2023/11/7

25歳で社会人に。デザインを知らなかった男が気づいた“経営に活きるデザイナーの力”

NewsPicks Brand Design Creative Editor
 日本でも「デザイン経営」という言葉が広まり、経営に携わるデザイナーの数は増えてきた。しかし、世界と比べると、その数は圧倒的に少ない。
 その原因の1つは、「デザインリーダーのロールモデルの不足」にある。
 デザイナーとして事業に貢献し、経営にもインパクトを与える。そんなデザインリーダーの目指すべき姿を模索するべく、GoodpatchとNewsPicks共催の「DESIGN LEADER IMPACT AWARD」が初開催される。
 開催に先駆け、本連載「Designer’s Story(デザイナーズ・ストーリー)」でも、アワードの審査員やセッションに登壇するデザインリーダーたちのキャリアから、目指すべき「デザインリーダー」像を探っていく。

生きづらさを抱えた学生時代、社会との唯一の接点がデザインだった

今回登場するのは、Visionalグループ 株式会社ビズリーチ でCDOを務める田中裕一氏

ビズリーチではデザインの力を発揮して、大掛かりな組織変革を成し遂げてきた。そんな田中氏がビジネスの世界に飛び込んだのは25歳

まわりと比べて遅いスタートから現在にたどりつくまでの道のりは、決して生半可なものではなかった。
──田中さんはビズリーチCDOとして、経営の一翼を担っています。デザインリーダーであるCDOには、どのような役割が求められているのでしょうか?
 デザイン管掌としてデザイン全体のパフォーマンスを上げるのは当然として、さらに経営課題をデザインの力で解決することが最も大きな役割だと思っています。
 たとえば、デザインの経験のない方たちは物事をロジックツリーで考える傾向が強く、物事は複数の要素が組み合わさってできていると考えることが多いのですが、デザイナーは要素を分解せず重なり合った全体として見ることが得意な面があります。
 それによって、ロジックツリーの考え方では精査されるような情報もつないでとらえることで、デザインの経験のない方とはまた違ったアプローチを見出せる可能性があります。
 ビジネスの感覚を持ったデザイナーが経営層に入る価値は、こうしたところにあるのではないでしょうか。
──田中さんがデザイナーを志望されたきっかけを教えてください。
 子どものころから人とのコミュニケーションが苦手で、学校にも友達にもなじめず、生きづらさを感じていました。
 音楽を聴いたりつくったりすることで救われていましたが、あるときマルク・シャガールの作品と出会って強く惹かれたのをきっかけに、油絵を学べる専門学校に進学しました。
 自分が音楽やアートに孤独を癒してもらったように、生きづらさを抱えている人の救いになりたい、プラスの影響を与えられる人間になりたいと思ってのことでした。
 しかし、アートは人の心を癒すことはできても、その行動や生活を大きく変えることはできない。問題を解決し人の行動や社会を変えていくには、ビジネスを通して影響力を発揮することが必要だと気がつきました。
 そのときはもう25歳になっていて、同年代の人たちはとっくに社会に出て活躍していました(笑)。
──今の田中さんの活躍からは、想像ができません。当時デザインも学んでいたんですか?
 いえ、デザインの経験はゼロ。絵を描くことしかやってこなかったので、デザインは、自分が学んできたアートと紐づけられるかもしれない、唯一の仕事という認識ぐらいしかありませんでした。
 自分と社会を接続するにはデザインしかない、デザインで社会にインパクトを与える仕事がしたいと思いました。
 ご縁をいただき、通販の会社が採用してくれたので、とにかくできる仕事はなんでもやりました。ECサイトの立ち上げ、Webマーケティング、お客様対応や商品発送、バックオフィスの業務も手がけながら、デザインも独学で学んだという感じです。
 社会人として大きく出遅れているのだから人の何倍もやらなきゃいけないという思いがあり、毎日朝4時に起きて勉強していました。
その後出勤して夜まで働いて、帰ったらまた深夜2時ごろまで勉強するという生活を3年ぐらい続けていました。
──すさまじい生活ですね……。独学だと限界はなかったのでしょうか。
 広く浅くある程度のことはできるようにはなりましたが、デザイナーとしてのより深い軸足がなければ、社会にインパクトは与えられないと感じていました。そこで、デザイナーとエンジニアとしてのスキルを深掘りできる会社に転職しました。
 2年間、クライアント企業のサービス開発や制作を担当し、最後の取引先となったのがディー・エヌ・エーでした。新規事業のプロダクトマネージャーや、アライアンス事業の制作・開発責任者を任されて、そのままご縁がありEC事業部のデザインチームの責任者候補として転職したんです。
──おお、黎明期のディー・エヌ・エーに入ったのですね。そこで現在のデザインリーダーとしてのスキルが磨かれたんでしょうか。
 それが実際に入社した途端に、いろいろな経緯があってデザイナーのチームが解体されてなくなってしまったんです。デザイナーとして誇りを持って入社し、この会社で価値を発揮していこうと思っていた矢先に、「デザインは無価値」だと判断されてしまったわけです。
 このことが、デザインはなぜ必要なのか、デザインは事業にどう貢献し価値を提供していけるのかを徹底的に考えるきっかけになりました。

