2023/11/22

野心的な新規事業。宇宙ビジネスの勝ち筋

NewsPicks Brand Design シニアエディター
 社会インフラの基盤となる産業用ポンプの製造を100年以上に亘って手がけている荏原製作所。
 歴史とともに磨き上げたその技術が壮大な世界でいま活かされようとしている。
 民間企業による「宇宙輸送」に大きなビジネスチャンスが広がる中、荏原製作所はロケットの心臓部とも言われるエンジンに推進剤を送るポンプ、それも世界でほとんど実用化されていないという電動ポンプの開発を開始。
 インターステラテクノロジズ株式会社をはじめ他社との協業も進んでいる。
 宇宙事業が立ち上げられたきっかけは、社内公募制による新規事業アイデアコンペティション「E-Start2020」。
 応募があった120件もの提案から勝ち抜き、経営陣を動かしたのは、のちの航空宇宙技術グループのリーダーとなる藤枝英樹氏だ。
 藤枝氏はこの野心的な新規事業にどのような勝ち筋を見出しているのか。
 競争戦略を専門とする一橋大学大学院教授・楠木建氏が藤枝氏に対談を通じて指南する。

新規参入企業が勝つためには

楠木 藤枝さんが率いる航空宇宙技術グループが立ち上げれらたきっかけは、社内の新規事業コンペだそうですね。
藤枝 はい。実は私の当初の提案は、ポンプ単体の開発ではなく、「荏原でロケットを作ろう!」という大がかりなものでした。ただ、リスクの高さから経営陣の中でも評価が割れまして。
 そのため、すぐさま事業化を認められたわけではなく、まずは技術面やビジネス面でどれほど成功する可能性があるのか再調査することを求められました。
楠木 それでも最終的には認められた。
藤枝 ロケットの開発ではありませんが。私たちはいま、液体燃料ロケット向けのポンプの開発を手がけています。
 ロケットの燃料をエンジンの燃焼室という釣り鐘状のノズルの中に押し込んで燃焼させるためには、非常に高い圧力が必要です。
 その高い圧力を生み出すためにポンプが欠かせません。
ロケットエンジン用のポンプのイメージ(出典:荏原製作所)
 ロケット用のポンプは1分間に数万回転という超高速で回転します。
 産業用に使われている高圧ポンプの多くは、1分間に3000~7000回転程度ですから、それが一気に10倍以上にもなるわけです。
 これだけ高速回転すると、回転体がガタガタ振動してポンプが壊れてしまうこともある。
 そういった振動を抑える設計にすることが非常に難しく、エンジン用ポンプはロケット部品の中でも開発難易度が非常に高いと言われています。
 それに対し、荏原製作所は100年以上にわたるポンプ技術の蓄積があり、ロケットエンジンのポンプの開発に求められるコア技術も一部持っている。
 そういったアドバンテージを踏まえて、コンペの半年後に経営陣の前でもう一度プレゼンしたところ、「そこまで言うならやってみろ」ということになりました。
 それで2021年8月に現在の「水素関連事業プロジェクト」という社長直轄のコーポレートプロジェクトが発足し、その組織下においてロケットエンジン用ポンプの開発がスタートしたのです。
2006年、荏原製作所入社。入社後3年間は精密・電子事業カンパニーで半導体製造装置の開発に従事し、2009年より旧風水力機械カンパニー(現インフラカンパニー)のカスタムポンプ事業部で高圧ポンプや周辺装置の設計に従事。途中、中東バーレーン国に赴任し、製品出荷後アフターサービス等を担当。2021年8月より航空宇宙技術グループでロケットエンジン用ポンプの開発に取り組む。
楠木 元々はポンプだけでなく、ロケットそのものを造ることを提案したとおっしゃいましたね。その動機は技術者としての関心でしょうか。それとも収益の大きさを考えてのことですか?
藤枝 後者が近いです。民間人が積極的に宇宙へ旅立つようになった時、水を飲みたい、シャワーを浴びたい、美味しいものを食べたい、といった地球で当たり前のように享受してきたことが宇宙空間でも必ず求められるようになります。
 それに伴い、水や燃料を運ぶニーズが格段に増えていく。宇宙空間への輸送業はいずれ非常に儲かるビジネスになるだろうという見立てがありました。
楠木 なるほど。もう少しこのビジネスの前提を理解しておきたいので、いくつか聞かせてください。この事業が本格化した際の売上規模はどれくらいを想定していますか。
藤枝 ある仮定のもとに試算すると、小型ロケットエンジン用ポンプだけで数百億円という市場があり、その中でシェアの20パーセント以上を取れたらと考えています。
 海外では米国がかなり先行していて、イーロン・マスクのスペースXにポンプを納めている大手企業があります。
楠木 その企業は競合になり得ますよね。将来の顧客が競合ではなく御社のポンプを選ぶようになるとしたら、その理由は何だと考えられますか?
1964年生まれ、東京都出身。専門は競争戦略。企業が競争優位を構築する論理について研究している。一橋大学商学部専任講師、同大学同学部助教授、一橋ビジネススクール教授を経て、2023年より現職。
藤枝 ポンプの中には羽根車という扇風機のような部品がありますが、私たちはその翼の形状や羽根車の前後にある固定流路の設計手法に強みを持っています。
 エネルギー効率が高く、消費する燃料を少なくできるのです。
 ロケットに搭載する燃料が少なくなれば、そのぶん人も多く乗れるし、荷物も多く積める。
 エネルギー効率が高い羽根車や固定流路の設計を行うにはノウハウが必要となるため、他社はそう簡単に模倣できません。
 また、ポンプそのものにも強みがあります。現在主流のロケット用ポンプはガスタービンという大がかりで複雑な配管のある装置で動力を得てポンプを回す方式です。
 他方、私たちが開発しているのはモーターで駆動するポンプです。
 ガスタービン式に比べて全体がシンプルですし、ロケットの飛行状況に応じて推力を調整して柔軟な運転がやりやすくなります。
 現在、世界でこれを実用化している企業はニュージーランドの1社だけ。私たちにも十分商機があると思っています。
楠木 つまり現状、業界全体では米国の大手企業が先行しているが、彼らはガスタービンで駆動するポンプが主力であり、この先、小型ロケットの領域でモーター駆動のポンプが主流になった場合、虎の子のガスタービンで駆動するポンプでは対応することができず、簡単には追随してこられないだろう、と。
藤枝 そういうことです。先行者と同じ土俵で戦ってもそう簡単には追いつけないので、私たちは違う領域に勝機を見出した方がよいと考えています。
楠木 それはとても理にかなっています。正面からド突き合いしないのが競争戦略の基本です。無競争戦略こそが競争戦略の本質とも言えます。

