「敵国の言葉なぜ学ぶの?」逆境の中でロシア語専攻の道を選んだ学生に聞いてみた ウクライナ侵攻開始時には高校生、周囲から冷たい反応も
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1942年、米国では日本の宣戦布告を受けるやいなや、陸軍も海軍も日本語学校を設立し、競って優秀な学生を集めて猛烈な速成教育で日本語を学ばせました。
日本軍の暗号を解読したり、捕虜を尋問したり、そして戦勝の後に日本を占領統治するためには、日本語人材が大量に必要になることがわかっていたからです。
サイデンステッカーとかドナルド・キーンとか、後の日本研究者たちはこの時の産物です。
同じ時期に、日本では愛国婦人会とかが「敵性言語」ということで英単語の使用にも目くじらを立てていましたが、まともに勝つ気があったとは思えません。米国を占領してからどのように統治するかとか、考えもしなかったのでしょう。
本当にウクライナが勝つまで戦争をやるのであれば、ロシア連邦を解体するところまでやる必要がある可能性はかなり高いです。
ウクライナが負けたらそこまでは前哨戦ということになり、どうせまたもっと大きな戦争になります。
いずれにしろ、日本も北方領土だけではなく、ウラジオストクとかカムチャッカ半島くらいは統治しなければならなくなるかもしれません。
その時、ロシア語人材は引く手あまたになるし、行政ができるほどのロシア語となると、5年くらいは勉強した方がいいですから、今から始めて間に合うかどうかくらいでしょう。
注目のコメント
人生を豊かにするために縁のある外国語を学び研究するモチベーションは、どんな言語であっても同じだなと共感します。今対立関係にあるからこそ、学びつないでくれる存在はとっても貴重!彼らを応援したいです。