2024/2/24

博物館からクラフトビールまで。老舗かまぼこ店の挑戦

ライター
神奈川県・小田原の老舗かまぼこ店・鈴廣かまぼこ(以下、鈴廣)。かまぼこの製造販売のみならず、かまぼこのテーマパークを展開するなど、その多角的な戦略が注目を集めています。日本人にとってなじみ深い伝統食かまぼこですが、業界全体の業績は低迷。そんななか数々のチャレンジに挑み、かまぼこを未来につなげていこうとする鈴廣の強みはどこにあるのでしょうか。老舗に宿る時代を読む力、自然災害やコロナ禍という危機への対応、新しい時代に向けた戦略などをじっくりと伺っていきます。(第1回/全3回)
INDEX
  • 江戸時代から続く老舗の歴史
  • 数字を読めてITを使える幹部を80年代から育成
  • かまぼこの未来の消費者をつくる

江戸時代から続く老舗の歴史

江戸時代末期1865年を創業年とする鈴廣。小田原の網元の魚商から、副業としてかまぼこを製造販売したのが始まりです。現在、鈴廣を統括する鈴廣かまぼこで代表を務める鈴木博晶さんは10代目となります。
昭和20年代、まだ小田原港近くに店があった頃の本店(写真提供/鈴廣かまぼこ)
1987年、32歳で父を亡くした博晶さんは、後を継いで社長となった母をサポートしながら、早くから実質的に社長業務を担ってきました。そんな博晶さんが正式に社長に就任したのは1996年。小田原の人気観光名所「鈴廣 かまぼこ博物館」オープンの年でした。
かまぼこ博物館は、かまぼこやちくわの手づくり体験教室をはじめ、かまぼこの歴史、栄養などを楽しみながら学べる場所。職人のかまぼこづくりも見学でき、家族連れを中心に人気を呼んでいます。
かまぼこについて知識を深めたり、体験が楽しめたりする「鈴廣 かまぼこ博物館」(写真提供/かまぼこの里)
さらに、博晶さんは次々と新しい試みを実現していきます。1997年には箱根の名水を使ったクラフトビール「箱根ビール」を開発、2007年には本社の周辺にかまぼこのテーマパーク「鈴廣かまぼこの里」をオープン。かまぼこづくり体験ができる「かまぼこ博物館」、自社で醸造したクラフトビール、かまぼこやそのほかの小田原名産品が買える「鈴なり市場」、レストランなどが集まります。休日はもちろん、平日でも観光客で大きなにぎわいを見せています。
平日でも大勢の観光客が買い物を楽しむ土産物店「鈴なり広場」
かまぼこをキーワードに多角的な戦略を次々と仕掛けてきた博晶さん。そのベースとなるのは、創業時から引き継がれる企業マインドです。
博晶「160年近くかまぼこづくりをしていますが、ずっと同じことを綿々とやってきたわけではありません。会社の歴史を振り返ると、50年刻みで時代に合わせて新たな創業をしてきたと考えたほうがしっくりきます」
そこで鈴廣では、創業から50年ごとに区切って、自社の歴史を定義。第1創業期の最初の50年はかまぼこづくりの確立期。次の50年は第2創業期として、新しい原材料に転換し、基本的な製造技術を確立、市場を拡大してきました。
100〜150年目あたりを第3創業期として、その中心を担ってきたのが博晶さんです。機械化、卸から小売りへの転換を経て、現在に続くビジネスモデルが完成しました。そして現在は2019年に制定したミッションステートメント「お魚たんぱくで世界を健やかに」を中心とする第4創業期に突入しています。

