2023/12/20

あえて成果は求めない。あの老舗メーカーが「自由研究」に取り組むワケ

NewsPicks Brand Design シニアエディター
 人的資本経営の波が広がり、多くの企業が人財価値の向上に取り組んでいる。
 グローバル素材メーカーAGCが展開するのは、組織横断で社員の連携を生み出す施策だ。
 ものづくり企業は伝統的に技術ごとの縦割り組織が作られやすい。
 社員は所属部門で専門性を磨く一方、組織を超えた連携は進まず、イノベーション創出の条件とされる「知の融合」が生まれにくい状態が続いていた。
 AGCが2011年より始めた社内活動「CNA(Cross-divisional Network Activity)」は、そんな組織のサイロ化を打破するための施策だ。
 専門スキルやテーマに基づくコミュニティに、さまざまな部門からメンバーが参加する。
 各コミュニティでは勉強会や工場見学など多様なイベントが開かれ、参加メンバーは自部門では得られない学びや人脈を獲得する。
 両利きの経営の「知の探索」に類する活動だが、会社はコミュニティに対し事業に結びつく成果創出を求めないことがCNAの大きな特徴だ。
 それではこの活動を推進することにどんな意味があるのか。
 AGCの人事戦略統括担当部長・井原有紀氏と、長年ものづくり企業の経営を研究する早稲田大学大学院の藤本隆宏教授との対談から読み解く。

