為末大の未来対談 第13回 名古屋大学・天野浩氏
脳にも農にもLED。新光源が次に照らす近未来像とは?
2015/5/27
元陸上プロ選手の為末大氏が、科学・技術の各分野をリードする第一人者に、5年後から10年後の近未来における「未来像」を聞いている。
今回、為末氏が対談するのは、名古屋大学工学研究科教授でノーベル賞受賞者の天野浩氏だ。天野氏は、名古屋大学で師事してきた赤﨑勇氏(名古屋大学特別教授、名城大学終身教授・窒化物半導体基盤技術研究センター長)、それに中村修二氏(米国カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授)とともに2014年、「高輝度・低消費電力白色光源を可能とした高効率青色LEDの発明」でノーベル物理学賞を受賞した。
従来の光源よりも発光効率が高いLED。中でも青色の発光を実現することは、多くの研究者が諦めてしまうほどの至難の業とされてきた。
前人未到の成績を得るために高い目標設定する。そして日々前進をしていく。これはアスリートと研究者の共通点かもしれない。世界の舞台でメダリストになることを目指してきた為末氏にとって、ノーベル賞を受賞した天野氏の研究の進め方はどのように映るのだろうか。
天野氏との対談シリーズの最後となる第3回では、LEDが近未来にもたらすであろう驚きのイノベーションが飛び出す。
1回目:“知らないでいること”が人間を前に進める
2回目:ブレークスルーには方法論がある。ではイノベーションは?
“脳内LED”が人の行動をコントロールする
為末:自分はハードルをやっていてうれしかったことがあって、スイスの少年がハードルを始めたきっかけを「タメスエがレースで走っているのを見たから」って言ってくれたんです。
背が小さい人でも世界で戦えるんだと実感してくれたみたいなんですね。天野先生はLEDが実用化されていく中で、感動したことはどんなことがありますか?
天野:たとえば信号機がだんだんLEDに変わっていったときは、まだ小さかった子どもに「お父さんたちががんばってつくったんだよ」って言っていたことはありますね。
その後、年が経って、今、消費電力量の少ないLEDが普及することで、エネルギー問題などに役立っているという実感はあります。普及して良かったなと思います。
為末:今、天野先生がLEDの研究分野で「これは面白い芽がある」「実現したら面白そうだ」と思っておられるようなことはありますか?
天野:いろいろありますね。たとえば、これは医学の分野で行われていることですが、「人間の行動をLEDでコントロールできるようにする」という研究が進んでいるんです。
マウスやヒトの脳にはシナプス(神経細胞)が無数にあって、シナプスからシナプスへと神経伝達物質が伝わることで、刺激を受けたり行動を起こしたりするわけです。
で、シナプスをつなげるときにタンパク質が使われるんですが、青の光に反応するタンパク質や、オレンジの光に反応するタンパク質っていうのがすでに開発されています。
それを神経の中枢に入れて、LEDの光も脳内にファイバーなどで入れる。すると、たとえば、オレンジの光が入るとマウスが暴れだし、青色の光が入ると眠る、といったことができるんです。
人間に対してマウスと同じことをやったらまずいですが、でも医療への応用は、真剣に考えられています。たとえば、生まれつき行動に支障をきたしている患者さんやアルツハイマーの患者さんなどの治療に使えるんじゃないかと、医学部の先生たちが熱心に研究されていますね。
為末:そうした分野にもLEDは応用されていくんですね。
天野:他にも、LEDで野菜を効率的に育てるといったことが、産業として盛んになっています。実際、企業の名前がついた野菜が売られています。
為末:植物にLEDの光を当てるっていうことですか?
天野:そうです。普通、野菜になる植物に太陽光を当てるわけですが、太陽光にはすべての波長の光が含まれていて、光合成を抑制してしまう波長もあるんです。
抑制する光の波長を与えなければ、植物はもっと成長するんです。LEDを使えば、特定の波長だけを選んで植物に与えることができるので、育成測度を2倍とか3倍にすることができるわけです。
為末:なるほど。
天野:あともうひとつ面白いと思っているのは、紫外線LEDです。LEDは青色のような可視光の他、紫外線も出せるんですね。これを殺菌や水の浄化などに応用することができます。
私どもも今、企業と一緒にやってますが、たとえば、乾電池で動く水質浄化装置ができると、きれいな水を手に入れにくいような地域で役立てられるんじゃないかと期待されています。
新光源は人間の生活そのものを変えていく
為末:2020年から2025年といった近未来に、どんなことが起きているかをいつも対談する研究者の方々に伺っています。LEDがさらに応用された先の未来では、どんなことが起こっていると思いますか?
