2024/3/27

子供から大人まで、食物アレルギーで「諦める人」をゼロに。

NewsPicks Brand Design 編集長
 食品の摂取が原因となり、全身じんましんや咳、呼吸困難、嘔吐、下痢、最悪の場合はアナフィラキシーショックの症状を引き起こしてしまう“食物アレルギー”がある人が増えている。
 誤食を防ぐために、アレルギー当事者と家族は日々の食事に気を使うことになるが、不自由がつきまとう。毎日通う保育園や小中学校をはじめ、学校行事や旅行などで訪れるレストラン、ホテルなどの「食事を伴うあらゆる行動シーン」において、食物アレルギー対応が保証されているわけではないからだ。
 すると当事者は、外での食事に不安を感じるようになり、行事や旅行に「参加できない」という行動制限につながってしまう。
 この問題解決に取り組んでいるのが、食物アレルギー対応サービス「matoil(マトイル)」を立ち上げた谷美那子氏だ。
 同サービスは、実はまだ独立した会社組織ではない。大手電子機器メーカー・京セラの社内スタートアップとして採択された新規事業だ。
大企業を対象とした「社内外の壁を越えて新たな価値・事業創出に取り組んでいる優れた事例」を表彰するアワードで最優秀賞を獲得。
 京セラが「食」を手掛けることに驚く人も多いだろうが、産官学のオープンイノベーションプラットフォームTMIP(Tokyo Marunouchi Innovation Platform)の「TMIP Innovation Award」で最優秀賞を受賞し、大企業発イノベーションとしても注目されている。
 マトイルとはどのようなサービスで、まだ誰も解決していない課題をどう解決していくのだろうか。事業オーナーの谷氏に聞いた。

携帯電話デザイナーから事業開発へ転身

──なぜ食物アレルギーに着目したのでしょうか。
 私自身が食物アレルギーがあって、不自由を感じることが多かったからです。食物アレルギーによる困りごとは、食べられないこと自体もそうなのですが、食べられないことで「疎外感」が生じてしまうこと。
 子どものうちは給食や修学旅行、友達の家での誕生日会などを楽しめなかったり、大人になっても複数人で集まる食事会や懇親会に参加できないこともあれば、ビジネスで国内外の旅行や出張に行けない方もいらっしゃいます。
 食物アレルギーがある人は年々増加しているのに、社会的な課題認識が広がっていませんでした。それが不思議で仕方なかったので、「自分自身でやってみよう」と思ったんです。
──谷さんはもともと、携帯電話のUXデザイナーですよね?
 はい。三洋電機にインハウスデザイナーとして入社し、在籍していた携帯電話事業が京セラに統合されるなど環境の変化はありつつも、いわゆる“ガラケー”のUIUXデザインの仕事をしてきました。
 ただ、私が入社した当初から携帯電話市場は国内メーカーにとって厳しい時代を迎えていて、「事業成長」を実感したことがなかったんです。大きな市場で技術も最先端なのに、事業環境は厳しさを増すばかりで…。
 事業に貢献したくても、デザイナーの職域を飛び越えることもできず、かといって事業作りの知識や経験もなく、行き詰まりを感じていました。
 そんなとき、京セラ社内で「新規事業アイデアスタートアッププログラム」が始まったんです。事業立案や推進に関する外部研修を受けられる半年間のプログラムがあり、これこそ私が求めていたチャンスと思い、思い切って応募したのが始まりです。
──その結果、「マトイル」の事業案が採用されたわけですが、京セラの本業とはまったく異なる領域の事業ですよね。
 “食”に関わる事業を選んだのは、私自身が「自分ごと」にできる事業でないと、事業推進をやり抜ける気がしなかったからなんです。
 ありがたいことに約800件の応募から選ばれた事業案の一つとして採用され、2020年4月から部署を移動し、新規事業の専任としてスタートしました。