「大きなSDG」の攻略には「横」の連携が不可欠

──AGCは多くの企業に先駆けて「両利きの経営」や「人的資本経営」に取り組んでいます。それゆえ成熟した会社という印象もありますが、外から見えないだけで組織内ではさまざまな課題を抱えていたのでしょうか。
井原 もちろんです。当社はガラスや化学品事業に強みを持つ素材の会社です。
 110年以上続く老舗メーカーとして技術を磨き上げてきた自負はありますし、常に新規事業の探索にも積極的に取り組んできました。
 ただ、技術を掘り下げる文化はしっかり根付いていますが、部門間の垣根が高く、横のつながりを生み出すことが苦手な会社です。
 この点には長らく課題意識を抱いてきました。
AGC株式会社 人事部・人事戦略統括担当部長。関西学院大学卒業後、1991年ソニー株式会社入社、グローバルマーケティング部門人事、海外報酬などを経験後、アメリカ、ヨーロッパ赴任。2013年アマゾンジャパンにてHRBP、人材育成、採用、ダイバーシティなどを担当。2015年ノバルティスファーマにてオンコロジー人事部長として組織開発、人材育成に携わる。2022年3月より現職にてコーポレートガバナンス、経営人財育成、組織開発、ダイバーシティ推進等を担当。
──横のつながりが生まれないことによる弊害とは。
井原 部門内に情報や知識が閉じることで、社員の考え方が画一化してしまうことです。
 それによって多様な意見が生まれづらく、発想も限定的になりがちです。
 さらに、本来なら部門を横断して効率的に進められる仕事を別々に行うことで、組織全体の生産性が下がってしまうことも問題でした。
藤本 その悩みは非常に納得できるものです。大前提として、技術の深掘りは言うまでもなく重要です。
 ただ、固有技術を掘り下げるだけではグローバル競争で勝てない時代になってきたことも事実でしょう。
 私はよく、これからは「サステナブル=S」「デジタル=D」「グローバル=G」という「大きなSDG」を考える時代だと話しています。
 これは個別に対処するものではなく、 3つを連関させて最適解を導き出すことが我々には求められます。
 それらの連立方程式を解く難易度は高く、単一の技術や事業だけで立ち向かうのは難しい。
 むしろ、人材や技術、事業を融合し、個々の強みを掛け合わせることで革新的なアイデアを生み出すことが求められます。
 AGCは元々、ガラスと化学品という競争力の高い事業の柱があり、それぞれの分野でイノベーションを生み出してきました。
 しかしながら、現代の競争環境でもう一段階突き抜けるためには、さらに強力な横の連携が不可欠でしょう。
1979年東京大学経済学部卒。三菱総合研究所、ハーバード大学博士課程を経て、1990年~2021年東京大学経済学部助教授・教授・ものづくり経営研究センター長。専門は技術・生産管理、進化経済学。日経・経済図書文化賞、組織学会高宮賞、新郷賞、日本学士院賞・恩賜賞、日本建築学会著作賞等。主な著書に『製品開発力』『生産システムの進化論』『生産マネジメント入門』『日本のもの造り哲学』『能力構築競争』『現場から見上げる企業戦略論』。
井原 まさにそう思います。その横のつながりが少ないことへの課題意識から始まったのが「CNA」と呼ばれる社内活動です。
 共通のスキルを持つ技術者同士が部門の垣根を超えて集まり、勉強会やワークショップ等の活動を行っています。
 現在はスキル別に41のチームが活動しています。さらに「データサイエンス」「中国ビジネス」といった新しいテーマを軸に参加者が集う「JUKU(塾)」というコミュニティも6つあります。
 なお、「データサイエンス」は大変多くの参加者を集め、活動も定着したため、「JUKU」から「スキル」に生まれ変わりました。
──具体的には、どんな活動をしているのでしょうか。
井原 勉強会、工場見学、討論会。活動内容は多岐にわたりますが、いずれも各コミュニティが主体的に活動内容を決めています。
 あるコミュニティは、ガラス造形作家を招いてガラスの作品をつくるワークショップを開催していました。CNAの活動費用は会社が負担しています。
若手のアイデアでガラスのバレーボールを制作したコミュニティ(写真提供:AGC株式会社)
 JUKUの活動も盛り上がりを見せています。
 「左脳だけで論理的に考えても、モノは売れない」と考えた当社の技術者が、右脳を鍛えて創造性を高めることを目的に立ち上げた「UNOU(右脳)塾」というユニークなチームもあります。
 彼らを見ていると、こういう活動は日常業務からは生まれないなと感じます。
藤本 面白いですねえ。こういう活動はまず遊び心が大事でしょう。ところで、CNAから新たな製品や事業アイデアが生まれたことはあるのでしょうか。
井原 実は、会社として「CNAでは成果を求めない」と明言しています。
 CNAでは社員の主体性に任せて、自由に活動してもらうことが何より大切です。
 それもあって、細かく進捗を聞いたり、事業と結びつけるよう働きかけたりすることは原則していません。
──会社が活動費用を負担しているのに、事業と結びつけなくてもよいのでしょうか。
井原 その質問にお答えするために、CNA発足の経緯を少しお話しさせてください。
 CNAの歴史は、2011年に遡ります。当時、部門や国を超えた協業体制を作るべく、メンバーが保有するスキルをカテゴリー別に見える化する「スキルマップ」を制作しました。
 そのスキルマップをもとに、部門を横断しスキルごとに社員が交流する活動としてCNAが発足しました。
 発足当初は、スキルを媒介にした部門横断の人脈づくりに大いに役立ったのですが、通常業務では得られないさまざまな経験ができる場になったからこそ、当時の経営陣から「ここから新しい何かが生まれるのではないか」と期待される存在になり、いつの間にか、新たな技術や売上増加などの成果創出が求められるようになっていきました。
 でも、人って「成果を出せ」と言われるほど、やる気がなくなるものですよね(笑)。
 成果を求められるプレッシャーがメンバーにとって心理的負担となり、「やらされ感がある」「もっと自由に探究したい」と、当時の社長の島村(琢哉氏)に直談判する社員も出てきました。
 社員のモチベーションが下がるくらいなら、成果は求めない方が良い。
 そう考えた経営側は軌道修正し、2015年に現在の自由で自発的な活動に生まれ変わったのです。いわば、CNA2.0とでも言いましょうか。
 今では社員同士の交流を増やし、主体性を重視する企業カルチャーを育む取り組みとしてCNAを位置付けています。

