『週刊文春』完売、松本人志の記事掲載号 編集長「“スクープの力”は実に大きい」【コメント全文】
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スキャンダルで稼ぐなんて…という声も多いけれど、もし今回の件が事実だとしたら、そういう悪しき慣習に一石を投じるためにも、報道が必要だったと言えるのでは? ジャニーズの件も最初に報じたのは文春さんでしたよね。
そして、どうでもいいスキャンダルと見過ごしてはならない悪しき慣習の差を判断するのは、それは報道側ではなくて司法なのだと思う。(報道側が勝手に取捨選択するのも問題なのでは? 程度に寄るところもありますが)
文春さんは、政治スキャンダルも積極的に取材して報じていて、報道機関としての役割を果たしているように感じます。でも、実際に売れるのは、タレントスキャンダルなのだろうな。そして、そこで収益をとって、さまざまな取材に投資する(お金がなきゃ取材はできない)。
そういう意味では、スキャンダル報道にうっかりお金を払ってしまう野次馬精神が、正しい報道を保つことに寄与しているとも言えなくはないかも?なんて思います。
取材費を少数のスポンサーに頼り切ってしまうと、公正な立場は保てないし、それならまだ、スキャンダル好きのミーハー一般市民大勢に頼ったほうが健全なのかもしれないです…
注目のコメント
紙の雑誌の冬の時代、完売はすごいことです。新谷編集長が着任した直後の2012年6月に2号連続で完売号が出だことを思い出します。「小沢一郎『妻からの離縁状』」(2012年6月21日号)と翌週の「巨人原辰徳監督が元暴力団員に1億円払っていた!」(同6月28日号)でした。ただ、スクープを放つ側は、そのネタが大きいほどリスクを抱えます。裁判はもちろん、名誉毀損や人権侵害のリスクもあります。ただ、暴くことができなくなったらジャーナリズムは終わりです。個別の記事の論評は控えますが、その闘う姿勢にはエールを送ります。
お金を払う人の気持ちが本当に理解できないけれど、これだけ有名人の失敗を望んでいる人がいるという事実は受け入れなければならない。
ギロチンや魔女狩りが庶民のエンターテイメントだった頃から人々は何も進化していないのもまた事実。報道が正しかった前提ではあるのですが、ジャーナリズムがカネになるのは健全ではあると思います。
コメント欄には文春に否定的なコメントが多くて、プラットフォームによってコメントに色があるなと思います。文春が売れるのは人の醜いけれども本質的な欲なので人間らしいとも言えます。