「食べられない」の困りごとをなくす

──マトイルのサービス概要を教えてください。
 食物アレルギーのある方が、自宅や外出先で安心して食事ができる「ミールキット」を製造し、日本全国にお届けしています。商品は個々人のアレルゲンに対応したオーダーメイドのフルコースメニューからカスタムオーダー、パッケージキットまで300種以上です。
 また、アレルギー当事者の方に直接お届けするtoC向けサービスだけでなく、校外活動や修学旅行などで訪れる先のホテルやレストランといった飲食提供事業者と連携し、我々のミールキットを提供するtoB向けサービスも行っています。
 そのR&D拠点として、世田谷区内の商店街に完全予約制レストラン兼ラボの『マトイルファクトリー』を立ち上げ、そこで日々お客様をお迎えしながら、生活上のお悩みを深くヒアリングしています。
 そこで捉えた具体的な課題をもとに商品開発を行い、たとえば学校生活や家族のおでかけ、ホームパーティなど、対応可能な商品バリエーションと活用シーンを拡充しています。
──どのように事業を立ち上げていったのでしょうか。
 初期の事業検証フェーズでは、アレルギー当事者のご家族をラボにお招きして、食物アレルギーのあるお子さんに食べてみたいものを聞き、親御さんにはアレルギーの詳細やお困りごと、悩みなどを丁寧にヒアリングすることから始めました。
そして、マトイルに参画してくれた専門家とシェフと共に、フルオーダーメイドの「アニバーサリーミールキット」を開発し、ご家族全員にアレルゲンのないコース料理を食べてもらったんです。
オーダーメイドで作られるミールキットは自宅だけでなくホテルやレストランにも配送。
 そのほか、オンラインイベントで参加者全員のアレルギーや食べたいもの、お困りごとを聞いて食材を発送し、後日オンラインで料理教室を開催するなど、さまざまな手法でミールキットの実証実験を繰り返し、徹底的にお客様のフィードバックを集めました。
──UXデザイン的なアプローチですね。手応えはありましたか?
 ご家族からの手応えは十分で、お子さんが食べてみたかった「憧れの料理」はこんなにも喜んでもらえるんだ、仮説通りだと嬉しかったです。
 アニバーサリーミールキットや料理教室などの実証実験が40回を超えた頃、有料サービスにしても喜ばれるのかを検証すべく、2021年10月にマトイルが本格スタートしました。

「n=1」のリクエストに応えtoBに参入

──マトイルの商品開発の特徴を教えてください。
 食物アレルギーがある人は、日常的にさまざまな課題を抱えています。食べたいものが食べられない、気軽に外食できない、旅行先のホテルがアレルギー対応をしていない…。
 そこでマトイルは、当事者Aさんからの相談を受けて課題が生じる生活シーンを把握し、n=1のリクエストに応える商品を開発して、ご自宅だけでなく、外出先のホテルやレストランに提供してきました。
 この活動を突き詰めていくと、一人の課題に向けて作った商品と仕組みが、多くのアレルギー当事者の方々に適用できるとわかったんです。同じ悩みを抱える人たちに次々と広まっていき、ついにホテルやレストランから協業や取り扱いのお問い合せが来るようになりました。
オープンファクトリーやイベントを多数開催し、顧客からのFBを商品開発につなげる。
──toC向けのサービスが toB向けにも発展したわけですね。
 はい、これは狙い通りでした。お客様からリクエストされて作った商品を飲食提供事業者に配送することで、今度は事業者の皆さんの課題を把握できるようになりました。マトイルの商品や開発力でアレルギー対応ができるならぜひ使いたいという声も増えています。
 マトイルがお客様をサポートするシーンが広がるほど、その先のtoBサービスの対応範囲が広がっていくという流れで、我々の協業先や取引先は拡張しています。
 このtoCからtoBへの流れを生み出したのは、徹底的なお客様中心思考です。サービス開発も商品開発も市場開拓も、とにかく丁寧に時間をかけてお客様にヒアリングを重ねたことで、結果的に最短ルートで成長できていると思います。
──マトイルはアレルギー対応商品を作って売るだけの存在ではない。
 そうですね。最後まで寄り添う存在、問題解決まで伴走するソリューション提供者でありたいと思っています。マトイルを使うことで、アレルギー当事者は困りごとを解決でき、受け入れる事業者にとっては新たな顧客獲得やサービス拡充につながる、三方よしの関係性を作れると思っています。
ユーザーの自宅だけでなく、行動先のホテルやレストランなどにもミールキットを配送。
 ただ、あらゆるシーンでお客様にお届けする最後のオペレーションまで整えることを考えると、最終的にはホテルやレストランなど、食事シーンを伴うあらゆる事業者様に向けて商品とノウハウも併せて提供する「アレルギー対応コンサルティング」にたどり着くと考えています。
──今まで同じようなサービスが生まれなかったのはなぜだと思いますか?
 私も不思議でしたが、提供者側に立つことでわかってきました。たとえば、レストランなら不特定多数のお客様のアレルゲンと、料理の原材料の組み合わせ、リスクを完全に把握する必要があるし、万が一にもお皿の取り違いなどが生じないよう、万全なオペレーションも確立しなければなりません。
 つまり、食事を提供する側にとって、食物アレルギー対応はとても難度が高いということです。
 そもそも食品提供者は衛生面も含めて管理する項目がたくさんあるため、アレルギー対応まで手が回らないのは仕方ないと思います。だからこそ、マトイルの存在意義があるんです。
 現時点では、アレルギー当事者のいる家庭は外食や中食が利用しづらいことから、市場規模を5000億円程度と算出していますが、あらゆるシーンで「食物アレルギー対応」が当たり前になっていくほど、より大きな市場がターゲットになると思っています。

