なぜ日本テレビは「セクシー田中さん」を改変したのか元テレ東社員が指摘「テレビの腐敗」という根本問題
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記事タイトルがとても惜しい。「腐敗」という単語からイメージする短絡的な批判ではなく、経営面から制作現場まで、全てのレイヤーで何が起こっているのか、どこに問題の陥穽があるのか解説した、この事件に関して今のところ最も優れた分析。
・テレビ局の収益化偏重 + ドラマという映像コンテンツのドル箱化 -> ドラマ多産化現象
・ドラマ多産化 + 限られるリソース(ヒト・カネ・時間) -> 制作現場へのしわ寄せ
その中で原作者と制作側の「コミュニケーションの断絶」が起こった可能性を指摘し、あり得る要因として時間と余裕の不足、「脚本家と(チーフ)プロデューサーの三上絵里子氏とのタッグが初めてだった」点を挙げている。記事には書かれていないが、この二人の間にいたプロデューサーもゴールデンプライム帯は初めての若手。
・ドラマ多産化 + テレビ局にとって原作モノは「安心」-> マンガ原作の需要増加
この点についても、次の指摘は一見ごく当たり前に見えるが、かつてドラマ制作の現場にいた人間が述べる言葉としてとても本質的な警鐘だと思う。
「マンガは作者の頭の中を可視化したものだと考えている。一度「クリエイティビティ」をビジュアル化したものを、再度、映像化するときには、もっと慎重になるべきではないだろうか」
にも拘わらず企画の現場が以下のような状態であるという「安易な原作依存」がこの記事で筆者が批判する「テレビの腐敗」です。
「いま、テレビ局のドラマ・プロデューサーの机の周りには、マンガ原作のコミックが山積みになっている。そこには、小説のような活字だけの原作はない。その状況を嘆かわしいと思うのは私だけだろうか」良記事。
あと、佐藤秀峰先生のnoteも紹介します。当事者の言葉は説得力がありますね。
https://note.com/shuho_sato/n/n37e9d6d4d8d9?sub_rt=share_b&d=scYfbA5zSV昨秋、セクシー田中を原作マンガで読んで、人が変化する機微を感じられて非常に好感を持った。しかし、原作が未完のままというのはただただ悲しい。
木南晴夏の田中さんは、SNSの広告見て、「元から美人じゃん」と思ったくらいで、ドラマは見ていない。たぶん見ない。