常に増えてきていると実感しています。
 多くの顧客接点が登場する中で、一定のシェアを取るために特に効果的なタッチポイントは10ほどに絞られてくることもわかりました。
 中でも重要性を増しているのがUGC(一般ユーザーによって生成されたコンテンツ)、要するに企業側が発信する広告やコンテンツではなく、製品を使ったお客様からの発信です。
 体験した際の新鮮な感想や驚き、発見が発信され、特に熱量が高いコンテンツがバズったときに、商品が飛ぶように売れるという状況が頻繁に起こっています。
2006年花王入社。「アタック」のマーケティング、営業を担当したあと、花王中国で3年間、デジタル・ECを中心としたマーケティングを経験。現在、ブランドマネジャーとして国内インバスヘアケアカテゴリー(melt, Essential,メリット,セグレタなど)のマーケティングに従事。
高岡 企業が発信するストレートな広告メッセージだけでは、消費者は説得されなくなっています。
 かつてはブランドを覚えてもらうことがそのまま販売につながりましたし、新興国ではまだまだこうした手法は通用しています。
 しかし経済が成熟するほど、人々は広告のメッセージは良いことしか言わないとわかっているから、簡単には説得されません。
 要するに広告のパワーが落ちてしまっているんです。
1983年、神戸大学経営学部卒。同年ネスレ日本入社。各種ブランドマネジャー等を経て、「キットカット」受験生応援キャンペーンや新しい「ネスカフェ」のビジネスモデルを提案・構築し、利益率の低い日本の食品業界において、新しいビジネスモデルを追求しながら超高収益企業の土台をつくる。2010年から2020年までネスレ日本CEO。2020年4月より現職。 マーケティングの世界的権威のフィリップ・コトラー氏が日本人で最高のマーケターと絶賛する。著書に『ゲームのルールを変えろ――ネスレ日本トップが明かす新・日本的経営』(ダイヤモンド社)、『逆算力』(日経BP社)、コトラー氏との共著で『Marketing in the 21st century』他多数。
野原 たとえば若い女性向けの高価格帯ヘアケア製品の場合、購買につながるタッチポイントの数十パーセントが口コミで、あとはパッケージ・店頭・商品体験です。テレビCMは数%程度しかありません。
 年代が上がればマス広告のパワーは強くはなりますが、若い世代をターゲットとするなら、やはりインスタグラムやティックトックなどのSNSが中心になる。
 この場合も重要なのはSNSというプラットフォームではなく、ユーザーが発信元になることなので、いかにユーザーが発信したくなるような状況を作っていくかということがカギになっています。
高岡 広告そのものは今も重要なツールではあるのですが、それを広告然とさせないことが求められていますね。
 広告に見せないクリエイティビティと、一般の人たちが自分の声で周囲に伝えたくなるようなニュースをつくることが必要なんです。
──ニュースをつくる、そのためにはどんな仕掛けが有効なのでしょうか。
高岡 ニュースをつくるということは、顧客の本当の問題を発見することとほぼ同義です。
 たとえば、私が以前ネスレコンフェクショナリーでマーケティングを担当していたころ、「キットカット」を「きっと勝つ」にかけた受験生向けの仕掛けが大成功したことがありました。 
 実はこれは私たちが思いついたことではなく、九州弁で「きっと勝っとお」に聞こえるからと九州の人たちがゲン担ぎに買うようになってくれたことが契機で、私たちはそれを「受験生応援キャンペーン」として広げただけなんです。
 頑張ってきた自分の心を最後に落ち着けてくれるお守りを求めた受験生や、応援している気持ちをそっと伝えるツールを必要としていた周囲の人たちが、それを解決するキットカットの価値に気が付いてくれたんです。
野原 顧客が答えを持っているというのは、本当にあると感じることはよくあります。
 でも、消費者自身もそれに気づいていないから、市場調査ではあぶり出すことができない。僕らがそれに気が付かないといけないんですよね。
高岡 キットカットの例は、まさに商品のクオリティを超えた顧客体験です。
 認知度を高めるだけでは生まれないし、おいしくするだけでも足りない。いかに質の高い顧客体験をつくりだせるかが重要です。
野原 当社でも製品を体験してもらうことを重視していますが、商品によっては難しいことがあります。
 たとえば、24年春に発売したばかりの「melt」シリーズは、生炭酸がつくりだす泡が手のひらで突然とろけていく驚きや、頭皮と指先で感じる泡が髪に密着する感覚に加え、発泡音や香りなど、五感を通じたwow体験(顧客の期待やニーズを超えて、魅了させる特別な体験)ができるまったく新しいタイプのヘアケア製品です。
 こういったシャンプーやトリートメントはお風呂で使う商品ですから体験してもらう場を設けるのが難しい。サンプリングはできても、その場で体験する仕掛けが難しいのです。