理論と現場の境界が溶けると組織は強くなる

藤本 確かに「自由にどうぞ」というスタンスの方が、意外性の高い横のつながりが生まれやすいでしょうね。
 元来、AGCの強さの源泉は技術を掘り下げる力、いわば縦の深さにあったと思います。
 しかし、これからの時代は、専門知識の深さと知識連携の幅の同時追求の必要性が増すでしょう。
 たとえば、日本の自動車企業は、多様な部品をまとめて一つの統合的な車を作り上げるために、部門や会社を横断した強力な横串、つまり開発プロジェクト組織を作ってきました。
 他方、個々の専門部署が技術を深く追求できなければ、今の急速な技術変化についていけない。結局どちらが大事という話ではなく、両立する必要があるのです。
井原 当社のようなものづくりの会社がさらなる高みを目指すには、技術職だけではなく技能職のメンバーも巻き込んで、人や知の交流をしていかなければ、と考えています。
藤本 CNAのお話に関連すると思いますが、一般に企業によるイノベーションには、ニーズ・プル型と技術プッシュ型とがあると言われます。
 ニーズ・プル型では、切実な社会的課題や市場ニーズが起点となり、その問題解決により企業が新製品を生み出します。
 これに対し、技術プッシュ型では、まず企業が偶然も含め何らかの形で新しい技術知識を獲得し、後から問題発見的にその用途開発を行います。
 イノベーションの歴史を見れば、この両方のタイプがありましたが、ニーズ・プル型は、解くべき問題が明確なので成功率は高いものの、多くの企業が競って同じ問題解決に向かうので、独占的な利益は得にくい。
 いわば、打率は高いが単打が多い。
 これに対し、技術プッシュ型は、いっけん有望な新技術も、結局大きな用途が発見できず不発のことも多いのですが、大きな需要を開拓できれば、追随者がいないので大きな事業創造につながります。
 打率は低いが当たればホームラン、ということです。
 この点から見ると、CNAは、どちらかと言えば技術プッシュ型と相性が良さそうです。
 短期的な打率アップは気にせず、むしろ自由闊達な知識共有により大きな技術構想を創造する。儲かるイノベーションは後から考えればよい、というお考えと推察します。
 ところで、AGCは現場重視の企業文化も根付いていると思います。現場にはQCサークルとか継続的改善活動がありますよね?
井原 あります。
Nitat Termmee / GettyImages
藤本 そうであるならば、CNAによる知識共有のネットワークの輪を、研究者や技術者だけでなく、現場の技能者の改善活動ネットワークにも広げることが効果的かもしれません。
 なぜなら、改善マインドの高い生産現場の人々は、継続改善の過程において、生産性向上や品質向上のための因果仮説の発見と検証という科学的思考を繰り返しており、その思考法はまさに「現場サイエンティスト」です。
 彼らがCNAとつながることにより、共有知の幅や深さが増すものと想像できます。
 つまり、生産現場の課題を持ち込む場としてもCNAを活用できないか。先ほど話に挙がった「データサイエンス」のコミュニティなんて打ってつけですよ。
 これからの生産現場は、現場を深く知るデータサイエンティストと、データ活用の知識を持つ現場サイエンティストが仲良く連携して、改善サイクルやPDCAを2倍速以上で回していくことが必要です。
 逆に、これを考えない「DXのためのDX」はたいてい失敗しています。技術者と現場が融合したCNAはとても有望と思われます。
井原 確かにそうですね。これまで以上に組織内で有機的なやり取りを生み出すためには何が必要かを考えながら、CNAを発展させていければと思いました。
 経営陣からも言われているんです、CNA3.0を目指しなさいって。
 現在のCNAは、ガラス等の素材研究など本業に関係するテーマが多いのですが、もっと自由な探究の場にしていい。
 たとえば、「リーダーシップ」というテーマはスキルを超えた共通の関心事ですし、あるいは、「宇宙」という壮大なテーマを掲げて取り組めば、普段の業務からは出てこない頭の使い方ができたり、より多様な越境が生まれたりするのではと考えています。
 また、今は中堅世代がCNAのリーダーになっているケースが多いのですが、若い世代のアイデアや考え方から刺激を受けるような取り組みも増やしていきたいですね。
 「全力でバックアップするから皆さんには好奇心の赴くままに探究し続けてほしい」。経営陣からのこのメッセージは、ブレずに伝え続けたいと思います。