(ブルームバーグ): 昨年2月、植田和男氏が日本銀行の次期総裁の最有力候補に浮上した際、サマーズ元米財務長官はこの70代の経済学者を「日本のバーナンキ」と評した。

サマーズ氏は、二人とも米マサチューセッツ工科大学(MIT)で学び、物腰の柔らかい学者でありながら、「決断力がある 」とも指摘した。

その決断力は19日に示された。植田総裁は2007年以来初めてとなる利上げに踏み切ってマイナス金利の時代を終わらせるとともに、イールドカーブコントロール(長短金利操作、YCC)政策を廃止した。現在72歳の植田氏が昨年4月、日銀の141年の歴史上初の学者出身総裁として指揮を執った当時、これほどまで早く動くとみていた市場関係者は少なかった。

日銀総裁として出席した8回の金融政策決定会合で、植田氏は政策とフォワードガイダンス(先行き指針)の調整を4回行ったが、19日の決定はこれまでで最も重要なものだ。この実績は、日本が長期にわたるデフレから脱却し、伝統的な金融政策に回帰する中で、投資家はさらなる変化に備える必要があることを示唆している。

元日本銀行理事の早川英男東京財団政策研究所主席研究員は、「植田総裁が目指している金融政策の枠組みは、超低金利とフォワードガイダンスの融合という極めて伝統的なものだ」と語った。早川氏と植田氏は40年来の知り合いだ。

バーナンキ氏は米連邦準備制度理事会(FRB)議長に就任して早々、政策金利の引き下げに着手し、2007-08年の金融危機に対応するため大規模な量的金融緩和(QE)に踏み切った。総裁就任から1年も経っていない植田氏は、バーナンキ氏とは正反対の課題に直面している。世界で最も大胆な金融緩和実験から日本を解放させることだ。

2度のYCC柔軟化

ここから植田総裁の仕事ぶりを振り返ってみたい。昨年2月に日銀総裁への指名が報じられた当初から、植田氏の使命は政策の正常化と目されていた。しかし、その第一声は前任の黒田東彦氏が進めた緩和路線の踏襲を約束するもので、エコノミストは金融引き締め予想を後退させた。 

その柔らかな物腰は、「衝撃と畏怖」の政策で市場を驚かせた黒田氏とは異なるが、実際にはハト派的なレトリックの下で着々と政策の修正が進められることになる。総裁として初めて出席した4月会合では、金融緩和への明確なバイアスを取り除くことに成功。当時の消費者物価指数は3%付近で推移し、日銀目標の2%を大きく上回っていた。 

7月会合では長期金利の許容変動幅を拡大し、YCCの運用を柔軟化した。市場にとって予想外の決定だったが、日銀ウオッチャーの3分の2近くは総裁の市場とのコミュニケーションを好意的に受け止めていた。その当時、今年3月までにマイナス金利が解除されると予想していたのは4%にすぎなかった。

10月会合でYCC運用をさらに柔軟化。長期金利の上限を1%のめどとし、1%を超える金利上昇を容認した。続く12月会合で近い将来の利上げの可能性に否定的な見方を示したものの、1月会合では、物価目標が実現する見通しの確度は引き続き少しずつ高まっていると言及した。

植田総裁は今回の会合に向け、春闘における賃上げ動向の重要性を繰り返し指摘してきた。連合が15日発表した第1回回答集計で賃上げ率が予想を大幅に上回る水準となり、利上げを決めた3月会合後の会見で植田氏は、春闘を「判断の大きな材料にさせていただいた」と胸を張った。

課題山積

17年ぶりの利上げが混乱なく実現できた要素として、正副総裁の連携も欠かせない。利上げ観測が後退していた1月会合後の会見で総裁は、マイナス金利を解除しても「大きな不連続性が発生するような政策運営は避けられる」、「極めて緩和的な金融環境が当面続く」と解除後について言及した。

総裁が金融政策の大きな方向性を示した翌2月には、日銀出身で金融政策に精通している内田真一副総裁が、大規模緩和を構成する個別の政策手段について見直す場合のポイントや選択肢などを例示。新たな金融政策の骨格が浮かび上がり、利上げ間近を印象づけた。

もっとも、これまでのコミュニケーションがすべて円滑だったとは言い難い。植田総裁が昨年12月に「年末から来年にかけて一段とチャレンジングな状況になる」と国会で答弁し、市場にマイナス金利の年内解除の思惑が急速に広がったことは記憶に新しい。今後の利上げ局面では、今回は支持した政治や産業界などから反発が出ることも予想される。一段と丁寧なコミュニケーションが求められる。

マイナス金利の解除を受け、焦点は次の利上げ時期や、前任者が積み上げた大量の資産をどう対処するのかに急速に移っている。

みずほリサーチ&テクノロジーズの宮嵜浩主席エコノミストは、「植田総裁は、テーパータントラム(市場の混乱)のような事態を発生させることもなく、これまでのところバーナンキ氏よりも上手くやっている」と指摘。「まだ何も終わった訳ではない。今後も課題は山積している」と語った。

原題:How Bank of Japan’s Ueda Dismantled World’s Last Negative Rate(抜粋)

(第12、13段落に情報を追加して更新しました。更新前の記事は第11段落の4月会合を3月会合に訂正済みです)

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