犯罪を繰り返した58歳の知的障害者が「ぼく、やっぱり戻りたい」と語る支援施設 近隣は反対、行政は圧力…それでも受け入れ続けた
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・・「突然、祖母と通りがかった3歳の男の子を抱きかかえ約6メートルの高さから地面に落とした。その男がYさんだった」・・
・・「小さい子どもに関心が向き、保護者が目を離したすきに連れ出してしまう」・・
・・「子どもが泣き出すなどしてどう扱っていいか分からなくなって暴力し逮捕されたこともあった」・・
・・「日中いきなり施設を飛び出すと近くのバス停から路線バスに乗り込み前に座る高齢女性の首を絞めた。ケガは軽くて済んだが殺人未遂罪で逮捕(後に傷害罪で起訴)」・・
・・(支援施設の)キャッチフレーズは「みんなでつくる働く場」「お互いさま」・・
・・「再犯はもうない」と言い切れないがYさんが周囲と折り合って過ごす様子を見守りながら支援者らは「今度こそは」と自信を深めている・・
すべてひとりの触法精神障害者による犯行である。
身の上は切ないとは思うがこの記事の理路には釈然としない。確かに加害者やその支援者には取材している。しかし被害者にはたったのひとことですら言及もしない。被害者の視点が欠けているからだ。
触法精神障害者の累犯を「共生のためのコスト」であると社会全体で広く許容しない限りはどれほど支援施設が頑張っても齟齬はなくならない。なぜならば子どもを歩道橋から投げ捨てられても子どもがさらわれて暴行を受けてもバスの中でいきなり首を絞められて殺されそうになっても被害者にとってはぜんぜん「お互いさま」でもなんでもないからだ。
下手をすれば殺されていたのだ。支援施設はそんな善意の負の側面である犯罪コストをまるっと社会に付け回している。「お互いさま」だといって触法精神障害者を匿うものの犯罪被害者に対してなんの補償もしない。
そして犯罪者は野に放たれる。違法性の意識もないままに。
明日彼らの犯罪コストを背負うのはわたしかもしれないしあなたかもしれない。決して支援施設は背負ってはくれない。