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紫式部が書いた「源氏物語」の八帖「花宴」の舞台は、さくらの記述から寛弘2年(1005年)か?(饒村曜) - エキスパート

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  • 国内航空会社 気象予報士

    古気候学において中世の温暖期と呼ばれる時期はちょうど日本の平安時代と重なります。太陽活動が高まっていたと考えられる時代で、人類の歴史とも深いかかわりをもっています。
    欧州においてはグリーンランドへの入植や、その他農業生産力の向上による社会全体としての力の向上が顕著で、十字軍の派遣といった状況を生み出しました。日本においても当時は温暖な環境で、西日本では旱魃が頻発していたという報告もありますが全般に農業生産力は向上していたと考えられ、その余裕が平安文化を花開かせたと考えるのが自然です。

    古気候の再現には主に炭素やベリリウムの同位体を調べ、そこから太陽活動がどの程度活発であったかを推定する方法もあり、実際に太陽の研究者においても10-13世紀を中心として中世の極大期と呼ばれる時期があったことがすでに明らかになっています。
    その他人類の残した様々な形での記録が、こんにちにおける古気候の推定に役立っているということになり、一見大した意味がないように思われる桜の開花やウグイスの初鳴きなど、いわゆる生物季節観測には実は歴史的な意味が大きく残されているということがもっと注目されるべきでしょう。最近は気象庁も人員や予算の不足からこうした観測を削減する方向にありとても残念ですが、こうした記録が別の形(写真を撮ってSNSにアップするような)でも残れば、未来の人類にとってこの上ない資料になると思われます。


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