ミッション作りは労力の無駄 「戦略の大家」がすべきことを直伝
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経営戦略論の大家リチャード・ルメルトの著作『戦略の要諦』からの抜粋が公開されています。
なぜ戦略を考える必要があるのか、一体戦略とは何かを理解する上でルメルトを超えて重要さを伝えてくれる著作も少ないように思います。
ルメルトは、戦略のカーネルを構成することの重要性を前著『良い戦略 悪い戦略』で書いていますが、この本、本当に戦略とは一体何なのかを考える上でよく分かる名著でした。
同書にも出てきますが、結局、戦略がちゃんと考えられていないことをごまかすために、様々な施策が出てきているにすぎない、というのはもっともな指摘であると思いますし、記事からすると、新著の『戦略の要諦』でもそのようなことが述べられているようです(私は書籍については現段階では未読です)。
私もこの記事での指摘はもっともだと思いますし、戦略を考える質を向上させることこそ、変革にとって重要なピースであることに全く異論はありません。
一方で、問題は、戦略が考えられるようにはどうすればよいのか、ということについては、彼の議論では狭い範囲で考え方を示しているにすぎないという課題もあります。(もちろん、これは彼の議論の価値を一切減じるものではありません。)
戦略が考えられるような経営チームを作ること、あるいは、その必要性が認知されるようになること、など、戦略的意思決定以前には様々な適応課題があり、それを乗り越える事を阻む組織の慢性疾患的状況があると私は考えます。
とはいえ、その目指すところはルメルトの指摘するところにあると言えます。企業はGOAL(や目的)を設定して、それに向かって動いていく。そして、その為のルートや手段を比較選択していく。
そのGOAL(や目的)が社会的に意義を為す必要があるのは、企業自身の存在意義への問いそのものであり(意義があるから儲けが発生する)、言葉にせずともいつの時代も不変な、至極当然のことではないでしょうか。
そう考えると、私が常日頃からコメントしているように、パーパスはフワフワしていて具体性に欠け、逆に何を目指すのか(すべきなのか)が分からない。パーパスだけでなくミッションやビジョンも同様です。これを組織に浸透させる=従業員に押しつけてもなと思います。
ミッション、ビジョン、パーパスといったものは、自分たちが未来に向けて取り組む行動が「ズレてないよね」とふと立ち戻るべき軸、チェックするするための軸くらいの意義だと考えており、それを「モットーで十分」と言われると、「それな~」と頷く自分がここにいます。こういう「そもそもを疑う」視点も知っておくのは大事
その上で自分で選んでミッションをつくっても、つくらなくても良いと思っています
一番避けたいのは、誰かの押し付けでつくるミッションかな