「ボロ儲け」の戦略ストーリーを磨き上げよ

楠木 ここまでお話を聞いて、事業の狙いがだいぶクリアになりました。その上で率直な感想を申し上げると、ロケット関連という事業の壮大さに対して、ビジネス的なインパクトが非常に小さい。
 本来は「売上1000億円で営業利益率35パーセント」くらいのスケールを目指せるとよいのですが、現実的ではありませんか?
藤枝 宇宙産業の規模は2040年には150兆円になると言われています。それに伴い、宇宙輸送のニーズはどんどん高まり、ポンプだけでも500億円、1000億円と市場に成長していくでしょう。
 さらに人工衛星用のスラスター(小型エンジン)にも展開できるので、可能性は大きく広がっていると思います。
楠木 この先もポンプを製造・販売するビジネスを続けるということですよね。従来の売り方にこだわる必要もないのでは?
 ロケットが無事に打ち上がれば、輸送コストが下がるし、ロケット製造のコストも下がる。ポンプはそれを左右する存在の一つです。
 ならば、ポンプを1個いくらで売るのではなく、例えば成果に対してチャージをするようなビジネスも展開できる気がします。
藤枝 そういう発想はなかったですね。見積もりをして、ポンプを造って納品して、お金をもらうのが当たり前だと思っていたので。
楠木 その売り方を変えてもいいわけです。
 私はとあるアパレル企業で経営のアドバイスをしていますが、アパレルの世界では商習慣を変えるのが難しい。「安いから、これ買おう」などとお客さんは深く考えずに購入するのです。
 一方、ロケットの世界は洋服に比べてシリアスです。失敗の損失が極端に大きい世界ですから、購入する際、顧客は自分にとっての合理性を慎重に判断します。
 だからこそ、従来の商習慣とは異なる取引形態であっても、合理性があれば、顧客はむしろ大喜びで考えてくれるでしょう。
藤枝 全く新しい売り方を提案する余地がある、と。
楠木 とはいえ、何か発明しなくちゃならないわけではありません。
 完全なるオリジナルというのは、人間社会にはほぼ存在しない。非凡と凡庸の差は、インスピレーションの求め方の違い。凡庸な人は近いところに、非凡な人は遠いところにそれを求めます。
 藤枝さんの事業でも、大きな利益獲得を目指すにあたって、全く別の業界を参考にしながら新しいビジネスモデルを考えてみても良いと思います。
藤枝 利益の生み出し方で言うと、我々の取り組みは、事業単体で利益を出すことはもちろんですが、グループ全体の競争力の底上げも期待されています。
 航空宇宙事業の技術開発は極限の世界。いわばF1のような世界です。
 当社はさまざまな領域で使われる回転機の製造を手がけていますが、航空宇宙の先端技術を他部門に展開すれば、会社全体の競争力が高まり、ひいては収益向上につながっていくと考えます。
楠木 私の持論ですが、シナジーは目的にしない方がいい。事業の目的は長期利益をあげること。要は「ボロ儲け」がゴールです。
 そのための戦略を構築することが、事業責任者が取り組むべきこと。シナジー狙いはその妨げになります。
 先ほど、社内コンペでロケット自体の開発を提案したのは収益の大きさが動機とおっしゃいましたよね。私はそれを聞いて、素晴らしいなと思ったんです。
 事業経営はそうあるべき。「技術的な挑戦が面白いから」だけでは最終的に儲かりません。
 航空宇宙事業も、この極限のポンプ技術をこのように活かし、10倍、100倍の市場規模のビジネスに成長させる──そういうストーリーを今から明確に描き、バックキャスト(※)による戦略策定をすることをおすすめします。