天野:医療ではもっと応用がありうると思います。たとえば、紫外線を当てると皮膚病の治療ができますが、白斑や感染症の治療に紫外線LEDが使われ始めています。
また生活面では、LEDと太陽電池を組み合わせた光源がもっと広がっているのではないかと思います。電力網未整備の地域を明るく照らすことができるようになると思います。
たとえば、モンゴルには今も伝統的な放牧生活者が多くいますが、子どもたちが夜に本を読めないなど現代生活とのギャップもあって存続が危ぶまれていました。でも、LEDが開発されて、夜でも勉強できるようになったということです。こうした光源は、アフリカや南米などでも広がっていくと思います。
為末:この分野にはまだ課題もありますか?
天野:ええ。普及させるためには、より安くつくらなければならないので、それに取り組んでいます。
それと、これまではLEDの性能の競争が続いてきましたが、使う側からの視点が少し欠けていた気がします。LEDが、人間にどのような心理的影響を及ぼすか、また生活リズムがどう変わるかといったことを今後は見ていかなければならないと思います。
白熱電球や蛍光灯からLEDに変わったことの影響を、文化的あるいは生活的に捉えることが必要となります。
情報を遮断して「自分で考える」ことが成長をもたらす
為末:天野先生のLEDの研究もそうだったんだと思いますが、長期にコツコツ何かを目指すということは大切だと思うんですね。そのときに、ひとつのものごとに没頭し続けられるような環境も大事なのではないか、と。
自分の現役時代を振り返ってみると、インターネットが今ほど普及していなくて、ほとんど情報が断絶されたような状態で陸上競技に打ち込んでいました。でも、今は情報がありすぎて、「簡単に成功している人なんていない」といったことがすぐにわかってしまう。
今のような情報の多い状況だったら「ハードルしかないんだ」と思い切れていただろうかという感じはあるんです。没頭することが困難になっているというか……。
天野:それはあると思います。情報が入りすぎて、逆に今の学生たちは、大きな目標を持ちにくいのではないかと感じることは多いですね。
為末:皮肉ですよね。情報をたくさん手に入れると興味ある分野に入り込めなくなってしまう……。
天野:それで満足して、それ以上は考えなくなるような傾向がある気がします。「もっと世の中をこう変えたい」ということを本当は考えなければならないと思うんですが、今の若い人たちからなかなかそれが見えないような気がしていて。
情報を集めてある程度のレベルまで達したら、あとは自分で考えていくというのがいいんだと思います。そういった「自分で考える」という期間が、人それぞれに必要だと思うんです。
修士課程の頃、教科書に書いていないことばかり実験結果で出てくるので、他の情報はあえて遮断して没頭する時期もありました。そういう時期は、やはり必要なんじゃないかと思います。
対談を終えて──為末大
ノーベル賞というのは、スポーツの世界で言えば、オリンピックで金メダルを獲るようなすごい賞だなと前々から思ってました。西洋人がうまく権威づけをする象徴的なイベントという点でも、オリンピックと似ているかもしれません。
賞もそうですが、アスリートと研究者の生き方の共通点も改めて感じましたね。高い目標を設定して、その頂を目指していく。でも、その一方で、日常の練習、研究者で言えば日常の実験に目を向けて、日々前進していく。
そこは似ていると思います。スポーツでは、未来の目標か日常の生活かのどちらかに心が偏っていると苦しくなるんですが、研究でもそういう面があるんだろうなと思いました。
外部から情報を積極的に得て、それを自分の関心の対象に当てはめてブレークスルーを起こすというお話があった一方で、天野先生は情報をあえて遮断して、研究に没頭する時期もあったとおっしゃってましたね。
私も、得られる情報が少ないほうが人間は進歩するんじゃないかと思うことがあります。
もうひとつ、考え抜いて決めた研究テーマは変えないともおっしゃってました。自分の感覚からすると、ずっとやっていても「難しい」とわかれば、どこかで踏ん切りをつけることは重要だとも思うんですね。
でも、「報われなくても構わない。日の目を見る人もいればいない人もいるが、とにかく決めた道で行く」というような感覚も、研究の世界にはあるのかもしれません。
最近『いつも「時間がない」あなたに 欠乏の行動経済学』(センディル・ムッライナタン、エルダー・シャフィール共著、大田直子訳、早川書房)っていう本を読んだんですが、何かを考えて頭の領域を支配されることが、意思決定に使う時間を削ぐといった、マルチタスクの弊害のようなことが書かれてましたね。ひとつのことに没頭できることって、やっぱり大事なんだなぁ。(終わり)
(構成:漆原次郎、撮影:大澤誠)