ものづくりやビジネスは区別できるものではない

──デザインが無価値とされてしまった職場で、まず何をしたのでしょうか。
 デザイナーの組織を再構築するために、デザイナーが担う役割、責任を明確化しました。
 ユーザーの行動指標を開発し、事業活動、売上目標を分解し紐づけ、それらを達成するための組織・プロセス・KPIを定めて、デザイナーがビジネス上の責任を負い、事業に貢献できる存在であることを周囲にも内部にも実践しつづけたんです。
 実際に結果を出してそれを証明するのに2年かかりました。
 ただ、「ビジネスで成果を出すためにデザイナーは何ができるのか」を模索してきた過程で、大きな気づきがあったんです。
 それまでの自分はデザインに軸足を置きながら、ものづくりやビジネスを行ったり来たりしている感覚でいましたが、これらは区別できるものではなく、全部合わせて1つの球体のようなもので構成されているとわかったんです。
 全部つながっていて、どれか1つでも欠けば機能しない。
 事業があって、それを生み出し届ける組織があって、お客様やユーザーがいる。「これらが1つになるように設計して社会に価値をリーチさせることの全体がデザインなんだ」と、自分の中で腹落ちしたんです。
──そこから、どういう経緯でビズリーチに入社されたのでしょう。
 もともとは独立するつもりでいました。自分がデザインしたもので、価値を提供して社会にインパクトを与えたいという思いは、デザイナーを志した時から変わっていなくて。
 シリコンバレーではデザインのバックグラウンドを持った起業家が成功しているけれど、日本ではそうじゃない。ディー・エヌ・エーの中でそれができればいいけれど、自分で事業を起こしたほうが早い気がしました。
 すでに法人向けのSaaSサービスの構想があって、プロダクト化に向けて準備を進めていたのですが……、たまたまビズリーチの役員と話をする機会があったんです。
 僕が感じている課題、実現したいことについて話したところ、「それ、うちでやらない?」と誘われました。
 当時のビズリーチには“転職サイト”というイメージしか持っていなくて、自分のやりたい領域とは異なっているかなと思ったのですが、ちょうど「HRMOS(ハーモス)」という人財活用プラットフォームを立ち上げようとしていたところで。
 “既存ビジネスの延長では生まれづらいソリューションを生み出す土壌”はなぜ存在するのか?と興味を持ち、入社前に業務委託でお手伝いする期間をいただきました。
 ビズリーチは、デザインを重要な経営課題と位置付けていて、優れたビジネスと伸びしろのある組織であり、既存の延長線上には考えづらい顧客課題から事業を生み出す自然なデザインアプローチを備えている。
 デザインをより戦略的に活用し、会社組織の営みをリデザインすることで、より大きな価値を社会に届けられる会社になる。
「自身の志の実現に近づいていくことができる」と確信しました。
 そして、関わる多くの方々から、ビズリーチが実現しようとしている、当時のミッションでもあった「インターネットの力で、世の中の選択肢と可能性を広げていく」に対する本気度を感じ、一緒にそれを実現したいと思い入社を決めました。