「ハラカド」をメディアとして活用する

──花王は原宿にオープンした「ハラカド」を全館ジャックして、「melt」シリーズのプロモーションを展開していますが、顧客体験の場づくりに関する課題をクリアするための施策なのでしょうか?
野原 そうですね。五感に訴える製品の魅力を深く理解し、質の高い体験を促すには、ブランドの世界観に触れて興味を持ってもらうことに加えて、実際に髪を洗ってケアするまでの体験を完結させる必要があります。
 「ハラカド」でのプロモーションでは、複数のフロアで異なるブランド体験を提供し、最後には入居する銭湯施設「小杉湯」で実際に髪を洗ってケアするまでのプロセスを実体験できるイベントを開催します。
 原宿は美容室やアパレルショップが多く、ヘアケアに対する感度の高い人たちが集まってくれることにも期待しています。
高岡 いかにニュースをつくっていけるかが問われる中で、「ハラカド」をメディアとして活用するというのは面白いアイデアですね。
 特に「ハラカド」はラジオ局や雑誌社など本物のメディアも入居予定と聞きますし、クリエイターが集まるフロアがあることから新しい文化の発信拠点となり得るでしょう。
 訪れる一般消費者はもちろんですが、入居するテナントも一緒になって体験を創造し共有する仕掛けがつくれるという意味では、今後のマーケティングの主流のひとつに躍り出てくる可能性も感じます。
野原 従来も商業施設をマーケティングの場として活用することはありました。
 しかし、イベントスペースを借りてその中だけで行うケースがほとんどで、体験はできてもそれを深めたり、視点を変えて展開したりというのは難しく、一過性で終わることも多かったように思います。
 「ハラカド」でのプロモーションでは、施設そのものはもちろん、入居するテナントの魅力や個性を生かしながら、彼らとともに新しい空間を生み出すような設計を考えています。
 訪れるお客様が、「ハラカド」の中を周遊しながら、さまざまな視点で「melt」の世界観を楽しみ、体験してもらえる工夫を凝らしています。
高岡 入居しているテナントと一緒に仕掛けをつくっていくということは、組む相手に協力費のようなものを支払うのですか?
野原 はい。こうしたビジネスモデルが成立すればテナント側にも利益があり、win-winの関係が築けるのではと考えています。
 本来なら入居しているテナント1社1社に協力を求めていくことになるのでしょうが、「ハラカド」を開発した東急不動産がハブの役割を果たしてくれています。
 小杉湯さんでの体験だけでなく、入居している花屋さんには装飾に協力してもらっています。また、美容室さんともイベント後にコラボができないか模索しています。
高岡 原宿のど真ん中にある商業施設となれば賃料も相当高額になるでしょう。
 一方でその注目度や集客力を生かして、入居している施設がマーケティングの場、メディアであることでコストを下げられる可能性があるとなれば、テナント側も積極的に協力してくれるでしょうね。
 これまでの日本にはない、新しいビジネスが生まれる予感がします。
 花王さんにしてみれば、コラボに近い形で新しい価値を生み出そうとしているわけだから、それを「ジャックする」と言われるのは、少々心外なのでは?
野原 おっしゃる通りで、私たちは「ハラカド」を「melt」一色に染めるような形は考えていません。
 施設内のどこへ行っても宣伝されているように感じさせてしまっては意味がありませんし、「ハラカド」という施設やテナントの発信を楽しみながら、当社製品の世界観や魅力に気づいてもらうことを重視しています。

リアルな顧客体験を創造する新時代のマーケティング

──高岡さんだったら、「ハラカド」のような商業施設でどんなマーケティングを展開してみたいと思いますか。
高岡 今でこそロボット掃除機やハンディタイプのコードレス掃除機が普及していますが、重い掃除機を引っ張り回すしかなかった時代に、ハラカドのような場で新しいタイプの掃除機の魅力を発信してみたいと思いましたね。
 たとえばあるフロアでは世界観を感じてもらう演出をして、別のフロアでは買い物をするお客さんの横でロボット掃除機が縦横無尽に走っている。
 入居するテナントでも稼働させてもらって、髪の毛1本落ちていない清潔な店内を保ってもらうんです。
 コードレス掃除機なら、銭湯で使ってもらうのもいいですね。
 脱衣所の床には髪の毛が落ちやすいので、それが気になる人も多いでしょう。そこにコードレス掃除機を置いて、気になったらパパッときれいにできる体験をしてもらうんです。
 ロボット掃除機のルンバは日本進出から本格的に普及するまでに10年ほどかかりましたが、こんな仕掛けができていればもっと短縮できたような気もしますね。
野原 それはまさに、イベントスペースを借りるだけではできない展開ですね。商業施設ならどのフロアにいるかでお客さんのモーメントは変わるので、こうした点を活用するのも面白そうです。
 たとえば「ハラカド」の3階はクリエイターズプラットフォームといって、クリエイターや各種企業のR&Dが集う拠点になっています。
 こうしたクリエイティビティを刺激される空間では、製品のパッケージデザインのようなアート体験をしてもらうのもいいかもしれません。アイデア次第で無限の展開ができそうです。
「ハラカド」の3階フロア
高岡 今回の施策はまったく新しいタイプのマーケティングになりますから、実験の場としても意味があると思います。
 マーケティングで最初から正解がわかることはまれで、トライアンドエラーを繰り返すものです。商業施設にはターゲット層以外の人たちも多く訪れますし、ダイレクトにユーザーの反応が見えることで、軌道修正も可能になる。まったく想定していなかった発見もあるかもしれません。
野原 正解がないということは私たちも痛感していて、デジタルマーケティングの活用が増えているのもアジャイル的にPDCAを回しながら修正しやすいというメリットが大きい。
 「ハラカド」というリアルな場でのマーケティングは、私たちマーケターにとっても大きな学びになると期待しています。
高岡 「ハラカド」という空間と、そこに集う個性豊かなテナントと協力して魅力ある場をつくりあげ、外部に発信していくことで、商業施設が有意義なメディアとして機能する。それをきっかけに多くの消費者が訪れ、新たな体験を重ねていく。そんな可能性を秘めていると思います。
 花王さんと「ハラカド」による商業施設をメディア化するチャレンジは、日本で一番進んでいるマーケティングといえそうですね。