※未来のある時点に目標を設定しておき、そこから振り返って現在すべきことを考える方法
藤枝 それで言うと、この数年、人類が月面で活動するための拠点となる「月面基地」の話題が国内外で活発化していますが、基地が出来て、人が住むようになれば、必ずポンプが必要になります。
 宇宙空間で使えるポンプ、すなわち真空や放射線に晒される環境に置かれ、中では流体が流れている特殊なポンプは、現時点ではほとんど存在しません。
 そういった月の環境に耐えられるポンプは、実はロケットエンジン用ポンプと性能面での共通点が多いので、ロケットエンジン用ポンプ技術の応用展開先として考えられます。
 そして、特殊であるがゆえに高額での販売が期待できます。そういうゴールを見据えながら、ポンプの開発を進めています。
janiecbros/ GettyImages
楠木 良いビジネスだと思います。一つ気がかりなのは実現の時期です。
 あまりに未来志向になってしまうと、社会の状況や外部条件に強く依存し、実現の不確実性が高まります。
藤枝 もう少し手近なところにバックキャストの起点を置くのがベターということでしょうか。
楠木 おそらく月でポンプが当たり前に使われる頃には、御社の経営陣も投資家も引退していますよね。
 お金を出してくれる人に「あっ、その頃もう自分は現役じゃないな」と思われてしまっては失敗なんです。
 事業を率いるリーダーの大切な役割は、自分のアイデアに乗っかってくれる人をその気にさせること。収益性に富んだ戦略ストーリーを作り、働いている人はもちろん出資者をも巻き込んで事業を動かしていくわけです。
 周囲はよほど魅力的なストーリーでなければ動きません。
 「ボロ儲け」をするのに、仮想通貨じゃなくて、なぜポンプなのか。
 そこに事業責任者の価値観が表れる。それが戦略構想にも反映され、周囲の人々の心にも響くものです。
藤枝 なぜポンプかと言えば、使命感に近いですね。
 人類の宇宙活動が広がろうとしている中で、ポンプは必ず必要になるものだし、そのニーズに我々が応えなければ人類に未来はない。そのくらいの思いで向き合っています。
楠木 その思いを戦略に結びつけ、誰が相手でも同じプレゼンができるようストーリーを磨き上げるといい。
 それにしてもポンプへのこだわりが素晴らしいですね。
藤枝 以前、中東に3年ほど駐在していたのですが、そのとき現地の人から「昔はポンプと言えば、荏原でしたね」という話を何度も聞かされました。
 かつては荏原の製品一色だったのに、今日では韓国製品や中国製品が並んでいる。
 そのとき心底悔しくて、そこで湧きあがった「今に見てろよ!」という気持ちが自分の原動力になっています。
楠木 藤枝さんはまだ40代ですよね。自社の強みを新しい領域で活かし、収益性もきちんと追い求めた事業を生み出し、先行勢とはあえて同じ土俵で戦わずに勝ち抜く戦略を考えている。
 今日いろいろ注文をつけてしまいましたが、荏原製作所のような伝統的な企業で、このように野心的な40代の方が出てきていることに時代の変化と希望を感じました。
藤枝 そう言っていただけるのは非常に嬉しいです。
 航空宇宙技術グループの2030年のあるべき姿に関する議論はこれまでもチーム内で重ねてきました。
 ただ、楠木先生のお話をうかがって、2030年の具体的な目標からバックキャストし、各段階で必要な技術開発や設備を明確にした計画を描く必要性を感じました。
 それを魅力あふれる戦略ストーリーに落とし込み、多くの人に関心を持ってもらうべく、雄弁に語れるよう磨き上げたいと思います。