【異色】東大2桁の名門で、インド出身校長が目論む「超変革」
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注目のコメント
よぎ氏、立憲民主党から挑戦した都議選で落選された後は、こういうキャリアに進んでおられたんですね。
「なぜなら、日本で求められるのは、結局「言うことを聞いてくれる」「決められたことをルール通りにやる」人材だからです。」
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これはまさにそうで、これをしない「グローバルに活躍できる人材」というのは、もはや日本人扱いされません。
インドに限らず、国連だろうがロンドンだろうが、世界中から人間が集まる場というのは、タクシーに1回乗るだけでも怒鳴り合いの値段交渉をしなければならず、職場では上司に対していちいち予算や給料の交渉を仕掛けてきます。
そういうのが耐えられないので、だいたいの日本人は外国の組織に長くはいないで日本に帰ってきます。
子どもが将来の野望を持つ、などもタクシーの値段交渉と同じで、とりあえずデカいことを言ってみるのです。
都庁から新宿駅西口まで1万円だ、と提示したタクシー運転手は、怒鳴り合いの交渉をしたうえで、うまくやれば5000円くらいはボッタくれる、という発想です。
実際、こういうデカいこと言うところから何事も始める、という人間の方が世界には多いですし、インド人などはその結果としてごくごく一部が、米国の大企業のCEOくらいにはなれてしまいます。
グローバルに通用する人材、というのは、少なくともインド人が考えるのはそういう人材でしょう。世界の人口の割合からいえば、たしかにそういう人材の方が世界では多数派です。
日本人がそういうふうに変わっていくべきか、というのは、考えどころです。たぶん、生存のためにはそういうふうになった方がいい気はしますが、過去の日本社会は跡形もなくなるでしょう。
日本社会のこれまでのあり方というのが外国人から見れば障壁に他ならないので、外国人にとっての障壁も無くなって、どんどん参入してくるでしょう。
多かれ少なかれ避けられないことなのですが、どれだけ意識的に社会改造を進めるか、です。
日本社会の方が何もしなければ、SAPIX経由で東大に入る中国人とかインド人とかが主導して変えていきます。1月上旬にNewsPicksでお届けした「才能の伸ばし方」特集の取材過程では、「どこか面白いことをやってる学校はないのか」とネットや出版物などでエッジの効いた学校や教育者を探す作業に時間をかけたのですが、その中で見つかったのが、今回取り上げるプラニク・ヨゲンドラさんです。
去年の東大合格者が15人と、茨城1,2を争う名門の校長が導入を図る「ハイスクールMBA」という言葉に引き寄せられるように、土浦まで行ってきました。
ハイスクールMBAがなんぞや、インドや日本との違いが何なのかは本編に譲るとして、余談ですが、これほどの名門となると、OB会や歴代校長などの「抵抗勢力」も非常に多いそうです。今回の取材と関係ないので本文には入れていませんが、旧校舎の保存・活用法を巡ってすら、ひと悶着あったとのこと。
政治や経済に限らず、一気に大変革する時は一定層邪魔する人がいるのでしょうが、現在のトップに思い切って任せられないものかと感じざるを得ませんでした。学問すること、学ぶことの楽しさや好奇心は何処へ・・・。これだと職業訓練校と何も変わらない。
とかく、中高生教育の文脈で、社会に出て必要となる能力を早く教え込み、早く気づかせる。という議論が溢れているが、「今しかできないことを、夢中になってやる」という経験に勝るものはないのではないだろうか。
受験のための試験対策は論外としても、社会に出て即戦力になるための自己理解やノウハウ伝授がそのカウンターソリューションというのは、なにか本質を捉え損ねているように思う。
スキルは陳腐化する、自己は変わる(特に中高生なんかは)。知らないことを知り続ける・学び続けることの喜びと、豊かさを探し求めることへの探求心の方が、この先長い人生で役に立つように思えてならない。
それだけ、中高生への教育というテーマは奥深いけれど。この特集を通じていろいろ考えさせられます。