組織改革はデザイン的なアプローチが有効だった

 ビズリーチに入ってから最初のミッションは、トップや経営層がイメージするイノベーションを、組織全体にインストールして迷いなく動けるようにするためのデザイン戦略と体制をつくることでした。
 そのときの組織は、事業の急激な成長をスピード感を持って支えていくためプロダクトごとにデザイナーが所属している体制でした。それを、経営として戦略的にデザインを活用していくため全社横断的な組織体制へと変更したんです。
 これによって各デザイナーが事業にコミットしながら、プロセス・組織・ブランドなどの観点を含めた中長期的なデザイン戦略を推進できる状態をつくりました。
 その後、プロダクト組織やコーポレート部門の組織変革も担いましたが、これもデザイン的なアプローチを採ったことが功を奏したと思います。
──組織変革におけるデザイン的なアプローチとは?
 組織には風土や文化、価値観、ビジネスモデル、エコシステムのような「慣性」があり、組織変革はこれらの慣性に逆らうことにほかなりません。
 強引な変革はNGにしても、やんわり変えようとしたところでうまくいかないものです。逆に慣性に従いすぎても現状を肯定することになり、何もできなくなってしまいます。
 そこで私が採ったデザイン的なアプローチは、まずあるべき姿を描いてから、各組織のキーマンを集めてチームを組成し、実態を調査して、仮説を立てます。
 その仮説をもとに経営陣と議論し合意できたら、計画を立ててプロトタイピングして、また議論する。このサイクルをグルグルと回していったことで、変革がうまく進んでいく手応えを感じました。
 これはまさにデザインの力です。これを活用できれば、解決できなかった課題をクリアし、新しい価値を生み出すことが可能なのだと実感することができました。

ビジネス目線だけでは解決できない課題に立ち向かえる

──田中さんのような組織の変革ができるデザインリーダーを目指すために必要なことはなんでしょうか?
 私はデザイナーになりたかったというより、社会に影響を与える人間になりたかったので、常に自分の視座を上げることを意識してきました。極端な話、単に成果物をつくって対価を得ることに満足できるなら、無理に視座を上げる必要はありません。
 まずは自分がどんな何を成し遂げたいのか、どうありつづけたいかを明確にすることが重要で、その延長線上でやりたいことがビジネスを通した価値提供なのであるのなら、目線を上げることは不可欠だと思います。
──視座を上げるには、どのような方法がありますか。
 責任を負うことです。身もふたもないことを言うと、経営者の感覚は経営者にならないとわからないし、責任を負わなければ高い視座は得られません。
 デザイナーの仕事はその良し悪しをビジネス上の観点だけでは評価しづらいために、明確な責任を担いづらい傾向があります。だからまずは、当事者となって責任を負うことで、ようやくデザインを経営に活かす思考が生まれると思います。
 最近、計画してきた次のフェーズとしてデザイン組織を解散し、デザイナーが事業に入り込み内部からデザインを働かせていく体制に変更しました。
 これは、デザイン組織で積み上げてきた土台をもとに、さらにデザインを事業に本質的に活用していくための発展であり、またデザイナーも外から意見を言うような関わり方ではなく、事業や組織に入り込んで責務を持つことにつながります。
 ただ、責任は望んですぐに得られるものではありません。それでも、道を開くためには責任ある人の視座を想像し、自らビジネスの中に入り込み、その責務を担おうとする姿勢と行動が重要なのだと思います。