グロースの鍵はインバウンド→海外進出

──マトイルの競争優位性を教えてください。
 独自の素材や自社の工場など、今持っているリソースが事業構想の起点になる既存事業と比べて、私たちは今、何にも縛られていないことが大きな強みです。
 たとえばマトイルでは、フードテック系スタートアップから生まれた代替食材などを積極的に使って食物アレルギー対応の新商品を開発し、お客様に試してもらってフィードバックを集め、素材を開発された方とも情報共有しながら磨き上げる、といった協業による事業開発を行っています。
 また、製造オペレーションも、アレルギー対応そのものを再定義しながら構築しているので、既にオペレーションが定まったところでは、同じことがなかなかできないのではないかなと思います。
──今後、事業をグロースさせるための鍵は何だと思いますか?
 海外進出です。大人になってから食物アレルギーになり海外出張ができなくなった方や、修学旅行で海外に行かれる方からお問い合わせが来るなど、既に多くのニーズがあります。
 ただ、海外の飲食店や観光業は日本とはルールも文化も異なるので、すべてに対応するのは簡単ではありません。まずは国内のインバウンド需要に対応するのが目下の課題です。

大企業新規事業だからこその恩恵

──京セラの社内スタートアップとして、「マトイル」はどんな立場なのでしょうか?
 京セラが創業以来大切にしてきた「誰もが積極的にチャレンジする企業風土」を醸成する取り組みのひとつとして、会社幹部からは「思い切ってやってほしい、事業がうまくいくなら外に出て行っても構わない」と言われています。
 私も、お客様に喜んでもらえて社会の役に立ち、価値ある事業として成長させていけるなら、このまま自社事業として運営するのも、外に出て起業するのも、どちらでもいいと思っています。
──現時点で、京セラの社内事業であることでよかった点はありますか?
 食物アレルギーは命に関わることだからこそ、特に立ち上げ初期において「大企業が母体であること」の安心感は、お客様からの信頼獲得において大きく影響したと感じています。
 加えて、今後スケールさせていく際に必要な、製造体制や工場の作り方のノウハウが社内にあるのは大きな利点です。ラボから工場までどう成長させると良いのか、これも個人ではなかなか判断の難しいことだと思っています。

領域を広げて食の多様性までカバーする

──今後、実現したいビジョンを教えてください。
 食物アレルギーが原因で「行動を諦めてしまう人」をゼロにすることです。
 世の中の「普通」から取り残されていたアレルギー当事者の方々をはじめとして、誰もが誰かと一緒に楽しく食事ができる環境を作り、諦めていたことを諦めずに済む未来を実現させていきたいと考えています。
 その先には、食のカスタマイズやパーソナライズの領域に進出したいと思っています。病気や美容、好き嫌いなど「食の多様性」にまつわる様々な領域をカバーできるはずです。
──今後の事業方針を教えてください。
 お客様を増やすことより、何度も利用してもらうための商品磨きに注力した結果、特別な広告などを打たない状態で、リピート率は80%を超えました。今後もリピート率をさらに高めていきたいと考えています。
 加えて、学校行事で避けて通れない修学旅行先への商品提供を強化していきます。ニーズに100%応えるために、協業先のホテル、レストランを積極的に増やしたいと思っています。そのデリバリー体制の拡充においても、協業先を探しています。関心ある事業者の方からのお問い合わせをお待ちしています。
 もうひとつ、私たちの事業の仲間を増やしたいと思っています。現時点では「業務委託」という形態になりますが、マトイルのビジョンに共感してくれる事業開発経験者の方も募集しています。
 食物アレルギーの問題は、これまで当事者やご家族の努力によって目立たなかった社会課題です。ぜひ私たちと一緒に、この課題の解決に挑戦したいと思っていただけたら嬉しいです。
※本記事は「第1回TMIP Innovation Award」最優秀賞の受賞副賞として、NewsPicks Brand Designにより制作されました。