数字を読めてITを使える幹部を80年代から育成

博晶さんが鈴廣の経営にコミットするようになった1980年代。バブル前夜の日本は、高度成長期の名残で売り上げが黙っていても上がるものでした。しかし、そんな時代の空気とは裏腹に、博晶さんは常に先を見据えて淡々とやるべきことに注力してきたといいます。
博晶「長期的な視点で経営を考えるというのは、当時からすごく意識していたことです。そう考えたときに、絶対に必要だと思ったのが社員の知識や能力を高めること。社員、特に幹部のレベルアップはかなり意識的にやってきましたね」
経営者として常に長期的視点を大切にしてきたという社長の博晶さん
40年前、ほとんどの中小企業がそうだったように、鈴廣で財務指標が読める社員はごく一部だけでした。博晶さんは「数字が読めなければ予算も立てられない」と、幹部社員向けに財務指標の研修を実施。そのほかにも企業経営を理解するためのさまざまな研修を行い、人材育成に力を入れます。
同時に、当時普及しだしたパーソナルコンピューターを導入し、今でいうIT化にもいち早く取り組みます。
博晶「私は大学で経営工学を専攻していたので、これからの時代はコンピューターだと強く感じていたんです。Windows98の中古を10台ほど買い集めて幹部社員に支給し、表計算ソフトやワープロソフトを使う環境をつくりました。
その頃、社員にPCを使わせている中小企業なんてありませんでしたからね。おかげでITリテラシーが相当高い会社に成長しています」
30代の博晶さんは自ら工場見学セミナーで解説
なぜ、時代に先駆けてそのような打ち手を次々と講じることができたのでしょうか。今の鈴廣の基礎となっているのは博晶さんの両親の功績だといいます。
博晶「そもそも魚商からかまぼこ屋を創業したのも大きな挑戦だったはずですが、近年では60年前、両親が小田原港近くからここ風祭に拠点を移したことが最大のターニングポイントとなりました」
1962年、鈴廣は「これからはモータリゼーションの時代だ」と、国道1号のロードサイドに移転。ドライブイン形式で観光バスが乗り付けられるようにして、土産物屋やレストランを展開したのが、かまぼこの里の前身です。
鈴廣蒲鉾本店。1962年に現在の小田原市風祭に拠点を移した(写真提供/鈴廣かまぼこ)
かまぼこ博物館ではかまぼこの製造工程が見学できますが、それも博晶さんの両親の時代のアイデア。当時では珍しい、工場を見せる仕掛けにしてエンターテインメントの要素を組み込みました。
時代の先を見て、常に新しいことにチャレンジする。鈴廣にはそんな企業カルチャーのDNAが脈々と受け継がれているのです。

かまぼこの未来の消費者をつくる

一方で、時代の変化への危機感も、以前から強く意識してきました。
博晶「私が経営に参画するようになった頃、すでにかまぼこは日常の食卓から姿を消しつつありました。特に若い人たちのかまぼこ離れは明らかでした。このまま手をこまねいていては、かまぼこに未来はない。未来の消費者をつくる動きを今すぐしないとダメだ、と考えたんです」
それが、かまぼこのテーマパークとしての「鈴廣かまぼこの里」オープンにもつながっていきます。
博晶「例えば、かまぼこ博物館の人気プログラムに、かまぼこの手づくり体験があります。このプログラムには、自分の手でかまぼこを作る体験をしてもらうことが、かまぼこを身近に感じるきっかけにしてほしいという思いを込めています。今はお休みしていますが、かまぼこの板に絵を描くコンテストなども同じ発想です」
かまぼこの手づくり体験は鈴廣の人気プログラム。子どもから大人まで楽しめる(写真提供/鈴廣かまぼこ)
いかにかまぼこを生活の中に自然と入り込んだ身近な存在にできるか。スーパーで並ぶ商品を手に取るだけでなく、さまざまな体験を提供することが未来の消費者を生むと博晶さんは考えたのです。
まさに今のトレンドである「モノ」から「コト」への転換ですが、鈴廣ではそれを90年代から行っていたことに驚かされます。
博晶「かまぼこを身近な存在にしていく仕掛けにホームランはありません。バントでもいいから小さなヒットを積み重ねていくしかないんです」
老舗という看板に安住することなく、先の変化を見据えて先手を打つ──。貪欲に挑戦する企業姿勢が、今に伝統を伝え続けることにつながっています。しかし、そんな鈴廣にも、これまで厳しい局面は何度もありました。それらの困難にどう立ち向かってきたのか。令和の新しい鈴廣に向け、長男の智博さんとともに親子二人三脚のチャレンジがスタートしています。
鈴なり市場では、鈴廣自慢のかまぼこを食べ比べできる「かまぼこバー」も。これもかまぼこを身近に感じてもらう戦略の一環だ